あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

春の彼岸に京都と彦根へ② 京都・二条城と岡崎から蹴上〈前半〉(京都)

2024-05-02 18:42:34 | 京都を歩く


 地元の花便りを続けたため、中断したまま1か月以上経過しましたが、春の彼岸に訪れ

た京都と彦根のレポート、その第2日目です。

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 2024年3月22日(金) 〈前半 京都・二条城へ〉

 宿泊した彦根の東横インで6時半過ぎに起床した。今日は青空が見えている。

 1階ロビーでの朝食を済ませて、8時50分頃東横インを出た。今日も京都市内の観光
なのでJR彦根駅に向かう。



 JR東海道本線の南側は近江鉄道の彦根駅で、構内には待機中の車両が見える。


 東口駅前広場には、第37代の女帝、斉明天皇がこの地を詠んだという歌碑が。万葉集

の巻四にあるようだ。


 駅2階の連絡通路からは、東南方に石田三成の城 佐和山城のあった佐和山が望まれる。


 彦根駅9時06分発の東海道本線下り快速電車に乗る。


 大津駅が近づく頃から、西北に雪を残す比叡山が見えてきた。


 10時07分に京都駅に着いた。

 駅構内は、今日もたくさんの観光客であふれている。


 北口の地下街に下りて、10時28分発の市営地下鉄烏丸(からすま)線に乗る。


 烏丸御池駅で市営地下鉄東西線の太秦(うずまさ)天神川行に乗り換え、次の二条城前
駅に10時38分に下車した。
        
 今日の主な観光予定地は世界遺産の二条城。押小路通の地下にある駅から地上に出ると、
眼前に二条城城郭の東南隅にある東南隅櫓(すみやぐら)が。 国の重要文化財である。

     
 城郭の東側を南北に走る堀川通を少し北へ、門前の出札所で入城券を求めて国重要文化
財の東大手門から入城する(入城料金1,300円)。

 

          

 京都には何度も訪れているが、二条城に入ったのは60数年前の高校の修学旅行以来で
はなかろうか・・ 近年のTVの観光や歴史番組ではよく見ているが。

      もらったパンフレットから

              



 門内からの東南隅櫓、そばのヒカンザクラが咲き出していた。


 こちらは、南側外堀を囲む土盛り沿いの植栽。

 

 城内南東側にある唐門(からもん)も国の重要文化財。豪華な装飾が施されていて、多
くの観光客がカメラを構えたりじっと見上げたりしてていた。


 唐門の周囲の築地(ついじ)も重要文化財。
 
 築地の東面は、長さ110m、石垣上に立つため高さ6mというまれに見る大きさとか。
5本の白線は、皇族との関係性の深さを示すもので最高格だという。


 唐門を入り、まずは正面にある国宝の二の丸御殿を拝観することに。


 東南端にあるから車寄↑から建物に入り、順路に従い遠待と呼ぶ一番大きくて部屋数も

ある建物を南側廊下から西側廊下を回り、さらに式台、大広間、黒書院、最奥の将軍の居

間寝室だった白書院へと進み、折り返して各々の北側と東側廊下を戻る(文化財の保護の

ため御殿内は撮影禁止)。

 

 車寄上部の彫刻


 30分ほどかけて5つの建物の30近い部屋を拝観して、車寄から出た。


 このあと、二の丸御殿の南西側にある二の丸庭園へ向かう。庭園への門の手前に、2つ
の釣鐘が保存されている。

 鐘は、京都所司代(しょしだい)屋敷で火事などの緊急事態を周辺に知らせるために使
れたもののよう。

 京都所司代屋敷は二条城の北に接して3か所あり、上屋敷、堀川屋敷、下屋敷(千本屋
敷)と呼ばれ、これは下屋敷で使われたものとか。

 慶応3(1867)年に京都所司代が廃止後、二条城に移されたと考えられるという。

 その先の門を入ると国特別名勝の二の丸庭園で、入った右手の建物は中央部の大広間。

 
 二の丸庭園は、池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、寛永3年
(1626)に後水尾天皇行幸のために行事奉行の小堀遠州のもとで改修されたとか。

 二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から観賞できるように工夫されている
ようだ。

 池の東側沿いを来手へと向かう。建物側にある大きな松の木


  
 池の北面


 多くの観光客が、順路に従い巡っている。

 

 

 防寒対策の菰(こも)に巻かれたているのはソテツ


 二の丸庭園の北側まで進み、西側の本丸方面に向かう。

 本丸は、四面の周囲を内堀に囲まれていて、東橋を渡って本丸楼門から入る。

  

 橋からは、眼下に泳ぐたくさんのコイが見下ろせる。



 橋から望む内堀の東北側


 楼門をくぐり本丸の敷地内へ。南側が本丸庭園で、北側中央部に本丸御殿がある。

 

 

 本丸御殿の南側にある建物

 

本丸庭園の南西端、高い石垣上が天守閣跡。

 

 こちらが本丸御殿の南面



 天守閣跡へ急石段を上がった。

 ここには、かつて伏見城から移された五重六層の天守閣があったが、寛永3(1750)
年に落雷で焼失したよう。

 その後は再建されずに石垣のみが残り、眼下の本丸御殿と本丸庭園、さらに京都市内な
どが望まれる。

 
 東北には比叡山や大文字山などが。


 本丸を囲む高い盛土の外側は内堀に囲まれている。


 北側の堀に架かるのは西橋


 本丸庭園の南側の内堀


 こちらは西南隅櫓のよう。




 天守閣跡を下りて国重要文化財の本丸御殿↑前から西南へ回り込み、西橋へ。


 西橋からの内堀の北側


    橋を渡り終えて眺める天守閣跡
    

 橋を出た西側には休憩所があり、そばのシダレザクラの花はまだつぼみのまま。



 近くにあった地図、回ってきた順路が朱線で記されている。

 この後も順路に従い、本丸の北側から東へと回り、二の丸の東側を南進して右下の東大
手門から出る予定。

 北に少しで、国重要文化財の「土蔵(北)(米蔵)」の横を通過する。

 

 すぐ先が内堀の北西端、ふり返る西橋や天守閣跡周辺

 

 内堀の北側を東進すると、若木の桜が何本か咲いていた。何桜だろうか・・

 

 北中仕切り門の北側を東へ回り込む。これも国重要文化財で、その東側一帯は清流園と

呼ぶ芝生広場のある庭園へ。

 西端には和楽庵と呼ぶ茶処があるが、寄らずに進む。

 

 清流園の遊歩道を東へ、植え込みや池や芝生地の間を進む。

 

 園の中ほどの北側にある香雲亭

 

 園路の南側には、豊臣秀吉が「醍醐寺の花見」をしたことで知られる醍醐寺の桜のクロ

ーンという「醍醐の桜」の若木が、つぼみを膨らませていた。

 

 内堀が90℃東に折れる辺りの北側には北山杉が立ち並ぶ。

 

  折れた内堀の東北端には休憩所があり、近くに花びらの小さい桜が咲いていた。

     

 

 休憩所の北側に戻って東へ、清流園の東南端には、ヒカンザクラがかなり膨らむ。

 

 清流園の東北端には北大手門があり、外堀を渡り城外に抜けられる。

 

 清流園の東側に続く「緑の園」と呼ぶ庭園の南側を二条城の東北端まで進んで右折し、

展示収蔵庫と呼ぶ建物と二の丸御殿の東側を南へ。

 

 いくつかのテントが並び、京都の土産物などを販売していた。

 

 今日は晴れて気温も上がり、暖かさを感じる。一番手前の京だんごの店で宇治抹茶アイ

スを求め、ひと休みして乾いたのどを潤す。

      

 

 展示肖像個の南側には大休憩所があり、その南側に「被爆アオギリ」が植えられていた。

     

 広島平和記念公園内に生息する被爆アオギリの子孫で、原木はは爆心地から1.3㎞の

ところで被爆したという。 

 

 二条城内を一周して観覧を終え、出口になる番所を出た。

 

 その先の事務所では、世界遺産・二条城の本覚修理事業のための一口城主募金を受付し

ていたので、ささやかながら千円の募金をして記念品をいただいた。

 

 13時40分頃に東大手門を出て、二条城を後にした。   

                                    〈続く〉

 

 

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