2008年2月16日(土)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/34/42.192,139/16/46.58&scale=70000)
「地図を歩く会」の今年初の例会で、神奈川県の
水道の水源のひとつ、津久井湖のそばにある城山
(津久井城跡)に出かけた。
集合は、JR横浜線橋本駅に10時半。sameさん
も来るのではないかと少し待ったが、見えないので
三ヶ木行きのバスに乗る。
津久井湖の堰堤(えんてい)や観光センター前を
過ぎ、少し先のクラブ前バス停で降りた。
11時15分にスタートし、南に向かう。左手(東)
に、これから上る城山がよく見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/cb/6a460eaf86c6cf42b6faaf3d05c53987.jpg)
峠に向かっての上り坂となる。西方に大菩薩嶺方
面の山並みが見えてきて、道路際に立ち止まって
数分、山座同定(山の形を見て山の名を確認する)
をする。
峠のカーブ点に諏訪神社があり、傍らに馬頭観音
が8体並び、地蔵さんだろうか、根古屋村と記され
た石仏もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/16/b91520a41e435dfdc81bc23d2468a2cc.jpg)
境内は、神奈川県名木百選に選定された大杉など、
うっそうとした森に覆われている。
南面の根古屋集落に入り、少し下ると左手に、県
立津久井湖城山公園の入口があった。
津久井城跡である城山(375m)一帯が公園に
なっているもので、その山ろくにパークセンターと
いう施設があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/99/eff8a7a98ceccffd462145485e808626.jpg)
城山の歴史や自然、人びとと城山の関わりなどを
理解できる施設で、写真やパネル、津久井特産の
組ひもづくりの機械などが展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c6/13e643c4877a75eb2ab4ab002549b29a.jpg)
この建物の前から、残雪の残る丹沢山塊が望ま
れ、蛭ヶ岳と塔ヶ岳の間に馬の雪型が見えたので、
センター内の展示はそっちのけで、しばらくは雪型
のある山などの山座同定をする。
館内も一巡、12時を過ぎたのでここで昼食をしよ
うかという話も出たが、少し上に展望広場があると
いうので、そこまで上がることにした。
車椅子でも上がれるという、鉄製の柵つきの傾斜
の緩い遊歩道を遠回りして上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/a8/a61c7e3c3f387b7c65dc217e0c866ec8.jpg)
途中まで上がると雪型はよく見えるが、逆光にな
り雲も増えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/09/87e31f4cccc4f8769513f236573869a7.jpg)
展望広場にあった木のベンチで、山並みを眺めな
がら昼食をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7b/fff71baaf1b3ecd1fa17e52a56a178b9.jpg)
ゆっくりと周辺の山の山座同定もして出発し、山頂
を目指す。
直登に変わった登山路をゆっくりと上がり、男坂と
女坂の分岐に出た。
あと0.5㎞の標識があったが、馬の雪型を十分に
見たので、もう満足だという皆さんは、山頂の展望は
よくないとの話もあり、下ることになった。
私はせっかくだから上ることにして、ここで記念撮
影をして分かれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/71/f431bb9ff6a72187c16226b216bd9a8d.jpg)
四国遍路の遍路道を思い出す落ち葉が一杯の道
を上がると、峠に出た。右は飯縄神社へ、左の稜線
を上がれば山頂である。
木の間越しに北面や東面の展望が得られるように
なり、日陰には雪も残っている。
太鼓曲輪(たいこくるわ)を経て、少しの上りで城山
山頂の本丸跡に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/56/82e33b2a2efd9cca1c509d98d1e4024c.jpg)
津久井城は戦国時代の築城と考えられ、16世紀
には小田原北条市の家臣、内藤氏が城を治めてい
たという。
根古屋式山城と呼ばれる津久井城は、ふもとの
根古屋に城主、家臣が居住し、いざ戦になったら
山の上で最終防御をする形態の城で、城山全体が
城として機能していたとのこと。
天正18年(1590)に、豊臣秀吉の小田原城攻
めに伴い落城し、江戸時代初頭に廃城になったと
か。
最高点には、文化13年(1816)に建立された
「築井古城記」という石碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/f0/bbbcb6a3820091c202cf54d937303a0c.jpg)
展望は得られないと聞いてきたが、木の間越しに
雲の増えた丹沢山塊も望まれ、雪型も確認できた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/e4/b79e184246755542de1964bda0b0cda1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b6/eb3ba12574bc338ee5147369f4954c23.jpg)
北から西側眼下には津久井湖が見下ろせ、本丸
下からは、東はるかに都心方面が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ea/a002e9aa6d58cae727f7f1301836f4a0.jpg)
(写真上部の緑の帯の上に、かすかに見える)
北面には、かなりの残雪があった。
峠まで戻り、東側にある小さな社の飯縄神社に
上がる。
北面に向かってよく踏み固められた道を下る。
残雪が凍って滑りやすいところや、くさり場もあり、
注意して下る。
どんどん下り、江戸時代末期の伊豆・韮山の代
官、江川太郎左衛門が植林し、「江川ひのき」と呼
ぶ樹齢120年を越えるヒノキの樹林を抜ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/40/f546e8cea09a0f060dc6592980fc0da4.jpg)
津久井湖畔に下ったところは、桜が多い「花の
苑地」。14時半過ぎに下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6e/fcd6b73f53106ab72a3db74403e5fe95.jpg)
津久井湖観光センターに入り、地元産品などの
販売コーナーをのぞく。
ここからバスもあるが、まだ早いので、もう少し
歩くことにした。
津久井湖堰堤(えんてい)の先にある城山ダム
展望台に上がって、湖や堰堤を展望する。
バス道路の国道413号を橋本方向に向かう。
川尻で旧道に回ったら、りっぱなかやぶきの民家
が残っていた。
近くの大正禅寺は、山門の彫刻がみごと。本堂
も趣ある造り。境内の庭木もよく整えられていた。
原宿で左折して北へ、県道506号に入る。
相原十字路で町田街道に出て東に進む。丸山の
諏訪神社には、しめ縄の巻かれたご神木の、太い
ケヤキとイチョウが目につく。
その先は住宅地の間の細道を抜け、16時27分
にJR横浜線相原駅に着いた。
(天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万)
上溝、八王子)、歩行地 相模原市(旧津久井町
を含む)、町田市)
【注1】sameさんは車で現地に行かれ、私たちより
ひと足早めに歩かれたようです。下記ブログを参照。
http://same.cocolog-nifty.com/otanosimi/2008/02/post_51db.html
【注2】丹沢の馬の雪型については、現在書店で
販売中の雑誌『新ハイキング』3月号、134頁に、
5年前の3月に撮った写真つきで紹介されている。
「地図を歩く会」の今年初の例会で、神奈川県の
水道の水源のひとつ、津久井湖のそばにある城山
(津久井城跡)に出かけた。
集合は、JR横浜線橋本駅に10時半。sameさん
も来るのではないかと少し待ったが、見えないので
三ヶ木行きのバスに乗る。
津久井湖の堰堤(えんてい)や観光センター前を
過ぎ、少し先のクラブ前バス停で降りた。
11時15分にスタートし、南に向かう。左手(東)
に、これから上る城山がよく見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/cb/6a460eaf86c6cf42b6faaf3d05c53987.jpg)
峠に向かっての上り坂となる。西方に大菩薩嶺方
面の山並みが見えてきて、道路際に立ち止まって
数分、山座同定(山の形を見て山の名を確認する)
をする。
峠のカーブ点に諏訪神社があり、傍らに馬頭観音
が8体並び、地蔵さんだろうか、根古屋村と記され
た石仏もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/16/b91520a41e435dfdc81bc23d2468a2cc.jpg)
境内は、神奈川県名木百選に選定された大杉など、
うっそうとした森に覆われている。
南面の根古屋集落に入り、少し下ると左手に、県
立津久井湖城山公園の入口があった。
津久井城跡である城山(375m)一帯が公園に
なっているもので、その山ろくにパークセンターと
いう施設があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/99/eff8a7a98ceccffd462145485e808626.jpg)
城山の歴史や自然、人びとと城山の関わりなどを
理解できる施設で、写真やパネル、津久井特産の
組ひもづくりの機械などが展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c6/13e643c4877a75eb2ab4ab002549b29a.jpg)
この建物の前から、残雪の残る丹沢山塊が望ま
れ、蛭ヶ岳と塔ヶ岳の間に馬の雪型が見えたので、
センター内の展示はそっちのけで、しばらくは雪型
のある山などの山座同定をする。
館内も一巡、12時を過ぎたのでここで昼食をしよ
うかという話も出たが、少し上に展望広場があると
いうので、そこまで上がることにした。
車椅子でも上がれるという、鉄製の柵つきの傾斜
の緩い遊歩道を遠回りして上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/a8/a61c7e3c3f387b7c65dc217e0c866ec8.jpg)
途中まで上がると雪型はよく見えるが、逆光にな
り雲も増えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/09/87e31f4cccc4f8769513f236573869a7.jpg)
展望広場にあった木のベンチで、山並みを眺めな
がら昼食をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7b/fff71baaf1b3ecd1fa17e52a56a178b9.jpg)
ゆっくりと周辺の山の山座同定もして出発し、山頂
を目指す。
直登に変わった登山路をゆっくりと上がり、男坂と
女坂の分岐に出た。
あと0.5㎞の標識があったが、馬の雪型を十分に
見たので、もう満足だという皆さんは、山頂の展望は
よくないとの話もあり、下ることになった。
私はせっかくだから上ることにして、ここで記念撮
影をして分かれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/71/f431bb9ff6a72187c16226b216bd9a8d.jpg)
四国遍路の遍路道を思い出す落ち葉が一杯の道
を上がると、峠に出た。右は飯縄神社へ、左の稜線
を上がれば山頂である。
木の間越しに北面や東面の展望が得られるように
なり、日陰には雪も残っている。
太鼓曲輪(たいこくるわ)を経て、少しの上りで城山
山頂の本丸跡に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/56/82e33b2a2efd9cca1c509d98d1e4024c.jpg)
津久井城は戦国時代の築城と考えられ、16世紀
には小田原北条市の家臣、内藤氏が城を治めてい
たという。
根古屋式山城と呼ばれる津久井城は、ふもとの
根古屋に城主、家臣が居住し、いざ戦になったら
山の上で最終防御をする形態の城で、城山全体が
城として機能していたとのこと。
天正18年(1590)に、豊臣秀吉の小田原城攻
めに伴い落城し、江戸時代初頭に廃城になったと
か。
最高点には、文化13年(1816)に建立された
「築井古城記」という石碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/f0/bbbcb6a3820091c202cf54d937303a0c.jpg)
展望は得られないと聞いてきたが、木の間越しに
雲の増えた丹沢山塊も望まれ、雪型も確認できた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/e4/b79e184246755542de1964bda0b0cda1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b6/eb3ba12574bc338ee5147369f4954c23.jpg)
北から西側眼下には津久井湖が見下ろせ、本丸
下からは、東はるかに都心方面が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ea/a002e9aa6d58cae727f7f1301836f4a0.jpg)
(写真上部の緑の帯の上に、かすかに見える)
北面には、かなりの残雪があった。
峠まで戻り、東側にある小さな社の飯縄神社に
上がる。
北面に向かってよく踏み固められた道を下る。
残雪が凍って滑りやすいところや、くさり場もあり、
注意して下る。
どんどん下り、江戸時代末期の伊豆・韮山の代
官、江川太郎左衛門が植林し、「江川ひのき」と呼
ぶ樹齢120年を越えるヒノキの樹林を抜ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/40/f546e8cea09a0f060dc6592980fc0da4.jpg)
津久井湖畔に下ったところは、桜が多い「花の
苑地」。14時半過ぎに下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6e/fcd6b73f53106ab72a3db74403e5fe95.jpg)
津久井湖観光センターに入り、地元産品などの
販売コーナーをのぞく。
ここからバスもあるが、まだ早いので、もう少し
歩くことにした。
津久井湖堰堤(えんてい)の先にある城山ダム
展望台に上がって、湖や堰堤を展望する。
バス道路の国道413号を橋本方向に向かう。
川尻で旧道に回ったら、りっぱなかやぶきの民家
が残っていた。
近くの大正禅寺は、山門の彫刻がみごと。本堂
も趣ある造り。境内の庭木もよく整えられていた。
原宿で左折して北へ、県道506号に入る。
相原十字路で町田街道に出て東に進む。丸山の
諏訪神社には、しめ縄の巻かれたご神木の、太い
ケヤキとイチョウが目につく。
その先は住宅地の間の細道を抜け、16時27分
にJR横浜線相原駅に着いた。
(天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万)
上溝、八王子)、歩行地 相模原市(旧津久井町
を含む)、町田市)
【注1】sameさんは車で現地に行かれ、私たちより
ひと足早めに歩かれたようです。下記ブログを参照。
http://same.cocolog-nifty.com/otanosimi/2008/02/post_51db.html
【注2】丹沢の馬の雪型については、現在書店で
販売中の雑誌『新ハイキング』3月号、134頁に、
5年前の3月に撮った写真つきで紹介されている。