あるきメデス

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アートウオークセラピーで横須賀市津久井を歩く(神奈川)

2016-05-02 22:33:36 | カントリーウオーク
 2016年4月24日(日)

 先月の初回は休んだ、山浦敬子さんの今年2回目の「アートウオークセラピー」と呼ぶ
ウオーキングに参加した。

 集合は京浜急行久里浜線の津久井浜駅。午前中は雨の予報のためか、参加者は敬子さん
のほかは茅ヶ崎のIさんと私のみ。10時ちょうどにスタートする。

 小雨模様なのでポンチョを被り歩き出したが、大したことはなく、間もなく脱ぐことが
出来た。

     
 まずは駅の北側にある浅間神社へ。聖武天皇の天平年中〈729~48〉、僧 行基
(ぎょうき)が来て駿河国の浅間神社を勧請(かんじよう)したと伝わるとのこと。

 社殿は急石段上にあり、豊富な広葉樹林に覆われていた。

 駅前に戻り、線路の高架下を横切る道路を北西に向かい、すぐのT字路から津久井三丁
目の集落に入る。周辺にはカボチャ畑が多く、花や小さな実が見られる。


    

 200mあまり進んで看板に従い、ミカン運搬用レールの横の階段を上がり、往生院に
行く。
     
 永禄元年(1558)の開創と伝わる浄土宗の寺。本尊は、「三浦七阿弥陀」第6番の
阿弥陀三尊とか。


       
 狭い境内の周囲を墓地が囲み、本堂横に水子地蔵が立つ。本堂前に育苗中の野菜の苗が
置かれ、墓の多くが長谷川姓だった。



 下の道路に戻り先に進む。かやぶき屋根にトタンを被せた民家が2棟あり、そばの畑に
見慣れぬ花が咲く。
    
 畑にいたご主人に聞くと、セイヨウアカメガシだという。ほかに、畑の作物のこと、西
側の津久井高のこと、長谷川姓が多いことなどの話を交わした。


 次のY字路を右に入ると、キャベツのナノハナがいっぱいに咲く。キャベツから、この
ようなナノハナが咲くとは知らなかった。
    

 ちなみに、2日後に薬局でもらったナノハナの資料に、「主なアブラナ科の野菜は、ダ
イコン、カブ、キャベツ、ブロッコリ-、小松菜、チンゲンサイ、白菜などで、これらの
花はすべてナノハナになる」と記されていた。

 次第に高度が上がって周辺に気持ちよい新緑が広がり、眼下には畑や民家が望まれる。


 路傍に古い青面金剛(しょうめんこんごう)など6基が集められていて、中の二つには、
明和5年(1768)と天保10年(1839)と刻まれていた。



 高度が上がり、行く手に砲台山(204m)や武山(200m)山頂のアンテナなど
が望まれ、左手眼下に津久井五丁目の民家や畑が広がる。


 そばの畑のブロッコリーからも、ナノハナが咲き出す。


 標高50m近くまで上がり、背後の墓地から東光寺境内に下りた。

 東光寺は約1,200年前、最初訪ねた往生院同様、行基菩薩が諸国行脚の際この地に
来て草庵を結び、夢のお告げにより日光・月光菩薩と十二神将像を彫刻して、この寺を建
てたという。


 鐘楼は年代を感じるたずまい。仁王門の横に、「三浦一族碑」とも記された「津久井義
行公碑」が立っていた。
        
 津久井次郎義行は、三浦半島を治めた三浦一族の統領、三浦大介義昭の弟で、この津久
井の地名をとり津久井氏と称したとか。当寺を治国理民の祈祷所と定めて中興し、その威
光は三浦全郷に聞こえたという。


 寺の東側一帯にイチゴ栽培用の大きなビニールハウス棟が並ぶ。そのひとつに数台の車
で来た人が入り、30分で食べ放題のイチゴ狩りを楽しんでいた。
    

 その横から北へ、高度を上げて行くとミカン畑があり、ミカンの花が開花しようとして
いた。
    


 谷戸作堰(せき)と呼ぶ、いまは水の涸れた潅漑(かんがい)用ため池の横から西側の
道路に回る。すぐ先のY字路際に周辺の観光農園の案内図があり、イチゴやジャガイモ、
サツマイモ、ミカンの収穫を楽しめる場所がたくさん記されていた。


 北に砲台山が近づき、眼下には観光農園の大規模なビニールハウス棟が広がる。


 南東に少し下り、11時38分にせせらぎ公園に入り、東屋(あずまや)で昼食にした。

 公園は、もと水間戸堰と呼ぶため池だったよう。公園のせせらぎの上には、小さな吊り
橋が架かる。


 食事を終えて記念撮影をして、12時過ぎに公園を出る。


          こちらは、敬子さんに撮ってもらった写真のコピー。
         

 南西に緩やかに下り、津久井五丁目の集落中心部へ。Y字路際に馬頭観音や庚申塔、青
面金剛などが並び、石の小さな祠(ほこら)も祭られていた。



 集落を北西に進むと民家の斜面に大株のツツジが数本咲き競い、コデマリも花いっぱい。


 さらに緩斜面を上がって円乗院へ。本堂前にバショウが立ち並び、この地の暖かさが知
れる。



 車道をS字状に上がり集落を抜けると、ピーク付近からは集落の展望が広がり、南西に
アンテナの林立する一角が望まれる。

 帰宅後調べたら、三浦市初声町高円坊(はつせまちこうえんぼう)にある総務省の三浦
電波監視センター。短波帯と宇宙電波の監視をしている日本唯一の施設のようだ。

 思い出すと、半世紀以上前の1960年代前半の職場で、「電波監理局初声」の名を知
ったが、当時は郵政相の施設だった。

 蛇足ながら、当時の二つの職場では全国各地の地名を知ることが多く、ウオーキングな
どでその地に行くと、それら地名や関連の公共機関とか企業名などをいまも思い出す。


 道路際はビニールシートに覆われた畑が多く、シートの中は大豆の小さな苗だった。

 下りとなった三つ目のカーブ点の木の下にも3基の青面金剛石像が並び、その二つの年
号は文化年代(1804~18)である。
    

 今日もらった地図の西端、須軽谷(すがるや)の扇山集落まで進み、山腹に祭られた八
幡神社に上がる。


 拝殿の右手に、トタン板に三方を囲まれた古木があり、どうもこのウオークで以前来た
ことがあるように思われた。
     
 帰宅後確認したら、2014年11月23日に来た、須軽谷八幡神社だった。入って来
た方向が違うので、覆われた古木を見るまで気付かなかったのだ。

 正面の石鳥居には、天保10年(1839)と刻まれていた。


 同じ道を戻り、扇山集落の東端辺りからは別の道を少し迂回してまたもとの道に出た。
S字状カーブの南端付近の十字路から、横須賀市と三浦市の市境を走る稜線上の道を南へ
と向かう。

 東方に海と房総の山らしいのが望まれるが、霞んではっきりとは認識できない


 放置されたアブラナ科の野菜から咲き出したナノハナ畑が広がり、背後に武山の稜線が
望まれる。


 この辺りでスケッチタイムとし、敬子さんは短時間で1枚描きあげた。


 周辺に広がる、カボチャや大豆などの畑を眺めながらの道は、車も通らず安心して歩け
る。


 地図上の標高54mの十字路際にも、嘉永元年(1848)と刻まれた青面金剛など、
6基の石像が並んでいた。



 市境を離れて津久井四丁目まで下り、道は南東に向かう。いまは珍しい裸電線に止まっ
ているのは何だろう。I さんはハトだろうと言うが、もっと小さい鳥のようにも見える。


 下のグランドから歓声の聞こえる津久井高の南西側高みや老人ホーム前を通過し、津久
井浜駅の上を通過する跨道上まで戻る。


 線路の北側を下り、津久井駅には14時ちょうどに着いた。

 あちこちでウグイスがさえずり、緩やかなアップダウンで変わる新緑の山並みや野菜畑
などの眺望を楽しみ、車もほとんど気にすることなく歩け、気持ちよいカントリーウオー
クだった。

(天気 小雨後曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 浦賀、歩行地 横須賀市、歩数
 14,400、累積標高差 約400m)
 



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