あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

松本市内の湧水巡り(長野県)

2008-08-11 22:28:44 | ウオーキング
2008年8月2日(土)



 塩の道・千国街道歩きの帰路も、JRの「青春18きっぷ」
で帰ることにした。

 糸魚川8時15分発の大糸線に乗り、南小谷で乗り換え、
11時47分に松本駅に着く。中央線の上り普通電車は1本
後にして、松本市内を2時間ほど巡ることにした。

 どこを回ろうか、往路に松本駅構内の観光案内所でもら
った「信州松本」という絵地図を大糸線車中で眺めていた
ら、湧水が10か所ほどあるのに気付いた。

 よしよしここだ、今日も暑いので湧水巡りをしようと決めた。

 ザックはコインロッカーに預け、飲料などの軽装で正午近
くに駅を出た。湧水巡りの前にまずは松本城をと、公園通り
から松本中央通りへ。

 女鳥羽川の中央大手橋から川沿いに、次の千歳橋まで
行く。松本も今日は、34回目の「松本ぼんぼん」という夏
祭りの日。

 橋の歩道には提灯(ちょうちん)が下がり、露店が準備中。

 祭りは17時~22時、この通りを中心にかなりの通りが
歩行者天国になるらしい。

 平成橋を渡って大名町通りを北に進む。この通りでも露店
の準備が進行中だった。そのまま進むと松本城公園に入る。

 国宝松本城の木造天守閣は、現存する日本最古の城郭。
堂々たる姿を堀に映している。

 以前に見ているで、場内の観覧は省略した。

 南側の堀に戻ると東の空に、やまさんの国際ウオーキング
トレイル実踏に初めて参加して2年前に上がった、美ヶ原の
アンテナ塔などが望まれる。


 近くのそば屋さんで昼食をした。

 堀よりひとつ南側の通りを東に向かう。信州独特の建築様
式・本棟(ほんむね)造りの店の先、下町会館の前に、最初
の湧水「東門の井戸」がある。

 かなりの流量で流れ落ちていたので、ひしゃくですくい、
まろやかな味わいの冷水をいただく。

 細い通りをさらに東へ、正行寺小路を抜け、次は女鳥羽川
に近い「女鳥羽の泉」。清酒善哉の醸造用水としており、地
下30mから自噴しているという。

 小さな一角だが湧水は豊富。汲みに来ていた奥さんの後
でひしゃくを借り、ここでものどを潤す。

 「まつもと城下町湧水群」は、「環境省平成の名水百選」に
認定されていることが記されていた。

 女鳥羽川の清水橋を渡ると、すぐ東の槻井泉(つきいずみ)
神社の小さな境内には、「槻井泉神社の湧水」がある。

 古代から涸れることなく湧き出し、往古の官道もこのあたり
を通り、当時の通過客もこの水に涼を求めたとか。「清水」
の地名もここが起源という。

 狭い境内でひときわ目立つのが大ケヤキ。

 目通りの幹囲4.8mの太い幹が、よい目印になる。

 清水橋に戻って、女鳥羽川沿いに南東へ。日陰が無くて
暑い。すぐ先の妙勝寺境内には大きな鐘楼があった。

 旧念来寺の鐘楼で松本市重要文化財。鐘楼は墓に囲ま
れていて、説明板は無い。

 隣の、大本堂が目につく大松寺の先、鍛冶橋際を南に向
かうと、「伊織霊水」が石の中から流れ出ている。

 背後は鈴木伊織の墓所。貞享3年(1686)、年貢の軽減
を要求して農民一揆が起き、悲劇的な結末を迎えたが、藩
士鈴木伊織は、農民に同情し、入獄中の農民の助命を図り、
農民に信頼され慕われたという。

 さらに南へ、東京電力の構内にあるのが「源池の湧水」。
南側は広い「あがたの森通り」に面しているが、西側のこの
一角は小公園になっている。

 このあたりは二つの川の扇状地で湧水が豊富なことから、
この地に深井戸を掘り、昭和23年(1948)から市の水源
地として給水を続けているという。

 ここで再び折返すようにして、車の通れぬ西側の細い路
地に入る。

 途中、右手の金網へいの向こうにも、地下からの湧水が
パイプから流れ出ていた。北側には、りっぱな本棟造りの
民家があった。


 その民家の横から西に向かい、一つ通りを横切った角に、
七夕飾りの並ぶ小公園のような一角がある。

 松本の湧水の代表ともいうべき「源智の井戸」。松本に
城下町が形成される以前から飲料に用いられたという。
 
 所有者の、小笠原藩の家臣・河辺与三衛門源智の名を
とって、「源智の井戸」と呼ばれるようになったとか。地名
も源智になっている。

 天保14年(1843)の「善光寺名所図会」では、「当国
一の名水」で、松本の酒造業者は、ことごとくこの水を使
い、歴代の領主は制札を出してこの清水を保護したという。

 数人の方がたくさんのペットボトルを用意して汲みに来
ており、その名水ぶりが知れる。私も何杯か味わい、空に
なったペットボトルに詰めて持ち帰った。

 北に抜けて、白壁土蔵造りの商店が軒を連ねる中町の
通りへ。

 電柱、電線を地中化してすっきりした、新しい蔵造りの
町並みである。

 その中心にあるのが中町蔵シック館。館の入口前にも、
「中町蔵の井戸」があり、きれいな湧水が石造りの井戸か
ら流れ出ていた。

 時間が少なくなったので蔵シック館内の観覧は次回に
回し、駅に向かう。

 松本城に通じる本町通の建物には、今夜の祭り「松本ぼ
んぼん」の小さい提灯が、幾つも竹に結ばれ下がっている。


 伊勢町通りとの三差路には、塩の道を通って塩を運んで
きた牛をつないだという「牛つなぎ石」があり、永禄11年
(1568)1月、越後の上杉謙信により運ばれた牛車が、
この石にたどりついた伝承のことが記されていた。

 往路の公園通りを進み、14時近く松本駅に戻り、14時
25分発中央線普通電車高尾行きに乗り、帰路についた。 

 北アルプスの山登りなどで、松本に途中下車する人は多
いだろう。でもほとんどが訪ねるのは、松本城や旧開智学
校、あるいは あがたの森公園くらいではなかろうか。

 松本の市街地には、主要道路だけでなく細い路地にも、
城下町らしい建物や寺社が多い。次の機会には、湧水巡り
を中心のこんな町歩きもお勧めしたい。

(天気 晴、距離 5㎞、地図 「信州松本」(久芳勝也画
 の絵地図)、歩行地 松本市)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 糸魚川の雁木とヒスイ(新潟県) | トップ | 歴史民族博物館 企画展「江戸... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウオーキング」カテゴリの最新記事