2016年11月20日(日)〈続き〉
続カタツムリ歩行のゴール、浅間神社からの帰路は、神社の北側台地にある「戸定(と
じよう)が丘歴史公園」を回って松戸駅に戻ることにした。
神社境内の南端から国道6号沿いにV字状に折り返す。そばの広い民家の庭に実る、柿
やミカン、ピラカンサが塀越しに見える。
その先の野球のグランド横からは、豊富な木々に覆われた浅間神社の森が望まれる。
JRの車両センターへの引込線の下を東に抜けて、線路沿いを進む。千葉大園芸学部の
西門と思われる門が見えたので進んだが、立ち入り禁止の表示があり入れない。
門の手前、北側斜面に「維新の志士 従五位 竹内 啓先生の墓」の説明板があり、上の
斜面が墓地のようだが、墓石は確認できない。
近くに観音堂の小さな祠(ほこら)もある。
JRの引込線が常磐線の線路に合した横を少し上がり、戸定が丘歴史公園へ西側入口か
ら入った。
戸定が丘歴史公園は、明治維新で権力の座を離れた近代徳川家の住まいと庭園を一般公
開した唯一の場所とのこと。
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の弟・昭武(あきたけ)が1884に戸定
邸の座敷開きを行い、6年後に庭園の整備を終えたところ。かつては7万㎡を越えていた
敷地の約3分の1が、戸定が丘歴史公園になっているという。
林間のスロープを緩やかに上がり、戸定歴史館前に出た。館前の紅葉が鮮やかな彩り、
ジュウガツザクラも咲いている。
戸定歴史館では、徳川昭武の遺品を中心とする松戸徳川家伝来品や徳川慶喜家伝来品、
1867パリ万国博覧会関係資料の展示と、戸定邸と庭園の公開を行っているというので、
入館した(歴史館・戸定邸入館共通券240円)。
歴史館内には、慶喜と昭武の数々の資料や記録、写真、調度品などがあり、大政奉還後
の慶喜の動向や、昭武家家族の明治から昭和に至る活動状況などを興味深く観覧した(館
内は撮影禁止)。
次に歴史館の西南にある戸定邸と広い庭園を拝観する。
戸定邸は、明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物とのこと。1884
年の座敷開き後の増築もあり、9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23ある。
旧大名家の生活空間を伝える歴史的価値が高いことから、国の重要文化財に指定されて
おり、それら各部屋を順次巡る。
一番大きな表座敷棟↑からは、南と西に広がる庭園に出られるので庭園も一巡する。
旧徳川昭武庭園は、国指定名勝である。
建物周辺は広い芝生地が広がり、その先に築山や豊富な木々が大きく育っている。
高台なので、西側の樹間から展望が開ける。
南側にある数本の大きなモミジも、ちょうどよい彩り。
戸定邸と庭園の観覧を終え、南東に接する千葉大園芸学部と結ばれた園路にも回る。
園路沿いには東屋もあり、ホトトギスやツワブキが咲き残る。
先端の芝生広場を囲むケヤキやもモミジなども、よい彩りを見せていた。
1時間余り歴史公園内を観覧し、かやぶきの門を出ると、そばの大イチョウが黄葉に染
まっていた。
駅への途中、松戸市民会館前には「山崎直子宇宙飛行士スペースシャトル搭乗記念碑」
があった。
松戸市出身の山崎さんは、小学生の頃からこの市民会館のプラネタリウムに通いながら、
宇宙への夢を育んでいたという。
JR松戸駅には14時41分に戻り、8分後の常磐線上り快速電車で帰途についた。
首都圏の気温は20℃前後まで上がり、季節外れの暖かさだった。
(天気 晴 距離 6㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 松戸市、歩数 13,200)
なお、戸定邸庭園は国の名勝に指定されたことから、市で完成当時の明治期の姿に復元
する工事を進めていて、来週の11月29日(火)から来年、平成29年夏頃まで公開禁
止になるとのこと。
このことや、戸定歴史館全般についのウェブサイトはこちらから。
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続カタツムリ歩行のゴール、浅間神社からの帰路は、神社の北側台地にある「戸定(と
じよう)が丘歴史公園」を回って松戸駅に戻ることにした。
神社境内の南端から国道6号沿いにV字状に折り返す。そばの広い民家の庭に実る、柿
やミカン、ピラカンサが塀越しに見える。
その先の野球のグランド横からは、豊富な木々に覆われた浅間神社の森が望まれる。
JRの車両センターへの引込線の下を東に抜けて、線路沿いを進む。千葉大園芸学部の
西門と思われる門が見えたので進んだが、立ち入り禁止の表示があり入れない。
門の手前、北側斜面に「維新の志士 従五位 竹内 啓先生の墓」の説明板があり、上の
斜面が墓地のようだが、墓石は確認できない。
近くに観音堂の小さな祠(ほこら)もある。
JRの引込線が常磐線の線路に合した横を少し上がり、戸定が丘歴史公園へ西側入口か
ら入った。
戸定が丘歴史公園は、明治維新で権力の座を離れた近代徳川家の住まいと庭園を一般公
開した唯一の場所とのこと。
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の弟・昭武(あきたけ)が1884に戸定
邸の座敷開きを行い、6年後に庭園の整備を終えたところ。かつては7万㎡を越えていた
敷地の約3分の1が、戸定が丘歴史公園になっているという。
林間のスロープを緩やかに上がり、戸定歴史館前に出た。館前の紅葉が鮮やかな彩り、
ジュウガツザクラも咲いている。
戸定歴史館では、徳川昭武の遺品を中心とする松戸徳川家伝来品や徳川慶喜家伝来品、
1867パリ万国博覧会関係資料の展示と、戸定邸と庭園の公開を行っているというので、
入館した(歴史館・戸定邸入館共通券240円)。
歴史館内には、慶喜と昭武の数々の資料や記録、写真、調度品などがあり、大政奉還後
の慶喜の動向や、昭武家家族の明治から昭和に至る活動状況などを興味深く観覧した(館
内は撮影禁止)。
次に歴史館の西南にある戸定邸と広い庭園を拝観する。
戸定邸は、明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物とのこと。1884
年の座敷開き後の増築もあり、9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23ある。
旧大名家の生活空間を伝える歴史的価値が高いことから、国の重要文化財に指定されて
おり、それら各部屋を順次巡る。
一番大きな表座敷棟↑からは、南と西に広がる庭園に出られるので庭園も一巡する。
旧徳川昭武庭園は、国指定名勝である。
建物周辺は広い芝生地が広がり、その先に築山や豊富な木々が大きく育っている。
高台なので、西側の樹間から展望が開ける。
南側にある数本の大きなモミジも、ちょうどよい彩り。
戸定邸と庭園の観覧を終え、南東に接する千葉大園芸学部と結ばれた園路にも回る。
園路沿いには東屋もあり、ホトトギスやツワブキが咲き残る。
先端の芝生広場を囲むケヤキやもモミジなども、よい彩りを見せていた。
1時間余り歴史公園内を観覧し、かやぶきの門を出ると、そばの大イチョウが黄葉に染
まっていた。
駅への途中、松戸市民会館前には「山崎直子宇宙飛行士スペースシャトル搭乗記念碑」
があった。
松戸市出身の山崎さんは、小学生の頃からこの市民会館のプラネタリウムに通いながら、
宇宙への夢を育んでいたという。
JR松戸駅には14時41分に戻り、8分後の常磐線上り快速電車で帰途についた。
首都圏の気温は20℃前後まで上がり、季節外れの暖かさだった。
(天気 晴 距離 6㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 松戸市、歩数 13,200)
なお、戸定邸庭園は国の名勝に指定されたことから、市で完成当時の明治期の姿に復元
する工事を進めていて、来週の11月29日(火)から来年、平成29年夏頃まで公開禁
止になるとのこと。
このことや、戸定歴史館全般についのウェブサイトはこちらから。
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