2016年2月11日(祝・木)
埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループがスタートしてから満23年目の
今日、第230回記念例会を開催した。集合地の東武アーバンパークライン(旧野田線)
岩槻駅では、駅舎の橋上化工事が進行中である。

初参加の上尾市の2人を加えて参加者は21人。20人を超える参加は3年前の記念例
会以来だ。4組に分かれ、駅前に飾られた「ミミズク土偶」を見て、10時15分に駅を
出た。
== 貝塚を回り久伊豆神社へ ==
駅前通りを南東へ。人形店には、3月のひな祭りを控えてひな飾りが並ぶ。

岩槻人形は江戸時代頃から起こり、現在の生産量は日本有数の位置を占めるという。

駅入口交差点で右折して県道2号・日光街道に入る。拡幅された通りには、蔵造りなど
の古い商店が幾つか見られる。


岩槻藩高札場跡に高札風の掲示板があり、江戸時代のことや「日光御成街道岩付宿絵図」
などが掲示されていた。



古い洋風建築の岩槻郷土資料館や八雲神社↑前を通過して、すぐ先の交差点を南東へ。
突き当たりが「岩槻大師」と呼ぶ弥勒密寺で、山門には大きな提灯(ちょうちん)が下が
る。

奈良時代開創の古寺で、関東三十六不動霊場第31番札所とか。本堂地下仏殿では、四
国八十八か所お砂踏み遍路が出来るという。


鐘楼の周囲に小さな三十六童子像が並び、境内には人形大師なども祭られ、山門を囲む
塀の中には小さな十三仏が並ぶ。山門近くの枝垂れの白梅が見頃になっていた。

南に下って国道16号を渡り、そばのニトリでトイレを借りる。原町の住宅街を東へ、
城南一丁目の岩槻高の南東端から左にカーブする道を進むと、左手の広い空き地が国史跡
の真福寺(しんぷくじ)貝塚である。

縄文後期から晩期にかけての貝塚・集落跡で、台地には貝塚が直径100mの円形に分
布し、多数の住まいも予想されるとか。貝塚には貝や動物、魚の骨などが残され、駅前に
飾られたミミズク土偶も、この地から出土したものという。
道路の西側、樹林帯と畑の間の地図に無い土の道を西進する。周辺には樹木畑や広葉樹
林が増え、穏やかな景観が広がる。

西側の道路際に、小さな鶴姫神社の社殿があった。岩槻城主太田氏の娘、鶴姫が若くし
て亡くなり、生前彼女が好きだったこの場所に祭ったものらしい。


古木の桃の並ぶ畑や、盆栽用の松を育てる樹木畑の横などを通過して柏崎小の南を回り、
サクラやケヤキなど豊富な木々に囲まれた、昼食地の久伊豆(ひさいず)神社に12時9
分に着いた。

なんとここは、グループ発足の23年前の今日の昼食地。当日は雲ってうす寒い日だっ
た。「やまさん」こと山浦正昭さんのお声がけで集まった初対面の15人が昼食をして、
記念撮影もしたことを思い出す(下の写真は、当日やまさんが撮って会報準備号に掲載し
たもの)。

当日のメンバーで、今日も参加は5人だけ。
拝殿は修復工事をするのか、パイプの足場が組まれていた。その周辺と本殿付近で昼食
をする。

== 目白大前から巻の上バス停へ ==

ミーティングと記念撮影を終え、13時15分に午後のコースに向かう。柏崎小東側の
車道を少し南下して西へ、地図上の水田は休耕地に変わっていた。
南に延びる細い水路沿いの土の道に入り、真っ直ぐに600mほど進む。この辺りは古
代は海の中で、東側に続く緩やかにカーブする台地が陸地の縁だったという。

密生した竹林の横や、何種類かの樹木畑の横などを通過する。わずかに左カーブしたこ
ろの雑草地に枯れたガマの穂がたくさん残り、それを刈る人が来ていた。


車道を横断して東側の台地に上がり、地図に無い土道を進む。


北側の大きな白梅が満開である。


目白大学↑の南側を通過し、わずかに残る旧武州鉄道(蓮田ー神根(川口市))の廃線
跡を確認する。

武州鉄道は大正13年(1924)に開業したが、昭和13年(1938)に営業廃止
しており、わずか14年の営業だったという。
畑や住宅の間の細道を抜けて、大規模な老人福祉センター、槻寿苑の公園で休憩する。

東側に続く環境センターの北側を進み、県道214号を横断して笹久保集落へ。南側に、
Jリーグ一部、浦和レッズの本拠地「埼玉スタジアム2002」が望まれる。

少し迂回してNTTの建物横を通過し北東へ。畑の隅に早春を彩るフクジュソウが咲い
ていた。

自転車をたくさん積み重ねた集積地の横を進み、右カーブする辺りで東側の畑に入ると
貝殻らしい小さな白い破片が目に付く。この辺りは黒谷(くろや)貝塚だったようで、白
い破片は縄文時代の貝だろうか…。


黒谷久伊豆神社↑と光善院前を通過し、その先の細道を入る。南北に長い田園地帯を前
にした台地の下り際は、昔はいわゆる姥捨ての地だったとか。言われてもその痕跡は何も
感じられぬ空き地だ。


田園地帯の西側を走る黒谷落と呼ぶ流れ沿いに出た。桜並木の続く道を進んで、和戸住
宅公園の池の南側で小休止する。


池のすぐ北にある今日の担当のAさん宅の横を過ぎ、田んぼの中を東に抜けて伊藤パン
の工場の南側を通過して、ゴールの巻の上バス停に15時34分に着いた。

間もなく来た岩槻駅行き朝日バスに乗る。
(参加 21人、天気 快晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地
さいたま市岩槻区、歩数 19,500)

市街地に入った東町二丁目バス停でバスを下り、近くのスーパーで飲み物を調達して、
今日の担当のAさんが貸し切ってくれたカフェに入り、23周年の記念の集いを開く。


2時間ほど歓談して外に出た頃にはすっかり暗くなり、西の空には上弦の月が望まれた。

アウトドア ブログランキングへ

にほんブログ村
埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループがスタートしてから満23年目の
今日、第230回記念例会を開催した。集合地の東武アーバンパークライン(旧野田線)
岩槻駅では、駅舎の橋上化工事が進行中である。

初参加の上尾市の2人を加えて参加者は21人。20人を超える参加は3年前の記念例
会以来だ。4組に分かれ、駅前に飾られた「ミミズク土偶」を見て、10時15分に駅を
出た。

== 貝塚を回り久伊豆神社へ ==
駅前通りを南東へ。人形店には、3月のひな祭りを控えてひな飾りが並ぶ。

岩槻人形は江戸時代頃から起こり、現在の生産量は日本有数の位置を占めるという。

駅入口交差点で右折して県道2号・日光街道に入る。拡幅された通りには、蔵造りなど
の古い商店が幾つか見られる。


岩槻藩高札場跡に高札風の掲示板があり、江戸時代のことや「日光御成街道岩付宿絵図」
などが掲示されていた。



古い洋風建築の岩槻郷土資料館や八雲神社↑前を通過して、すぐ先の交差点を南東へ。
突き当たりが「岩槻大師」と呼ぶ弥勒密寺で、山門には大きな提灯(ちょうちん)が下が
る。

奈良時代開創の古寺で、関東三十六不動霊場第31番札所とか。本堂地下仏殿では、四
国八十八か所お砂踏み遍路が出来るという。


鐘楼の周囲に小さな三十六童子像が並び、境内には人形大師なども祭られ、山門を囲む
塀の中には小さな十三仏が並ぶ。山門近くの枝垂れの白梅が見頃になっていた。

南に下って国道16号を渡り、そばのニトリでトイレを借りる。原町の住宅街を東へ、
城南一丁目の岩槻高の南東端から左にカーブする道を進むと、左手の広い空き地が国史跡
の真福寺(しんぷくじ)貝塚である。

縄文後期から晩期にかけての貝塚・集落跡で、台地には貝塚が直径100mの円形に分
布し、多数の住まいも予想されるとか。貝塚には貝や動物、魚の骨などが残され、駅前に
飾られたミミズク土偶も、この地から出土したものという。
道路の西側、樹林帯と畑の間の地図に無い土の道を西進する。周辺には樹木畑や広葉樹
林が増え、穏やかな景観が広がる。

西側の道路際に、小さな鶴姫神社の社殿があった。岩槻城主太田氏の娘、鶴姫が若くし
て亡くなり、生前彼女が好きだったこの場所に祭ったものらしい。


古木の桃の並ぶ畑や、盆栽用の松を育てる樹木畑の横などを通過して柏崎小の南を回り、
サクラやケヤキなど豊富な木々に囲まれた、昼食地の久伊豆(ひさいず)神社に12時9
分に着いた。

なんとここは、グループ発足の23年前の今日の昼食地。当日は雲ってうす寒い日だっ
た。「やまさん」こと山浦正昭さんのお声がけで集まった初対面の15人が昼食をして、
記念撮影もしたことを思い出す(下の写真は、当日やまさんが撮って会報準備号に掲載し
たもの)。

当日のメンバーで、今日も参加は5人だけ。
拝殿は修復工事をするのか、パイプの足場が組まれていた。その周辺と本殿付近で昼食
をする。

== 目白大前から巻の上バス停へ ==

ミーティングと記念撮影を終え、13時15分に午後のコースに向かう。柏崎小東側の
車道を少し南下して西へ、地図上の水田は休耕地に変わっていた。
南に延びる細い水路沿いの土の道に入り、真っ直ぐに600mほど進む。この辺りは古
代は海の中で、東側に続く緩やかにカーブする台地が陸地の縁だったという。

密生した竹林の横や、何種類かの樹木畑の横などを通過する。わずかに左カーブしたこ
ろの雑草地に枯れたガマの穂がたくさん残り、それを刈る人が来ていた。


車道を横断して東側の台地に上がり、地図に無い土道を進む。


北側の大きな白梅が満開である。


目白大学↑の南側を通過し、わずかに残る旧武州鉄道(蓮田ー神根(川口市))の廃線
跡を確認する。

武州鉄道は大正13年(1924)に開業したが、昭和13年(1938)に営業廃止
しており、わずか14年の営業だったという。
畑や住宅の間の細道を抜けて、大規模な老人福祉センター、槻寿苑の公園で休憩する。

東側に続く環境センターの北側を進み、県道214号を横断して笹久保集落へ。南側に、
Jリーグ一部、浦和レッズの本拠地「埼玉スタジアム2002」が望まれる。

少し迂回してNTTの建物横を通過し北東へ。畑の隅に早春を彩るフクジュソウが咲い
ていた。


自転車をたくさん積み重ねた集積地の横を進み、右カーブする辺りで東側の畑に入ると
貝殻らしい小さな白い破片が目に付く。この辺りは黒谷(くろや)貝塚だったようで、白
い破片は縄文時代の貝だろうか…。


黒谷久伊豆神社↑と光善院前を通過し、その先の細道を入る。南北に長い田園地帯を前
にした台地の下り際は、昔はいわゆる姥捨ての地だったとか。言われてもその痕跡は何も
感じられぬ空き地だ。


田園地帯の西側を走る黒谷落と呼ぶ流れ沿いに出た。桜並木の続く道を進んで、和戸住
宅公園の池の南側で小休止する。


池のすぐ北にある今日の担当のAさん宅の横を過ぎ、田んぼの中を東に抜けて伊藤パン
の工場の南側を通過して、ゴールの巻の上バス停に15時34分に着いた。

間もなく来た岩槻駅行き朝日バスに乗る。
(参加 21人、天気 快晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地
さいたま市岩槻区、歩数 19,500)

市街地に入った東町二丁目バス停でバスを下り、近くのスーパーで飲み物を調達して、
今日の担当のAさんが貸し切ってくれたカフェに入り、23周年の記念の集いを開く。


2時間ほど歓談して外に出た頃にはすっかり暗くなり、西の空には上弦の月が望まれた。



にほんブログ村