2014年10月26日(日)
今朝も好天である。斜面になっている宿の庭の上部にあるニシキギがよい彩り。
玄関前で記念撮影をして、8時15分に「季節のお宿ひみね」を後にした。
国道137号を少し上がり、「戸倉遊歩道」の標識を左に下って金川の橋を渡り、対岸
の戸倉集落の戸蔵神社に上がる。
社殿は杉木立に囲まれ、傍らに養蚕ゆかりの「蠶影山」碑や、ほこらに祭られた道祖神
がある。
境内から見える南側の山並み上部は、紅葉の彩りが進んでいた。
国道に戻り、宿のすぐ先から国道の右に平行する旧道に入ると、近年延長されたリニア
実験線の線路が行く手の谷間を横切っている。
だが、線路はドームに覆われ、列車が通過しても見えそうにない。
新上宿集落の入口付近に、宿の名と同じ檜峰(ひみね)神社の鳥居だけが立ち、集落の
中ほどには洗宇神社↓が祭られていた。
近くには、この道が奈良・平安初期頃賑わった官道、御坂路(みさかじ)であることの
説明板がある。リニア新幹線の高架橋は、すぐ先のカーブ点の上を通過している。
坂野集落を抜けて道場集落へ。老人ホームと隣接した称願寺に裏手から入り、どっしり
した本堂の前で小休止する。
称願寺は、正応5年(1292)に黒駒領主讃岐守信基の帰依により真教上人が開創し
た、県下で最古の時宗の寺とか。国重要文化財の木造他真教上人座像をはじめ、市文化財
も多いという。
境内には「称願寺のサクラ」と呼ぶ、樹齢400~500年と推定されるヤマザクラ系
の園芸種、ゴシンザクラ(御信桜)の古木がある。
花と葉が同時に開き、独特の花の形や色あいなど、県下でも珍しい桜のようだ。
何の祈願か分からぬが、西側の木の枝から枝に、見たことのない形の小片が幾つか下が
っていた。
さらに旧道を緩やかに下る。駒留集落の八幡宮↑のそばに、この道が御坂峠を越えて河
口湖、山中湖、御殿場へと続く鎌倉街道御坂路であることを記した掲示板がある。
若宮集落を通過し、国道がバイパスと分流する若宮交差点際にあったディリーヤマザキ
で、残り少ない品数から昼食を調達する。
国道を横断して山側に回り、少し斜面を上がったが、予定した八反田方向でなく南に向
かっていた。次の十字路で気付き、右折し西に向かう。だが、この辺りは甲府盆地東部を
見下ろす絶好のビューポイントだった。
杉木立に囲まれた小さい神社周辺で、拾いものの展望を楽しむ。
少し先で、完成していた地形図上は「建設中」の道路に入る。500m余りで旧道に戻
り、南側の通用門から「桃源郷公園」に入った。
中央部の高台にモニュメントが立ち、眼下の甲府盆地の桃の郷や周辺を囲む山並みなど、
三百六十度の大展望地である。だが今日の南アルプス上部は雲に隠され、昨日の勝沼ぶど
う郷駅からのような展望は得られなかった。
自販機のアイスクリームを求めてのどを潤したりして30分近く休憩し、11時12分
に公園を出た。
葉の色づくブドウ畑の間を西進して尾山集落へ。集落の中ほどにあった古民家を活用し
た「パモニルパフ」と呼ぶ美容院の道路際に、手作りのツリーハウスがあった。
美容院の宣伝用に造ったとのこと。美容院では午後、ライブが行われるようで、楽器を
積んだ車が到着していた。
次の蕎麦塚集落の光国寺に、11時38分に入る。北側道路側に鐘楼門があり、大きな
本堂も北向き。
梵鐘の下がる鐘楼門の2階天井には、龍が描かれていた。
西側の墓地には、大きな観音像と、それより小さいお地蔵さんが立っている。
ご住職に断り、鐘楼門脇の建物の縁側を借りて昼食にする。
12時近くなったらご住職が鐘楼に上がり、正午を告げる鐘を12回突かれた。
毎日実施していて、ご住職がお出かけの際は、誰か残って代わりを務めるという。周辺
のブドウ畑で作業している方にも分かる、よい時の鐘と感心した。
12時30分に光国寺を出て、集落の中ほどから南進する。
無住らしい宝林院↑前を通過して、ビニールハウスとブドウや桃の果樹畑の中を進んで
二つの流れを渡り、西進して小山城跡に行く。
浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された武田時代の城で、宝徳2年(1450)に
穴山伊豆守が居住し、幾多の変遷を経て南部氏に守られていたが、天文17年(1548)
に武田晴信の為罪により廃城になったとのこと。
天正10年(1582)の甲斐国騒乱時には、御坂城の北条勢に対峙(たいじ)して徳
川家康が鳥居彦右衛門に城を修復させ、騎馬130、雑兵600人で守らせたと伝えられ
るという。
周囲のよく残された土塁にはソメイヨシノが植えられ、土塁に囲まれた中心の郭(くる
わ)部は整地されていたが、ロープが張られて入れない。
東側の虎口部から北に回ると、眼下のモモ畑や石和の市街地方面の展望が広がる。
八千蔵集落の西側を回って二宮集落に入り、美和神社で休憩する。
美和神社は、景行天皇の御代、日本武尊により大和の大三輪神社を勧請したという甲斐
国内の古社。
一条天皇の時代に甲斐国二之宮となり、毎年、一宮の浅間神社などとともに甲斐国水防
の祭りを執り行っていたようだ。
国指定重要文化財の木造大物主神立像ほか、県文化財や市文化財など文化財を多く所蔵
し、古来から伝わる太々神楽(だいだいかぐら)は県の無形文化財に指定されているとい
う。
バスに間に合わせるために、ここからは先を急ぐ。中央自動車道下を北に抜け、国衙
(こくが)集落を北西に回り、今日のゴール予定地、県立博物館構内に入る。
館内で聞いたバス停に14時18分に着き、14時20分発のバスにかろうじて間にあ
った。
8分遅れで来た甲府駅行きバスに乗り、石和温泉駅には行かないというので石和温泉駅
入口バス停で降り、予定外の800m余りをさらに駅に向かって歩く。
途中に鮮やかな紅葉も見られたが、ゆっくり眺める時間もなく進み、14時50分に
JR石和温泉駅に着いた。急ぎ階段を上がり、5分後の高尾行き上り電車に何とか乗るこ
とができた。
(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 石和、歩行地 笛吹市、歩数
24,600、累積標高差 上り約120m、下り約450m)
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今朝も好天である。斜面になっている宿の庭の上部にあるニシキギがよい彩り。
玄関前で記念撮影をして、8時15分に「季節のお宿ひみね」を後にした。
国道137号を少し上がり、「戸倉遊歩道」の標識を左に下って金川の橋を渡り、対岸
の戸倉集落の戸蔵神社に上がる。
社殿は杉木立に囲まれ、傍らに養蚕ゆかりの「蠶影山」碑や、ほこらに祭られた道祖神
がある。
境内から見える南側の山並み上部は、紅葉の彩りが進んでいた。
国道に戻り、宿のすぐ先から国道の右に平行する旧道に入ると、近年延長されたリニア
実験線の線路が行く手の谷間を横切っている。
だが、線路はドームに覆われ、列車が通過しても見えそうにない。
新上宿集落の入口付近に、宿の名と同じ檜峰(ひみね)神社の鳥居だけが立ち、集落の
中ほどには洗宇神社↓が祭られていた。
近くには、この道が奈良・平安初期頃賑わった官道、御坂路(みさかじ)であることの
説明板がある。リニア新幹線の高架橋は、すぐ先のカーブ点の上を通過している。
坂野集落を抜けて道場集落へ。老人ホームと隣接した称願寺に裏手から入り、どっしり
した本堂の前で小休止する。
称願寺は、正応5年(1292)に黒駒領主讃岐守信基の帰依により真教上人が開創し
た、県下で最古の時宗の寺とか。国重要文化財の木造他真教上人座像をはじめ、市文化財
も多いという。
境内には「称願寺のサクラ」と呼ぶ、樹齢400~500年と推定されるヤマザクラ系
の園芸種、ゴシンザクラ(御信桜)の古木がある。
花と葉が同時に開き、独特の花の形や色あいなど、県下でも珍しい桜のようだ。
何の祈願か分からぬが、西側の木の枝から枝に、見たことのない形の小片が幾つか下が
っていた。
さらに旧道を緩やかに下る。駒留集落の八幡宮↑のそばに、この道が御坂峠を越えて河
口湖、山中湖、御殿場へと続く鎌倉街道御坂路であることを記した掲示板がある。
若宮集落を通過し、国道がバイパスと分流する若宮交差点際にあったディリーヤマザキ
で、残り少ない品数から昼食を調達する。
国道を横断して山側に回り、少し斜面を上がったが、予定した八反田方向でなく南に向
かっていた。次の十字路で気付き、右折し西に向かう。だが、この辺りは甲府盆地東部を
見下ろす絶好のビューポイントだった。
杉木立に囲まれた小さい神社周辺で、拾いものの展望を楽しむ。
少し先で、完成していた地形図上は「建設中」の道路に入る。500m余りで旧道に戻
り、南側の通用門から「桃源郷公園」に入った。
中央部の高台にモニュメントが立ち、眼下の甲府盆地の桃の郷や周辺を囲む山並みなど、
三百六十度の大展望地である。だが今日の南アルプス上部は雲に隠され、昨日の勝沼ぶど
う郷駅からのような展望は得られなかった。
自販機のアイスクリームを求めてのどを潤したりして30分近く休憩し、11時12分
に公園を出た。
葉の色づくブドウ畑の間を西進して尾山集落へ。集落の中ほどにあった古民家を活用し
た「パモニルパフ」と呼ぶ美容院の道路際に、手作りのツリーハウスがあった。
美容院の宣伝用に造ったとのこと。美容院では午後、ライブが行われるようで、楽器を
積んだ車が到着していた。
次の蕎麦塚集落の光国寺に、11時38分に入る。北側道路側に鐘楼門があり、大きな
本堂も北向き。
梵鐘の下がる鐘楼門の2階天井には、龍が描かれていた。
西側の墓地には、大きな観音像と、それより小さいお地蔵さんが立っている。
ご住職に断り、鐘楼門脇の建物の縁側を借りて昼食にする。
12時近くなったらご住職が鐘楼に上がり、正午を告げる鐘を12回突かれた。
毎日実施していて、ご住職がお出かけの際は、誰か残って代わりを務めるという。周辺
のブドウ畑で作業している方にも分かる、よい時の鐘と感心した。
12時30分に光国寺を出て、集落の中ほどから南進する。
無住らしい宝林院↑前を通過して、ビニールハウスとブドウや桃の果樹畑の中を進んで
二つの流れを渡り、西進して小山城跡に行く。
浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された武田時代の城で、宝徳2年(1450)に
穴山伊豆守が居住し、幾多の変遷を経て南部氏に守られていたが、天文17年(1548)
に武田晴信の為罪により廃城になったとのこと。
天正10年(1582)の甲斐国騒乱時には、御坂城の北条勢に対峙(たいじ)して徳
川家康が鳥居彦右衛門に城を修復させ、騎馬130、雑兵600人で守らせたと伝えられ
るという。
周囲のよく残された土塁にはソメイヨシノが植えられ、土塁に囲まれた中心の郭(くる
わ)部は整地されていたが、ロープが張られて入れない。
東側の虎口部から北に回ると、眼下のモモ畑や石和の市街地方面の展望が広がる。
八千蔵集落の西側を回って二宮集落に入り、美和神社で休憩する。
美和神社は、景行天皇の御代、日本武尊により大和の大三輪神社を勧請したという甲斐
国内の古社。
一条天皇の時代に甲斐国二之宮となり、毎年、一宮の浅間神社などとともに甲斐国水防
の祭りを執り行っていたようだ。
国指定重要文化財の木造大物主神立像ほか、県文化財や市文化財など文化財を多く所蔵
し、古来から伝わる太々神楽(だいだいかぐら)は県の無形文化財に指定されているとい
う。
バスに間に合わせるために、ここからは先を急ぐ。中央自動車道下を北に抜け、国衙
(こくが)集落を北西に回り、今日のゴール予定地、県立博物館構内に入る。
館内で聞いたバス停に14時18分に着き、14時20分発のバスにかろうじて間にあ
った。
8分遅れで来た甲府駅行きバスに乗り、石和温泉駅には行かないというので石和温泉駅
入口バス停で降り、予定外の800m余りをさらに駅に向かって歩く。
途中に鮮やかな紅葉も見られたが、ゆっくり眺める時間もなく進み、14時50分に
JR石和温泉駅に着いた。急ぎ階段を上がり、5分後の高尾行き上り電車に何とか乗るこ
とができた。
(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 石和、歩行地 笛吹市、歩数
24,600、累積標高差 上り約120m、下り約450m)
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