あるきメデス

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所沢航空発祥記念館で零戦を見る(埼玉)

2013-08-30 18:29:30 | 美術館・博物館等の観覧
 2013年8月30日(金)

 ここ数日、猛暑が少し治まっていたかと思ったら昨日からまたぶり返し、今日は所沢で
も34℃を超えたようです。

 引き続き雪の見える風景を紹介しようと思っていたのですが、今日は、午前中にウオー
キングを兼ねて出かけた所沢航空発祥記念館で、明日まで展示中の零戦(通称ゼロせん)
を見てきたので、そちらをご覧いただくことにします。

 何度か紹介していますが、所沢航空発祥記念館は、日本最初の飛行場があった所沢航空
記念公園内にある埼玉県の施設です。



 ここでは、「日本の航空技術100年」と題する特別展示を行っていて、その一環で零
戦の実機の展示や、零戦を設計した堀越二郎関連の展示を開催しているのです。







 メイン展示場である大型ドームに入ると、飛行機やヘリコプターなどが並び、その一角
に堀越二郎の生涯を紹介するパネルや資料が並んでいました。




 ちなみに、堀越二郎を描いた宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」が、いま各地で公開
中で、28日から開催中の第70回ベネチア国際映画祭にも参加しているのは、多くの方
がご存じのことと思います。





 堀越二郎自筆のノートも。


 陸軍から零戦に求められた性能。




 戦後の堀越二郎の足跡の一部。


 零戦の模型。零戦の正式名称は「海軍零式(れいしき)艦上戦闘機五二型」のようです。


 これらの展示の先に、零戦の実機を展示するコーナーがあり、そこに入るには展示館の
入館料大人500円(65歳以上400円)の他に500円が必要でした。


 零戦は、1937(昭和12)年、日本海軍が九六式艦上戦闘機の成功や日中戦争での
経験を踏まえて後続戦闘機の試作を航空機メーカーに命じ、それに応じた三菱航空機技師
の堀越二郎の設計により作られ、1939年に初飛行に成功し、その後、三菱航空機と中
島飛行機で日本の航空史上最高の10,500機が生産されたようです。

 
 この飛行機は、1944(昭和19)年6月にサイパン島で米国海兵隊により無傷状態
で捕獲され、その後民間に払い下げられ、1957年にPLANES OF FAMEの
創設者が引き取り、それを借用して展示しているのです。

 エンジンをはじめ、多くの部品がオリジナルのまま飛行可能な、世界で唯一の機体との
こと。


 機体の下に展示されていたもの。左から20㎜固定機銃、13㎜固定機銃、慣性起動機
(エナーシャ)と呼ぶ装置。




 階段を上がって上からも見られるようになっています。


 特別展示が終わるのと、一昨日にNHK総合テレビの関東ローカルのニュースでエンジ
ン始動の模様が放映されたからか、かなりの参観者でした。


 搭乗席周辺




 最終日の明日は、さらに入館者も増えることでしょう。

 比較にならないかもしれませんが、零戦と、堀越二郎も設計に参加した戦後の日本の
民間航空機YS-11、そして最近フランス旅行で乗ったエアバスの大型機A380-
800とを比べてみました。

               零 戦     YS-11  エアバスA380-800   

 全  幅         11.0m     32.0m     79.8m

 全  長          9.1m     26.3m     72.7m

 最大速度         565㎞/h     469㎞     907㎞
 (旅客機は巡航速度)
 航続距離        1,920㎞    1,310㎞   12,000㎞

 乗員数(旅客機は旅客数)   1名     60~64名    526名 

 蛇足ながら、YS-11は1962年(昭和37年)の今日、名古屋空港から初めての
試験飛行に成功したことが、今日の朝日新聞夕刊に紹介されています。

 



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コメント (1)
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