最近の市内ウオーキングでは、スーパーを回るのが日課のようになっています。
東北関東大震災後、品薄になっている牛乳、納豆、ヨーグルト、アクエリアスなどが
入手できないか、いくつものスーパーを回って、確かめているからです。
昨日は6つの、今日(3月30日)は7つのスーパーを回ってみました。牛乳はほぼ
以前のように出回るようになりましたが、納豆は限られた数しかなく、ヨーグルトは
どこにもありませんでした。
昨日最後に回ったスーパーに、2リットル入りのアクエリアスがあったので、一つだ
け購入してきました。
でも、わずかな食べ物しかなく、暖房もあるかなしで避難生活を送っておられる、被
災者の方々に比べれば、まだ恵まれているといわなければなりません。
被災者の方々が、もとの生活に戻れる日が1日も早く来られるよう、お祈り申し上げ
ます。
====================================
第2日 2011年2月25日(金)
=内子駅から小田川、吉野川沿いに=
5時40分起床、6時20分から朝食をして、7時25分頃ときわ旅館を出る。
高校生の通学列車になっている伊予大洲駅7時50分発松山行きに乗り、内子(うちこ)
駅に8時6分に着く。
ここから、昨年3月に区切りとした四国遍路後半の再開である。今日は、霊場への参拝
はないので白衣は着けず、菅笠もザックにくくりつけて出発する。
下芳我邸↑など、古い建物の残る通りを抜け、国道56号に出た。コンビニ・サンクスで
弁当を仕入れ、小田川沿いへ。近くの道の駅内子フレッシュパークに寄ったら、ここにも
弁当はあった。
小田川右岸沿いに走る、国道379号を上流に向かう。道路沿いのナノハナが咲き出し
ていた。
長岡山トンネルを出たところにある、お遍路無料宿で休憩する。
国道には、左側に幅広い歩道があり、車も少ないので安心して進める。上和田の柿選果
場前を通過した。内子町は柿の産地である。
大瀬で国道は左岸に回るが、ここから右岸の旧道に入る。大瀬郵便局に寄り、チョッキ、
ロープなどをゆうパックで自宅に返送し、わずかながら軽量化を図った。
いつも気にしながら通るのだが、今回もここ出身の作家・大江健三郎さんの生家は分か
らなかった。
曽我十郎首塚登山口を過ぎると、番外霊場である千人宿大師堂↑と楽水(らくすい)大師堂
が続く。
楽水大師堂のそばに、「筏(いかだ)の里川登」の説明板があり、その手前から国道を拡幅
していて、こちら側は旧道となっていた。
新しい国道に出たところにあった、バス停でもある梅津休憩所で昼食とする。
白い幹の、内子特産の柿畑が増える。道路上に、魔除けだろうか、わら細工などが下がっ
ていた。
間もなく突合(つきあわせ)の分岐点へ。
前回は右折して小田川沿いの小田に向かったが、今回は左折して吉野川沿いの国道379
号に入る。
川沿いに、新しいヘンロ小屋38号内子があった。ほかに、国道沿いの内子町営バスの各
停留所は、ログハウスか東屋なので、どこも良い休憩所として使わせてもらえる。
ゆうパックで一部返送したものの、午後になるとザックの荷が重く感じ、腰への負担もあり
ペースが上がらず、ゆっくりと進む。
上田渡(かみたど)の薬師堂↑横に、ログハウスの休憩舎とトイレがあったので、最後の休憩
をした。
午前中は雲が多かったが、正午前後から太陽が出て気温が上がったので、薄手のシャツ
だけになり、菅笠も被ることにした。
「落合トンネルを出たあたりで電話をすれば迎えに行く」と宿から言われていたが、15時前
なのでそのまま川沿いを離れて砥部町(とべちよう)に入る。今日の宿、たちばな旅館には、
15時25分に着いた。
建物は新しく、風呂も明るく使いよい。広い部屋に2人分の布団が敷いてあり、到着後間も
なく入浴できた。風呂場に、はかりがあったので、ザックとずだ袋の重量を量る。あわせて約
8㎏だった。
腰痛がやはりきつく、明日の行程をどうしようか一考したが、予定通り国民宿舎古岩屋荘に
予約の電話を入れる。
夕食は、17時20分過ぎから。同宿は、昭和19年生まれという山形市の男性のみ。4回目
の遍路で、通し打ちとのことだった。
【コースタイム】内子駅8・10ーサンクス8・30~37ー道の駅内子8・43~48^中土橋BS9・16
ーお遍路無料宿9・55~10・03ー大瀬郵便局10・53~11・03ー川口橋BS11・20~25ー千人
宿大師堂12・00ー楽水大師12・11~15ー梅津休憩所(昼食)12・34~13・04ーへんろ小屋38
号内子13・25~28ー新田八幡神社14・15ー落合トンネル入口15・00ーたちばな旅館15・25
(天気 曇後晴、距離 23㎞、歩行地 内子町、砥部町、歩数 40,800、遍路地図 54ー2、
54ー3、55ー1図)
東北関東大震災後、品薄になっている牛乳、納豆、ヨーグルト、アクエリアスなどが
入手できないか、いくつものスーパーを回って、確かめているからです。
昨日は6つの、今日(3月30日)は7つのスーパーを回ってみました。牛乳はほぼ
以前のように出回るようになりましたが、納豆は限られた数しかなく、ヨーグルトは
どこにもありませんでした。
昨日最後に回ったスーパーに、2リットル入りのアクエリアスがあったので、一つだ
け購入してきました。
でも、わずかな食べ物しかなく、暖房もあるかなしで避難生活を送っておられる、被
災者の方々に比べれば、まだ恵まれているといわなければなりません。
被災者の方々が、もとの生活に戻れる日が1日も早く来られるよう、お祈り申し上げ
ます。
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第2日 2011年2月25日(金)
=内子駅から小田川、吉野川沿いに=
5時40分起床、6時20分から朝食をして、7時25分頃ときわ旅館を出る。
高校生の通学列車になっている伊予大洲駅7時50分発松山行きに乗り、内子(うちこ)
駅に8時6分に着く。
ここから、昨年3月に区切りとした四国遍路後半の再開である。今日は、霊場への参拝
はないので白衣は着けず、菅笠もザックにくくりつけて出発する。
下芳我邸↑など、古い建物の残る通りを抜け、国道56号に出た。コンビニ・サンクスで
弁当を仕入れ、小田川沿いへ。近くの道の駅内子フレッシュパークに寄ったら、ここにも
弁当はあった。
小田川右岸沿いに走る、国道379号を上流に向かう。道路沿いのナノハナが咲き出し
ていた。
長岡山トンネルを出たところにある、お遍路無料宿で休憩する。
国道には、左側に幅広い歩道があり、車も少ないので安心して進める。上和田の柿選果
場前を通過した。内子町は柿の産地である。
大瀬で国道は左岸に回るが、ここから右岸の旧道に入る。大瀬郵便局に寄り、チョッキ、
ロープなどをゆうパックで自宅に返送し、わずかながら軽量化を図った。
いつも気にしながら通るのだが、今回もここ出身の作家・大江健三郎さんの生家は分か
らなかった。
曽我十郎首塚登山口を過ぎると、番外霊場である千人宿大師堂↑と楽水(らくすい)大師堂
が続く。
楽水大師堂のそばに、「筏(いかだ)の里川登」の説明板があり、その手前から国道を拡幅
していて、こちら側は旧道となっていた。
新しい国道に出たところにあった、バス停でもある梅津休憩所で昼食とする。
白い幹の、内子特産の柿畑が増える。道路上に、魔除けだろうか、わら細工などが下がっ
ていた。
間もなく突合(つきあわせ)の分岐点へ。
前回は右折して小田川沿いの小田に向かったが、今回は左折して吉野川沿いの国道379
号に入る。
川沿いに、新しいヘンロ小屋38号内子があった。ほかに、国道沿いの内子町営バスの各
停留所は、ログハウスか東屋なので、どこも良い休憩所として使わせてもらえる。
ゆうパックで一部返送したものの、午後になるとザックの荷が重く感じ、腰への負担もあり
ペースが上がらず、ゆっくりと進む。
上田渡(かみたど)の薬師堂↑横に、ログハウスの休憩舎とトイレがあったので、最後の休憩
をした。
午前中は雲が多かったが、正午前後から太陽が出て気温が上がったので、薄手のシャツ
だけになり、菅笠も被ることにした。
「落合トンネルを出たあたりで電話をすれば迎えに行く」と宿から言われていたが、15時前
なのでそのまま川沿いを離れて砥部町(とべちよう)に入る。今日の宿、たちばな旅館には、
15時25分に着いた。
建物は新しく、風呂も明るく使いよい。広い部屋に2人分の布団が敷いてあり、到着後間も
なく入浴できた。風呂場に、はかりがあったので、ザックとずだ袋の重量を量る。あわせて約
8㎏だった。
腰痛がやはりきつく、明日の行程をどうしようか一考したが、予定通り国民宿舎古岩屋荘に
予約の電話を入れる。
夕食は、17時20分過ぎから。同宿は、昭和19年生まれという山形市の男性のみ。4回目
の遍路で、通し打ちとのことだった。
【コースタイム】内子駅8・10ーサンクス8・30~37ー道の駅内子8・43~48^中土橋BS9・16
ーお遍路無料宿9・55~10・03ー大瀬郵便局10・53~11・03ー川口橋BS11・20~25ー千人
宿大師堂12・00ー楽水大師12・11~15ー梅津休憩所(昼食)12・34~13・04ーへんろ小屋38
号内子13・25~28ー新田八幡神社14・15ー落合トンネル入口15・00ーたちばな旅館15・25
(天気 曇後晴、距離 23㎞、歩行地 内子町、砥部町、歩数 40,800、遍路地図 54ー2、
54ー3、55ー1図)