今年夏、8月12日から25日まで、ユースホステル発祥の地、ドイツを訪
ね、100年前に古城が初めてユースホステルとなったドイツ中西部の町、
アルテナなどを訪ね、その周辺を8日間のヴァンデルン(歩き旅)をしてきま
した。
その行程は、すでにカテゴリー「ドイツのウオーキング」で紹介しました。
でも、約2週間の旅で撮った写真が、まだたくさんあるので、今日から時々、
それらを幾つかの切り口に分けて紹介することとします。
夏の旅の紹介が、寒い冬となってしまいましたが、寒さを和らげる一助と
なれば幸いです。
最初は、ドイツを南北に貫くライン川の船旅の様子です。
===============================
ライン川は全長1320㎞、欧州大陸最大級の川で、スイスアルプスに源
を発し、ドイツを貫流してオランダで北海に注ぎます。
ドイツの中心部、マインツとケルンの間の中部ライン地方は、風光明媚な
村々とロマンチックな城砦(じょうさい)が並び、2002年にユネスコの世界
文化遺産に指定されました。
私たちが乗ったライン観光船は、このマインツとケルンの間、バッハラッハ
からコブレンツまでの約50㎞、3時間に近い船旅でした。
8月14日(金)、乗船したバッハラッハの船着場。
乗船したのが、このローレライ号。後に見える2隻も、観光船のよう。
バッハラッハを出て間もなくの、右岸の教会。
斜面に広がるブドウ畑。ドイツワインの原料になるもの。
思い思いに船旅を楽しむ人々。
観光船の船着場の一つ。
川沿いには、幾つもの古城がありましたが、これは城に付属の見張り所
か何かでしょうか。
観光船の上部後方デッキ。この日は夏とはいえ、曇って風が冷たく、皆さ
ん上着を羽織っていました。
ここがローレライ、高さ132mの大岩。ここは川幅がわずか90mに
狭まる通船の難所でした。
左岸に見えたオートキャンプ場。この付近2~3か所にありました。
古城は、このように山の上か中腹に設けられています。
ST.GOAR(サンクト・ゴアール)の町が近づきました。
6世紀に、飲食業者と陶器職の守護聖人だった聖ゴアールが創設した町で、
活発な郡庁所在地とか。
この町の船着場。日本人観光客のグループが、多数下船しました。
やはり、山の中腹に古城が残っています。
後半は、明日にでも紹介します。(続く)
ね、100年前に古城が初めてユースホステルとなったドイツ中西部の町、
アルテナなどを訪ね、その周辺を8日間のヴァンデルン(歩き旅)をしてきま
した。
その行程は、すでにカテゴリー「ドイツのウオーキング」で紹介しました。
でも、約2週間の旅で撮った写真が、まだたくさんあるので、今日から時々、
それらを幾つかの切り口に分けて紹介することとします。
夏の旅の紹介が、寒い冬となってしまいましたが、寒さを和らげる一助と
なれば幸いです。
最初は、ドイツを南北に貫くライン川の船旅の様子です。
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ライン川は全長1320㎞、欧州大陸最大級の川で、スイスアルプスに源
を発し、ドイツを貫流してオランダで北海に注ぎます。
ドイツの中心部、マインツとケルンの間の中部ライン地方は、風光明媚な
村々とロマンチックな城砦(じょうさい)が並び、2002年にユネスコの世界
文化遺産に指定されました。
私たちが乗ったライン観光船は、このマインツとケルンの間、バッハラッハ
からコブレンツまでの約50㎞、3時間に近い船旅でした。
8月14日(金)、乗船したバッハラッハの船着場。
乗船したのが、このローレライ号。後に見える2隻も、観光船のよう。
バッハラッハを出て間もなくの、右岸の教会。
斜面に広がるブドウ畑。ドイツワインの原料になるもの。
思い思いに船旅を楽しむ人々。
観光船の船着場の一つ。
川沿いには、幾つもの古城がありましたが、これは城に付属の見張り所
か何かでしょうか。
観光船の上部後方デッキ。この日は夏とはいえ、曇って風が冷たく、皆さ
ん上着を羽織っていました。
ここがローレライ、高さ132mの大岩。ここは川幅がわずか90mに
狭まる通船の難所でした。
左岸に見えたオートキャンプ場。この付近2~3か所にありました。
古城は、このように山の上か中腹に設けられています。
ST.GOAR(サンクト・ゴアール)の町が近づきました。
6世紀に、飲食業者と陶器職の守護聖人だった聖ゴアールが創設した町で、
活発な郡庁所在地とか。
この町の船着場。日本人観光客のグループが、多数下船しました。
やはり、山の中腹に古城が残っています。
後半は、明日にでも紹介します。(続く)