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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

我孫子・大正浪漫ウオーク(手賀沼一周)

2006-04-29 22:15:44 | ウオーキング
 「みどりの日」の今日、関東南部では午後、天候が不順になりましたが、緑を
求めてお出かけの方も多かったことと思います。

 私は、千葉県の北部にある手賀沼を一周する「第3回我孫子・大正浪漫ウオ
ーク」に参加しました。
 
 このウオークは、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の「手賀沼と我孫子
の歴史を訪ねるみち」のコースでもあります。

 集合地は、JR常磐線我孫子駅から10分ほどの手賀沼公園です。出発式を
して9時18分にスタートしました。距離は23km、それぞれがマイペースで
歩く自由歩行です。
 
 手賀沼は、東西約8km、南北は狭いところで500m、広いところでも1.2km
くらい、東西にかなり横長の沼です。

 葉桜になった桜並木の下にチラホラ咲き出したつつじの植え込みの続く、手賀
沼の北岸沿いの遊歩道を西進し、西端の北柏ふるさと公園に入ります。

 新緑の下にシバザクラがきれいに咲いていました。最西端の柏古里大橋を
渡り、「グリーンフェア柏」という催しで植木市やフリーマーケットが開かれて
いる、柏ふるさと公園を通過し、南岸に回ります。

 利根川の水を導水している北千葉導水ビジターセンターを通過、大津川の
ひどり橋を渡ると、しばらくはヨシキリの鳴く沼の芦原と、水が入って田植えの
始まろうとしている田んぼの広々とした展望が広がります。

 南側の遊歩道は、自転車道と歩行者道路がそれぞれ4mくらいずつあり、
自動車を気にせずに快適なウオーキングコースです。

 ほぼ中央にかかる手賀大橋下を通過し、さらに東へ遊歩道が続きます。対岸に
午後寄る「水の館」が近づいてきました。

 南東端近くで南側の丘陵に上がり、手賀の丘公園に入りました。ここは、カン
トリーウオーク仲間と例会で2度来たことがあり、木々が多く緑豊富な自然公園
です。八重桜もまだ咲いていました。

 公園の東側にある正門に抜け、北に下って再び沼の遊歩道に戻りました。
最東端の曙橋(写真)を渡って、少年野球のグランド横を通過して、北岸に回り
ます。

 野鳥などの保護をしているビオトープを過ぎ、滝下広場で12時21分から30
分間、芝草の上にシートを敷いて昼食にしました。

 間もなく、手賀沼浄化の拠点として整備された「水の館」、芝生の庭の一角
にはライラックが咲いています。展示ホールをちょっとだけ見学しました。

 いったん沼を離れ、高野山の住宅地に入ります。鳥の博物館と山科鳥類研究
所前を通過し、高野山小の背後で、国道356号に出て、西に進みます。

 800mほどで南側の寿二丁目の住宅地に入り、旧村川別荘に寄りました。
東大教授で西洋史の大家だった村川堅固(1875~1946)の別荘で、手賀
沼を見下ろす高台にありますが、現在はうっそうと木が茂り、沼は見えません。

 そぐ先は、「子の神大黒天」で、ねずみを使途とする大黒天を祭った大きな
神社です。珍しい金属板のわらじが、たくさん奉納されていました。

 台地下に下り、さらに西進すると志賀直哉邸跡(上の写真)があります。志賀
直哉はこの地に8年間住み、「城の崎にて」、「暗夜行路」などを執筆しました。

 そばには、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなど、白樺
派の作家の原稿や書簡などを展示しているという白樺文学館があります。

 その先で再度台地に上がって、楚人冠公園に入ります。朝日新聞の記者、
随筆家として活躍した、杉村楚人冠(1872~1945)の住居跡を小公園に
したものです。

 楚人冠は、石川啄木を世に出したことでも知られるようです。公園のツツジが
みごとな彩りを見せていました。

 近くには、講道館の創始者・嘉納治五郎の別荘跡や、庶民的な民芸品の美を
世に広く知らしめた柳 宗悦邸宅跡もあります。

 ゴールの手賀沼公園には、14時17分に戻りました。空が暗くなり雨が来そう
なので我孫子駅に急ぎ、着いた頃本降りとなりました。

 「みどりの日」にふさわしく、緑を一杯眺めながらのウオーク、ほとんどが湖岸
の遊歩道なので、車の危険もなく快適に歩けました。
コメント
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