2013年6月1日(土)
前日同様5時半に起床、6時半からホテルのレストランで朝食をして、6時半にトゥー
ル中央駅横のアリアンスホテルを出発する。昨日は曇りがちだったが、今朝は好天である。
今日は、モン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)を経てパリまで約655㎞の長旅
なので、ドライバーも昨日までのAさんに加え、ANさんとの2人体制になる。午前中に
向かうフランス北西部のモン・サン・ミッシェルまでは、トゥールから北西に約285㎞
である。
欧州道路E502号(高速自動車国道A28号)を北進する。今日も沿道にはエニシダ
のような黄色い花が見られる。1時間半ほど進んでトイレ休憩した。
さらに欧州道路E50号(高速自動車国道A11)からA84号、県道D155号など
を通過する。沿道には、ホルスタイン牛の牧場が目に付いた。
モン・サン・ミッシェルに近くなると、この地方に多いというヤドリギがあちこちで見
られる。
丘陵地帯を抜けて麦畑などの平原となり、遠方にモン・サン・ミッシェルが見えてきた。
近くまで進んでトライばーさんは、牧草地のところでバスを止めて短時間の写真撮影時間
を設けてくれた。
世界遺産の中でも日本女性には一番の人気観光地というだけに、その姿に感動して皆が
シャッターを押す。
その場所から10分ほどで、11時18分にモン・サン・ミッシェルの駐車場に着く。
少し早いが観光の前に、そばの「La Bergerie」というレストランでオムレツ料理の昼食を
する。
オムレツは、古くからここを訪れる巡礼者のために考え出された栄養料理で、モン・
サン・ミッシェルの人気料理だという。
食事を終え、近くのバス乗り場まで移動して、シャトルバスでモン・サン・ミッシェル
に向かう。
このシャトルバスは、前と後に運転台があるという珍しい作り。バスの乗車距離は2㎞
ほどである。
世界遺産・モン・サン・ミッシェルは、ノルマンディーとブルターニュ地方の境にある
遠浅の海に浮かぶ小島。周辺は潮の干満の差が大きく、海岸線が時速10㎞で18㎞も後
退することもあり、満潮時には「海に浮かぶ小島」になったという。
しかし、ここを目指した巡礼者が海を泳いで命を落としたので、19世紀に堤防で陸続
きにしたとのこと。ところが、近年は堤防が砂州化して景観が損なわれ、生態系も破壊さ
れたので、堤防を壊して鉄道橋を架ける工事が行われている。
バスを下りて眼前にそびえるモン・サン・ミッシェルを目指す。途中曇っていた天気が
すっかり回復し、素晴らしい展望である。でも、手前に海がないのが残念なことだ。
モン・サン・ミッシェルの歴史は、708年にノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使
ミカエルから「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」とのお告げを受けてつくられた修道院。
その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、11世紀から500年か
けて増改築された。14世紀には英国との百年戦争で城塞となり、15世紀後半に現在の
形になったという。
最初の門を↑入って跳ね橋のある「王の門」↓のアーチをくぐる。
グランド・リュ(Grande Rue)と呼ぶ狭い参道を進む。
両側には土産店、レストラン、カフェ、ホテルなどがびっしりと並び観光客でごった返
している。
折り返して上に見えるサン・ピエール教会に向かって石段を上がり建物に入る。中ほど
の通路には島古来の岩がそのまま露出したところもある。
さらに階段を上がり、外を展望できる西のテラスに出た。
海抜80mあり、南側眼下にシャトルバスで来た道路や工事中の鉄道線路などの展望が
広がり、西方には、はるか遠くまで緑の草原や森林などが続いている。
反対側のテラスに回ると、眼下の砂州や近くの島などが一望で、目を上に転じれば、サ
ン・ピエール修道院の尖塔で、最上部にはミカエルの像が望まれる。
中央にそびえるモン・サン・ミッシェル修道院に入った。
建物は、10~11世紀のロマネスク様式と12~13世紀のゴシック様式が混在して
いるという。
真ん中に緑の芝生などのある回廊に回る。
別の棟に回るための分岐点となるところで、列柱廊と呼ばれている柱は13世紀初頭の
建設とか。
次の棟にあった食堂の部屋↑は、両側にテーブルが分かれていて、修道僧たちは沈黙し
て食事をとっていたとのこと。
さらに幾つもの部屋を巡り、迎賓の間、太い柱の並ぶ礼拝堂、納骨堂などを抜ける。途
中に、大きな車輪があった。
修道院が牢獄として使われた1820年に、囚人用の食物を上階に運ぶために作られた
車輪のレプリカだという。
ほかのフロアの部屋も巡り、ミュージアムショップ↑を抜けて建物の北側に出た。
(続く)
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前日同様5時半に起床、6時半からホテルのレストランで朝食をして、6時半にトゥー
ル中央駅横のアリアンスホテルを出発する。昨日は曇りがちだったが、今朝は好天である。
今日は、モン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)を経てパリまで約655㎞の長旅
なので、ドライバーも昨日までのAさんに加え、ANさんとの2人体制になる。午前中に
向かうフランス北西部のモン・サン・ミッシェルまでは、トゥールから北西に約285㎞
である。
欧州道路E502号(高速自動車国道A28号)を北進する。今日も沿道にはエニシダ
のような黄色い花が見られる。1時間半ほど進んでトイレ休憩した。
さらに欧州道路E50号(高速自動車国道A11)からA84号、県道D155号など
を通過する。沿道には、ホルスタイン牛の牧場が目に付いた。
モン・サン・ミッシェルに近くなると、この地方に多いというヤドリギがあちこちで見
られる。
丘陵地帯を抜けて麦畑などの平原となり、遠方にモン・サン・ミッシェルが見えてきた。
近くまで進んでトライばーさんは、牧草地のところでバスを止めて短時間の写真撮影時間
を設けてくれた。
世界遺産の中でも日本女性には一番の人気観光地というだけに、その姿に感動して皆が
シャッターを押す。
その場所から10分ほどで、11時18分にモン・サン・ミッシェルの駐車場に着く。
少し早いが観光の前に、そばの「La Bergerie」というレストランでオムレツ料理の昼食を
する。
オムレツは、古くからここを訪れる巡礼者のために考え出された栄養料理で、モン・
サン・ミッシェルの人気料理だという。
食事を終え、近くのバス乗り場まで移動して、シャトルバスでモン・サン・ミッシェル
に向かう。
このシャトルバスは、前と後に運転台があるという珍しい作り。バスの乗車距離は2㎞
ほどである。
世界遺産・モン・サン・ミッシェルは、ノルマンディーとブルターニュ地方の境にある
遠浅の海に浮かぶ小島。周辺は潮の干満の差が大きく、海岸線が時速10㎞で18㎞も後
退することもあり、満潮時には「海に浮かぶ小島」になったという。
しかし、ここを目指した巡礼者が海を泳いで命を落としたので、19世紀に堤防で陸続
きにしたとのこと。ところが、近年は堤防が砂州化して景観が損なわれ、生態系も破壊さ
れたので、堤防を壊して鉄道橋を架ける工事が行われている。
バスを下りて眼前にそびえるモン・サン・ミッシェルを目指す。途中曇っていた天気が
すっかり回復し、素晴らしい展望である。でも、手前に海がないのが残念なことだ。
モン・サン・ミッシェルの歴史は、708年にノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使
ミカエルから「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」とのお告げを受けてつくられた修道院。
その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、11世紀から500年か
けて増改築された。14世紀には英国との百年戦争で城塞となり、15世紀後半に現在の
形になったという。
最初の門を↑入って跳ね橋のある「王の門」↓のアーチをくぐる。
グランド・リュ(Grande Rue)と呼ぶ狭い参道を進む。
両側には土産店、レストラン、カフェ、ホテルなどがびっしりと並び観光客でごった返
している。
折り返して上に見えるサン・ピエール教会に向かって石段を上がり建物に入る。中ほど
の通路には島古来の岩がそのまま露出したところもある。
さらに階段を上がり、外を展望できる西のテラスに出た。
海抜80mあり、南側眼下にシャトルバスで来た道路や工事中の鉄道線路などの展望が
広がり、西方には、はるか遠くまで緑の草原や森林などが続いている。
反対側のテラスに回ると、眼下の砂州や近くの島などが一望で、目を上に転じれば、サ
ン・ピエール修道院の尖塔で、最上部にはミカエルの像が望まれる。
中央にそびえるモン・サン・ミッシェル修道院に入った。
建物は、10~11世紀のロマネスク様式と12~13世紀のゴシック様式が混在して
いるという。
真ん中に緑の芝生などのある回廊に回る。
別の棟に回るための分岐点となるところで、列柱廊と呼ばれている柱は13世紀初頭の
建設とか。
次の棟にあった食堂の部屋↑は、両側にテーブルが分かれていて、修道僧たちは沈黙し
て食事をとっていたとのこと。
さらに幾つもの部屋を巡り、迎賓の間、太い柱の並ぶ礼拝堂、納骨堂などを抜ける。途
中に、大きな車輪があった。
修道院が牢獄として使われた1820年に、囚人用の食物を上階に運ぶために作られた
車輪のレプリカだという。
ほかのフロアの部屋も巡り、ミュージアムショップ↑を抜けて建物の北側に出た。
(続く)
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