あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

フランス8日間の旅 第5日(モン・サン・ミッシェルからパリへ)①

2013-06-26 21:29:52 | フランス旅行
 2013年6月1日(土)



 前日同様5時半に起床、6時半からホテルのレストランで朝食をして、6時半にトゥー
ル中央駅横のアリアンスホテルを出発する。昨日は曇りがちだったが、今朝は好天である。


 今日は、モン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)を経てパリまで約655㎞の長旅
なので、ドライバーも昨日までのAさんに加え、ANさんとの2人体制になる。午前中に
向かうフランス北西部のモン・サン・ミッシェルまでは、トゥールから北西に約285㎞
である。


 欧州道路E502号(高速自動車国道A28号)を北進する。今日も沿道にはエニシダ
のような黄色い花が見られる。1時間半ほど進んでトイレ休憩した。


 さらに欧州道路E50号(高速自動車国道A11)からA84号、県道D155号など
を通過する。沿道には、ホルスタイン牛の牧場が目に付いた。


 モン・サン・ミッシェルに近くなると、この地方に多いというヤドリギがあちこちで見
られる。

 丘陵地帯を抜けて麦畑などの平原となり、遠方にモン・サン・ミッシェルが見えてきた。
近くまで進んでトライばーさんは、牧草地のところでバスを止めて短時間の写真撮影時間
を設けてくれた。

 世界遺産の中でも日本女性には一番の人気観光地というだけに、その姿に感動して皆が
シャッターを押す。

 その場所から10分ほどで、11時18分にモン・サン・ミッシェルの駐車場に着く。
少し早いが観光の前に、そばの「La Bergerie」というレストランでオムレツ料理の昼食を
する。


 オムレツは、古くからここを訪れる巡礼者のために考え出された栄養料理で、モン・
サン・ミッシェルの人気料理だという。


 食事を終え、近くのバス乗り場まで移動して、シャトルバスでモン・サン・ミッシェル
に向かう。

 このシャトルバスは、前と後に運転台があるという珍しい作り。バスの乗車距離は2㎞
ほどである。

 世界遺産・モン・サン・ミッシェルは、ノルマンディーとブルターニュ地方の境にある
遠浅の海に浮かぶ小島。周辺は潮の干満の差が大きく、海岸線が時速10㎞で18㎞も後
退することもあり、満潮時には「海に浮かぶ小島」になったという。


 しかし、ここを目指した巡礼者が海を泳いで命を落としたので、19世紀に堤防で陸続
きにしたとのこと。ところが、近年は堤防が砂州化して景観が損なわれ、生態系も破壊さ
れたので、堤防を壊して鉄道橋を架ける工事が行われている。

 バスを下りて眼前にそびえるモン・サン・ミッシェルを目指す。途中曇っていた天気が
すっかり回復し、素晴らしい展望である。でも、手前に海がないのが残念なことだ。

 モン・サン・ミッシェルの歴史は、708年にノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使
ミカエルから「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」とのお告げを受けてつくられた修道院。

 その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、11世紀から500年か
けて増改築された。14世紀には英国との百年戦争で城塞となり、15世紀後半に現在の
形になったという。


 最初の門を↑入って跳ね橋のある「王の門」↓のアーチをくぐる。


 グランド・リュ(Grande Rue)と呼ぶ狭い参道を進む。

 両側には土産店、レストラン、カフェ、ホテルなどがびっしりと並び観光客でごった返
している。



 折り返して上に見えるサン・ピエール教会に向かって石段を上がり建物に入る。中ほど
の通路には島古来の岩がそのまま露出したところもある。



 さらに階段を上がり、外を展望できる西のテラスに出た。

 海抜80mあり、南側眼下にシャトルバスで来た道路や工事中の鉄道線路などの展望が
広がり、西方には、はるか遠くまで緑の草原や森林などが続いている。





 反対側のテラスに回ると、眼下の砂州や近くの島などが一望で、目を上に転じれば、サ
ン・ピエール修道院の尖塔で、最上部にはミカエルの像が望まれる。








 中央にそびえるモン・サン・ミッシェル修道院に入った。

 建物は、10~11世紀のロマネスク様式と12~13世紀のゴシック様式が混在して
いるという。





 真ん中に緑の芝生などのある回廊に回る。

 別の棟に回るための分岐点となるところで、列柱廊と呼ばれている柱は13世紀初頭の
建設とか。



 次の棟にあった食堂の部屋↑は、両側にテーブルが分かれていて、修道僧たちは沈黙し
て食事をとっていたとのこと。

 さらに幾つもの部屋を巡り、迎賓の間、太い柱の並ぶ礼拝堂、納骨堂などを抜ける。途
中に、大きな車輪があった。

 修道院が牢獄として使われた1820年に、囚人用の食物を上階に運ぶために作られた
車輪のレプリカだという。








 ほかのフロアの部屋も巡り、ミュージアムショップ↑を抜けて建物の北側に出た。

 (続く)




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フランス8日間の旅 第4日(ブールジュ、ロワール地方シャンボール城を経てトゥールへ)③

2013-06-22 21:52:33 | フランス旅行
 2013年5月31日(金)(続きその2)

 ロワール川を渡ってトゥールの町並みに入る。


 トゥールは、文豪バルザックが生誕した町とか。トゥレーヌ地方の中心都市で、ガロ・
ローマ時代から商業と政治の中心地として栄え、15世紀にはフランスの首都になったこ
ともあるという。

 今日の宿は、トゥール中央(Tours Centre)駅のすぐそばにあるビジネスホテル風の
アリアンス ホテル トゥール センター(Alliance Hotel Tours Centre)。ホテルの横か
ら、駅に停車している列車が間近に見える。18時ちょうどにホテルに入った。


 夕食は、近くにあるHIPPOPOTAMUSというレストランでチキン料理を味わう。19時
半過ぎに食事を終え、まだ明るいので周辺を散策することにする。

 レストラン前の通りを西に行くと市庁舎があると添乗員のSさんから聞いたので、そち
らに向かう。その辺りは市の中心街になるようだ。

 ウールトゥール大通と呼ぶこの通りは車道の間に歩道があり、歩道は豊富な街路樹と花
に彩られていて気持ちよく歩ける。


 ちなみにフランスの車道は、ヨーロッパの多くの国と同様、右側通行である。


 フランス国旗を挟んで2つの旗の揚がる建物があった。これが市庁舎らしい。

 1階上部には、ひさしを男性が担いでいるような彫刻がある。

 まだ玄関が空いていたので入ってみたら、玄関ホールに絵画が展示されていた。


 市庁舎の横を南北に貫くナショナル通りには、線路が敷設されているが架線が無い。ど
んな乗り物が通るのか興味をそそられたが、一向に来る気配がしない。



 交差点の反対側では停留場らしい設備を工事中。帰宅後ガイドブックで確認したら、今
年、2013年にトラム(路面電車)が完成予定のようで、未成線だった。

 交差点の西はベランジェ大通り、こちらも車道の間に広葉樹に覆われた広い歩道が設け
られている。次の交差点まで行って戻ることにした。



 明るいが、20時を過ぎているので閉店後の商店が多い。それら店舗のショウウィンド
ウをのぞきながら駅の方向に向かう。


 日本のメニューとは違う寿司店もあった。フランスでは寿司は評判の食べ物らしい。



 市庁舎を正面から眺め、反対側の車道に沿って戻る。庁舎上部の時計塔周辺にも彫刻が
ほどこされている。




 チョコレート店、ファッションの店、別の寿司店などが目に入った。


 ウールトゥール大通りを戻り、トゥール中央駅前に着いた。



 この駅はロワール地方の交通の要衝のようで、行き止まり式のホームが何本もあり、高
速列車TGVの車両↑も複数停車している。





 駅構内への出入りは自由なので、ホームをあちこち回って幾つもの車両を眺めた。



 駅の近くの大きなホテル。その辺りから、サン・ガシアン(Saint Gatien)大聖堂が望
まれた。1235年から3世紀をかけて再建されたものという。そばに行く時間は無い。



 20時40分にホテルに戻ったが、外はまだ明るい。(歩数 10,900)




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フランス8日間の旅 第4日(ブールジュ、ロワール地方シャンボール城を経てトゥールへ)②

2013-06-21 18:13:05 | フランス旅行
 2013年5月31日(金)(続き)

 ブールジュから高速自動車国道A71号を少し進み、県道D922号、D765号など
を経由し近くの町を経由し、15時22分にシャンボール城の入口を入った。


 ロワール地方は、中央を東西に流れる国内最長、全長1,200㎞のロワール川沿いに幾
つもの町が栄え、流域には「フランスの庭」と呼ばれる風光明媚(めいび)なエリアが広
がり、中世には王侯貴族が100を越える優雅な城を築いて栄華を極めたという。

 シャンボール城は、フランソワ一世の命で狩猟のために造られたロワール地方最大の城。
フランス・ルネッサンス様式の最高傑作といわれ、城内中央に位置する二重らせん階段は、
レオナルド・ダ・ビンチが設計に参加したのではないかと推測されているとのこと。

 城の幅156m、奥行き117mあり、完成したのはルイ14世の時代の1658年で、
完成までに139年かかったという。

 総面積550㏊の敷地は東京の山手線内やパリ市内に匹敵し、建物の周囲はソローニュ
の森と呼ぶ平地林が広がる。バスは、入口から7分かかって駐車場に着いた。


 行く手に見える大きな城に向かい、右手に回って入口を入り、400以上あるという部
屋の数々を巡る。





 室内には豪華な絵画が飾られ、森に住む動物のはく製もある。


 屋上に出ると、きれいに刈り込まれた前庭の向こうに、広大なソローニュの森の展望が
広がる。





 複雑な建物の構造や飾られた精巧な石彫なども眺め、らせん階段も利用して上り下りし
て、1時間余りかけて城内を観覧した。

 屋上を巡る観光客。







 見える範囲の森は全て城のエリア。







 各部屋には、狩猟などゆかりの彫刻や絵画が飾られていた。




 これがらせん階段。


 部屋の中には、当時のままの調度品も残されている。




 城内にある教会。




 
 16時45分にシャンボール城の駐車場を出発して、バスは4日目の宿のあるトゥール
(Tours)に向かう。県道D951号から高速自動車国道A10号線に入り、西南西に向か
って走る。


 遠くまで見晴らせる広大な麦畑が続き、古い水道橋らしいのも見えた。(続く)




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フランス8日間の旅 第4日(ブールジュ、ロワール地方シャンポール城を経てトゥールへ)①

2013-06-20 22:03:16 | フランス旅行
 2013年5月31日(金)



 5時半にいつものようにモーニングコールで起床、6時半から朝食をして、7時半にリ
ヨン市内のイビススタイルホテルからバスに乗る。今日は、観光よりバス移動が多いとい
う。朝の天気は曇天である。


 最初の予定地、フランスのほぼ中央部、ブールジュ(Bourges)までは北西に約380㎞
である。バスは緩やかな丘陵の広がる自動車専用国道N7路線を順調に進む。沿道には、
エニシダのような黄色い花があちこちで咲いていた。


 途中降雨もあったが少しで止んだ。1時間余り走り、「La Boutique」と書かれたガソリ
ンスタンドと売店だけのところで、8時38分から20分ほどトイレ休憩する。


 樹林と牧場が増え、羊や白色の牛などが放牧されているのがあちこちに見え、馬の牧場
もある。


 9時45分から10時まで、周辺に家並みも無くトイレだけのパーキングエリアで2度
目のトイレ休憩。気温が下がっていて涼しい。


 その先は森林が減って平原となり、一面の牧草地やナノハナのような黄色の畑が広がり、
やがて広大な麦畑も増えてきた。



 ブールジュの町並みに入り、11時55分に世界遺産・ブールジュ大聖堂近くでバスを
下り、40分ほど観覧することになる。

 ブールジュ大聖堂の正式の名はサン・テチエンヌ(Saint Etienne)大聖堂。1198年
に着工されたゴシック様式の建築で、半円形の壁面には聖母マリアの生涯、最後の審判、
聖エチエンヌの生涯などが描かれているという。

 上部屋根周辺は修復工事中で、足場や覆いがかけられていた。



 内部に入ると、37.15mあるという高い天井と大きなアーチに荘厳な雰囲気に包まれ
る。



 壁面を飾るたくさんのステンドグラスは12~17世紀にかけて造られ、多くは13世
紀のものとか。





 描かれているのは旧約聖書や新約聖書のシーン、黙示録、最後の審判などのようで、文
字の読めない当時の信者のために描いたのだという。



 当時のままかと思われる色鮮やかな彩りに目を見張らされる。





 そばの庭園も一巡して大聖堂を離れる。門外には日本と同じウツギの花が咲いていた。









 バスで10分ほど乗り、町中のレストランに入って魚料理の昼食をする。





 13時50分頃出発して、バスは古城の多いというフランス中西部のロワール地方に向か
う。ブールジュからは約140㎞になる。



 屋根に煙突の上がる古い建物の多いブールジュの町並みを出る。(続く)




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フランス8日間の旅 第3日(アヴィニョン、ポン・デュ・ガール、リヨンを訪ねる)②

2013-06-18 21:55:37 | フランス旅行
 第3日 2013年5月30日(木)(続き)

 14時15分にニームの町の凱旋門横の駐車場を出発して、約230㎞北の都市リヨン
(Lyon)に向かう。

 3車線から4車線もある「欧州道路」と呼ぶ高速自動車道路。順調に進む車窓の東側、
丘陵上に何か所か古城が望まれる。途中、15時30分から20分間、売店やトイレなど
のあるサービスエリアのような場所で休憩した。

 さらにリヨンに向かって走る途中、一時雨になったが、そう長くは続かずに雨のエリア
を抜ける。ゆったりと流れるローヌ(Rhone)川を渡ってリヨンの市街地に入り、さらに
次のソーヌ川(Saone)も渡って右岸川沿いを進む。

 流れには観光船らしいのも見られ、対岸には新市街の近代的な建物が続いている。


 リヨンは、スイスやイタリア国境に近いローヌ・アルプ地方の中心都市で、フランスが
ローマ帝国に占領される以前から首都として発展した古い歴史を誇る町とのこと。織物産
業が発展して16世紀以降、目覚ましい発展を見せ、旧市街はローヌ・アルプ地方で唯一
の世界遺産に登録されているという。

 旧市街に近づくと17時近いので夕方の渋滞状態となる。


 鉄道橋↑の下を過ぎて旧市街に入り、渋滞の間を縫ってフルヴィェール(Fourviere)の
丘に向かって上がり、17時18分頃、フルヴィエール寺院の大聖堂近くに着いた。



 18時10分までフリータイムとなり、まずは大聖堂に入って内部を拝観する。フルヴ
ィエール寺院は、1872年から24年かけて市民の寄進により造られたとのこと。



 白を基調とした落ち着いた外観から堂内に入ると、精巧な装飾や彫刻に彩られていて、
たくさんのステンドグラスやきれいな彩色の宗教画とともに目を奪われる。

































 堂内を一巡してそれらを眺めた後、大聖堂の西北に回り、町を一望できる展望広場に行
く。


 北側はるかまで、赤い屋根とクリーム色の壁面の落ち着いた建物の続く町並みが一望で
き、眼下にソーヌ川の流れも見下ろせる。









 今回の旅では最高の展望地であった。


 バスに戻ってフルヴィエールの丘を後にする。

 ソーヌ川沿いに下って旧市街の町並みや大聖堂を振り返り、流れを通過する船などを眺
めながら進んで、18時半頃中心街の橋のたもとでバスから下りる。







 旧市街の細い通りを進んで壁面に豚の描かれたレストラン↓に入り、夕食のポーク料理
を味わう。19時40分にレストランを出た。




 3日目の宿、イビススタイル(ibis styles) ホテルチェーンのリヨン ヴィルバンヌ
(Lyon Villeurbanne)に、20時過ぎに着いた。外はまだ明るい。

 エレベータホールの2台のエレベータ周辺には、大きな動力機械の写真が描かれていて、
扉が開かないとどこがエレベータの位置か分からない。(歩数 13,800)




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フランス8日間の旅 第3日(アヴィニヨン、ポン・デュ・ガール、リヨンを訪ねる)①

2013-06-17 20:29:59 | フランス旅行
 第3日 2013年5月30日(木)

 7時起床、快晴である。7時45分から朝食をして9時にアヴィニョンのキリアド コー
ティーン ガレ ホテルからバスに乗り、市内観光に向かう。

 アヴィニョンは、フランス国王フィリップス4世の要望で1309年に、時の教皇クレ
メンスがローマから教皇庁を移し、その後70年間カトリックの中心地となった。旧市街
は全体が城壁に囲まれていて、7月には世界的な演劇祭が開催されるなど、芸術と文化に
関するイベントも盛んな町という。

 最初に、市街地の北西のローヌ(Rhone)川に架かるるサン・ベネゼ(ST Benezet)橋
に向かう。ホテルからは10分余りで着いた。

 古いシャンソンの「アヴィニョンの橋」で知られるサン・ベネゼ橋は、12世紀に羊飼
いのベネゼが、「ローヌ川に橋を架けよ」という神のお告げを聞き、変人呼ばわりをされ
ながらも協力者を得て、1188年に最初の木の橋が出来たとのこと。


 その後13世紀に22のアーチのある石の橋になったが、17世紀の増水で流され、現
在は4つのアーチだけが残っている。橋の真ん中には小さい礼拝堂もある。


 橋から石畳の道を歩いて数分で、世界遺産アヴィニョン歴史地区に入り、町の中心の市
庁舎に面してメリーゴーランドのある広場へ。


 ここで10時15分までのフリータイムとなり、希望者は近くの法王庁(教皇宮殿)を
観覧することにする。


 多くの人が法王庁に向かい、添乗員のSさんが団体入場料を買ってくれたので割安に入
れることになり、日本語のオーディオガイドを聞きながら順路に従い回って行く。



 法王庁は1309年から約70年、7代の教皇が住んだ宮殿。世界最大級のゴシック建
築で、延べ面積約1万5000㎡、外壁の高さは50mあるという。自然の防護壁となる
岩山に食い込むように造られている。



 9時半から約45分で回るには広すぎ、その上、幾つもの部屋が入り組んでいてアップ
ダウンもあり、ガイドを聞くのもそこそこに、次々と部屋を回ったり出口を探して戻った
りして、あわただしく観覧した。




 入館した人たちはほぼ同じ頃、退館して集合する広場に向かったが、間違って南西方向
に進み、おかしいと気付いて戻ったりして時間が経過し、市庁舎↓前の広場に戻ったのは
10時30分になっていた。


 橋に近いバスの待機場所に向かう。近くのノートルダム・デ・ドン大聖堂の黄金の聖母
像が望まれる。




 市庁舎の隣には劇場がある。



 土産物店などの並ぶ通りをバス乗り場に戻って10時40分に出発し、次の観光地ポン
・デュ・ガール(Pont du Gard)に向かう。アヴィニョンからは北西に約23㎞になる。


 ローヌ川の橋を渡り郊外に出ると、1mもない背丈の低いブドウ畑が一面に広がる。

 「コート・デュ・ローヌ(Cotes du Rhone)」と呼ばれるこの辺りは、ワイン王国フラン
スの主なブドウの産地のひとつ。強い日差しをふんだんに浴びたブドウから濃厚なワイン
が生まれるという。

 11時8分に世界遺産ポン・デュ・ガールに着いた。受付を入って12時5分までフリ
ータイムとなり、川沿いを歩いて5分ほどのローマ帝国時代の水道橋に向かう。

 ポンン・デュ・ガールの水道橋は、ユゼスの水源地からニーム(Nimes)の町まで約50
㎞をつないだ水路の一部で、高さ48m、全長275mのこの橋だけが完全な形で残って
いるという。

 建造はローマ帝国時代の紀元38年から52年の間で、およそ1,000人の労働者、5
万トンの石が使われたとみられ、水源からニームまでの標高差は17mで勾配は17度、
1㎞の間にわずか34㎝という微妙な勾配がつけられているとか。

 5世紀にわたり毎日2,000万リットルの生活用水を運び続けたが、パイプ内に詰まっ
た石灰が水質を汚染し、使用中止になったという。

 ローヌ川の支流のひとつ、ガルドン川の左岸沿いに進むと巨大な水道橋が現れ、2,000
年前にこのような橋を造った高度な土木技術や測量技術などに感心させられる。




 3段になっている橋の最下部を渡れるようになっていて、対岸に回って全体像を眺めた。


 橋の中ほどからの下流の眺め。


 こちらは上流。


 左岸下流には、何の建物か分からないが古い建造物が建っていた。


 下流はるかには、古城らしいのも望まれる。



 同じ道を戻った集合場所近くの草地に咲く花。




 受付に近い店でアイスクリームを求めてのどを潤し、バスに乗る。



 今日の昼食地で、水道橋の水が供給されたという南西にあるニーム(Nimes)の町へ、高
速自動車道路で向かう。



 ニームの中心街に入り、昨夜の宿と同じキリアドホテルにあるレストランに12時43分
頃着いた。

 今日の昼食はプロバンスの田舎料理、七面鳥の肉を使ったラタトゥイユの予定だったが、
行き違いか用意されてない。

 少し待ち、ジャガイモを中心の料理が出されたが、それはそれでおいしかった。

 水道橋が使われた頃からのものではないだろうが、かなり古そうな公共水道が、レスト
ランの近くにある。


 バスの駐車場のそばには、いつ頃造られたものか分からないが凱旋門が残っていた。


 (続く)




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フランス8日間の旅 第2日(モナコ、エズ、ニース、アルルからアヴィニョンへ)②

2013-06-15 21:58:33 | フランス旅行
 第2日 2013年5月29日(水)(続き)

 海に浮かぶ大型観光船や落ち着いたレンガ色の屋根の広がるニースの町並みを見下ろし、
バスはやがてニースの市街地に入る。



 四角い顔のような建物の図書館前を通過し、落ち着いた彩りの4~5階建ての建物が並
び、トラム(路面電車)の走る中心街でバスを降りた。


 ニースは、コート・ダジュール最大のリゾート地でフランス第5の都市。華やかな観光
地として世界中から観光客が訪れ、夏のバカンスシーズンはもとより、冬の避寒地として
も人気が高いという。


 陽光に明るい旧市街の町並みを進んで昼食をする「La Casita」というレストランに入り、
ニース風サラダを中心の昼食を。

 ちなみに、ここでは野菜がたっぷりと出たが、その後回った各地では野菜類はほとんど
味わうことが出来なかった。

 昼食の後は、「プロムナード・デ・ザングレ(Promenade des Anglais)」と呼ぶ地中
海沿いの海岸の散歩道に向かう。


 明るい太陽の下でゆっくりと飲食を楽しむ人たちがあちこちで見られ、街灯はきれいな
花で飾られている。



 海岸のプロムナードに出ると海に面して椅子が並び、砂浜に肌をさらしている人も多い。

 海からの風はかなり強く帽子が飛ばされそうで、気温も20℃にはなっていないと思わ
れるが、そんなことは気にかけずにゆったりと思い思いの時を過ごしている。


 海岸に面して明るい彩りの建物が続き、それらを眺めていても飽きない。世界に冠たる
保養地ということを実感した。



 プロムナードは約3.5㎞続くというが、1㎞近く歩いてバスに戻った。






 13時25分にバスは出発して、次の観光地アルル(Arles)に向かう。地中海沿いを少
し走り、その後は海を離れてさらに西進する。


 ニースからは西におよそ250㎞の行程である。

 1時間半ほど走行して、途中の喫茶や売店のある建物で20分余りトイレ休憩した。



 雲が増えて一時雨となったが少しの区間で止む。沿道の北には山並みが望まれ、風力発
電用風車がたくさん回るところもあった。


 16時50分にアルル郊外の跳ね橋のところに着いた。都会暮らしに疲れてアルルに来
たゴッホが描いた、跳ね橋のイメージを復元したものとか。

 この場所にあったかは定かでなく、跳ね橋を下ろすと重なり合ってしまうなど不自然な
橋だが、アルルの観光スポットになっているようだ。


 橋のそばにゴッホの絵の説明板が立っていた。橋のところは狭いが、前後はゆったりと
した流れが続いている。


 間もなくアルルの市街地に入った。アルルは、紀元前にカエサルが小ローマを築いて植
民都市としたところ。南仏プロバンス地方の代表的な都市で、ローマ帝国時代の遺蹟を残
している。ビゼーの「アルルの女」で知られ、文豪バルザックがほめ称え画家ゴッホが過
ごすなど、多くの芸術家が制作意欲を抱いた都市でもある。


 町並みの南側、リス大通りでバスを下りた。ゴッホ像↑のある緑地を抜けて紀元前1世
紀に作られたという古代劇場の横を回る。


 かなり崩壊していて全景を想像するのは難しい。劇場の北側を東に回ると、その北側に
円形闘技場がある。

 1世紀に建設され2万人を収容し、中世には要塞や住居としても利用されたようで、世
界遺産に登録されている。かなり破壊されたようだが19世紀から復元作業が続き、現在
は闘牛などの会場としても使われているという。中には入らず、外側を半周して外壁を眺
めた。


 車の通れぬ狭い通りなど、くねくねと南西方向に200mほど進んで、椅子の並ぶフォ
ーラム広場に回る。

 広場に面して「カフェ・ヴァン・ゴッホ」と呼ぶ壁面が黄色いカフェがあった。

 ゴッフォが描いた「夜のカフェ」↓のモデルになった店だという。


 広場の南側には、ノーベル文学賞を受賞した詩人、フレデリック・ミストラル(1830
-1914)の銅像が立っていた。



 南に100mほどには16世紀の時計塔を持つ市庁舎↑があり、その前のレピュブリッ
ク広場の中央には、古代ローマ遺跡から発掘されたというオベリスクが立っていた。


 市庁舎の右手は、11世紀に建設され、宗教的にも建築史上でもアルルで一番重要な教
会というサン・トロフィーム教会である。

 ここで1時間近く自由時間となり、多くの人は添乗員のSさんの案内でまず西側にある
小さいスーパーに入る。

 しかし求める品物も無さそうなので私は入らず、ゴッホが入院にしたという病院を探し
に横の通りを南に向かう。

 バスの中でもらった「ARLES散策MAP」に従い進んだが見つからず、地図の南端の広い
通りに出た。その通りの緑地にあった公衆トイレを利用し、折り返すようにひとつ東側の
通りに戻ったら、その建物が見つかった。


 現在は病院ではないが中庭に入ると、ゴッホが描いた中庭のイメージが残っている。


 建物の一角に土産店もあり、ゴッホの絵やアルルの写真集などを販売していた。


 近くの土産店などをゆっくりと眺めながらレピュビリック広場に戻り、サン・トロフィ
ーム教会の正面玄関周辺のレリーフ彫刻などを眺める。




 広場の一隅に、何のためかネットを幾つか乗せたクラッシュカーが止まっていた。


 18時30分に広場を後にしてバス乗り場に行き、今日の宿泊地アヴィニョン(Avignon)
に向かう。アルルからは北方に約35㎞である。

 19時22分にアヴィニョンのキリアド コーティーン ガレ(Kiriad Courtine Gare)ホ
テルに着き、荷物を部屋に置いてすぐにホテル内のレストランに入り、魚料理の夕食を味
わう。

 夕食を終えたのは21時半を過ぎた。朝早くから各地を回って歩き回り、この旅で1番ハ
ードな1日だった。(歩数 14,200)




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フランス8日間の旅 第2日(モナコ、エズ、ニース、アルルからアヴィニョンへ)①

2013-06-14 12:51:29 | フランス旅行
 5月28日(火)から6月4日(火)まで、阪急交通社トラピックスの「フランスへ行
こう8日間」という旅行に参加した。以下、日程に従いその行程を紹介する。

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 初日の5月28日(火)は、朝7時過ぎに自宅を出た。成田空港12時40分発のルフ
トハンザドイツ航空でドイツ南部のミュンヘン空港に行く。乗り継ぎも同じルフトハンザ
ドイツ航空で、フランス南東部のニース空港に23時19分に着いた。市内のホテルアポ
ジア(Apogia)に入ったのは24時過ぎ。2日目の朝は早いので、シャワーもせずにベッ
ドに入る。

 今回の参加者は31名、ほとんどが60~70歳台とみえる。

 第2日 2013年5月29日(水)



 昨夜は遅く到着したので、初日の宿、ニースのホテルアポジアにて4時間足らずの睡眠
で5時半に起床した。6時半から朝食をして、7時27分にバスでホテルを後にする。

 バスはこの後パリに着くまで5日間同じで、ドライバーのアリリさんにも5日間お世話
になるという。今回は現地ガイドは付かず、添乗員のSさんがガイド役を兼ねるとのこと。

 まずは最初の観光地、近くの小国、モナコ公国(MONACO)に向かう。ニースからは地
中海沿いを東北へ約23㎞である。


 ニースの市街地を抜けると高台となり、間もなく紺碧の地中海が見えてきた。


 眼下の住宅地や海、背後の山などを眺めながら進んで、モナコの次に寄るエズ(Eze)
村の下を通過する。モナコの大公宮殿の地下にある駐車場に8時26分に着いた。

 モナコ公国は、「紺碧海岸」を意味する地中海沿岸の「コート・ダジュール」の東部、
イタリアとの国境近くに位置する都市国家で、首都モナコ市がそのまま全領土。面積は
2.02㎢で世界ではヴァチカンに次いで2番目に小さい。国連加盟国の中では世界最小
で、人口は約3万6千人という。

 地下の駐車場から上の展望台に出ると眼前に地中海が広がり、東方にはイタリアの半島
も望まれる。


 駐車場から、エスカレーターとエレベーターで大公宮殿前の広場に上がった。宮殿にあ
い対して、かつての王妃、グレース・ケリーの眠るモナコ大聖堂↓がある。





 モナコ大公宮殿↑は、13世紀にジュノバ人により要塞として築かれた城とのこと。思っ
たより小さい建物だ。


 城の前にはルイ14世が贈ったという大砲や砲弾が並び、衛兵がその前を往復して警備
していて、9時には3人の衛兵の交代儀式があった。





 広場からは、東側眼下にたくさんの船の停泊するモナコ港や、近く開催される世界3大
のF1レースのひとつ、モナコグランプリのスタンド、富裕層が住むというびっしりと埋
め尽くされた豪華なビル群などが一望できる。




 こちらは、西側眼下を見下ろしたもの。




 王宮前の細い通りには土産物店などが並んでいるが、早いので開店している店は少なか
った。


 広場での観光を終えて9時35分に駐車場に戻り、市街の中心に出来たモナコグランプ
リの仮設スタンドの前などを通過してモナコ公国を後にする。

 モナコからフランス領に戻ると、高台にこれから行くエズ村の建物が見えてきた。

 モナコの西方約10㎞にあるエズは古代ケルト人により造られ、地理的に優れていたの
で数々の権力争いに巻き込まれたとのこと。

 イスラム教徒からの襲撃を防ぐために丘や山頂に築かれた城塞都市がコート・ダジュー
ルには多いが、エズはその代表的集落。最高地点は海から切り立つ断崖上の海抜約450
mにあり、フランス領になったのは1860年とのこと。現在の人口は約3,000人とか。

 まずはフラゴナール(Fragonard)という老舗の香水工場に行き、日本語の出来るガイド
さんにより伝統の技術と最新技術とで作る香水の製造工程の説明を聞く。


 その後直営売店に案内され、国内外で人気の高いという香水を購入する人もいる。

 人気の観光スポットのようで、次々にに観光バスが訪れていた。


 工場から間近に見上げられる城砦↑の、下部にある駐車場に移動して、細い石畳の道路
を最上部の熱帯植物園の入口まで上がる。家並みの間からは、周辺の半島の家並みや紺碧
の海が望まれる。





 帰路も土壁の建物の間の石だたみの細道を下りながら、両側に並ぶ土産物店などをのぞ
き、きれいに飾られた草花、対斜面の家並み、眼下の庭園などを眺めて駐車場に下った。












 バスは往路をニースに向かって戻って行く。(続く)




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コメント (2)
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