あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

光が丘のローズガーデンと光が丘公園へ(東京・練馬)①

2023-05-11 17:45:55 | 江戸・東京を歩く
 2023年5月10日(水)〈その1〉

 練馬区の北東、光が丘にあるローズガーデンのバラが、見ごろになったようなので出か
けてみることにした。

 西武池袋線上り電車を練馬駅で下車して都営大江戸線に乗り換え、終点の光が丘駅には
10時28分に着いた。



 地下の駅から地上に上がると、眼前の通りのクスノキの新緑がみずみずしい。


 少し西進して北へ、IMAと呼ぶ大きなビルの西側が四季の香公園である。

 
 公園に入ってさらに西北側に回ると、ローズガーデンがあった。



     バラはちょうど見ごろになっていて、見に訪れている人も多い。
     


     一巡して彩り豊かなバラの花の数々を撮って回る。
     

          




 園内はよく手入れされてることが分かり、下草もたくさんあってそれらの花もきれいに
咲いていた。








 かなり回ってから、花の名も少しだけだが確認する。これはラブリー・フェアリーで、
オランダで作り出された品種のよう。






     

          







     




 この辺りは「ブロッチ・ガーデン」で、花の中央にブロッチ(斑紋)が生じるバラ。


     

          




 レッド・ガーデン、赤いバラの品種を集めている。
     

          







     

     
      ときどきは草花も








     





     













   
 






     

          








 

 一巡したので、北側に見えたもう一つのローズガーデンに向かうことにする。〈続く〉




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中井の「染の小道」を巡る(東京・新宿)

2023-03-06 21:52:17 | 江戸・東京を歩く
 2023年2月24日(金)

 新型コロナウィルスの感染拡大防止のために2年間中止後、昨年は規模を縮小されて開
催したらしい、新宿区落合・中井地域の「染の小道(そめのこみち)」が今年は通常開催
されるようなので、観覧に訪れた。 4年前の2019年の同じ日以来、2回目になる。

 会期は従来と同様に今日から3日間だが、平日の今日が人出は一番少ないと思われるの
で初日を選び、10時58分に西武新宿線の中井(なかい)駅に下車して南口に出た。


 駅前に特設の観光案内所で、「染の小道」の2つ折りリーフレットや新宿区内のパンフ
レットなどを入手する。
     

 ここ落合・中井界隈には、江戸が育てた手描き友禅や小紋など、伝統を受け継いだ技術
や文化が今も息づいているという。

「染の小道」は、街全体をそれら染め物のギャラリーに見立てたイベントで、中井駅前の
商店街と妙正寺川の川面が3日間、染め物で彩られる。

 川沿いは川に反物を架ける「川のギャラリー」で、商店街はのれんを飾る「道のギャラ
リー」と読んでいるよう。

 まずは駅前から南に延びる商店街を少し進むと、妙正寺川の寺斉橋際に出た。まずは上
流側の右手、左岸沿いの「川のギャラリー」を。
      
 すぐ先で妙正寺川を横切る高架は、環状6号線・山手通り。中井駅の東側上部も通過し
ていた。
           

 橋の近くの料理店にも染の小道のはんてんが。




     
           山手通り下の橋際からさらに上流側へ。
          



     

   次の栄橋まででこちら側の川のギャラリーは終わる。末端から来た方をふり返る。
          

 寺斉端に戻る手前、化粧品店に下がる「手作りART&雪gesho」と呼ぶのれん。



 寺斉橋を渡って南に延びる商店街に向かう。


 右手、通りの西側は「モダン紅型の小道」とよぶ道のギャラリーのひとつで、橋の近く
の茶房には「遊金魚」と呼ぶのれん。


      隣の居酒屋には「紫陽花花模様裂」が。
     

           書店に下がる「雲取図 爛漫」のれん。
          

      細い十字路を挟んだセブンイレブンには「流氷に松菊紅葉」
     

 再び寺斉橋に戻り、今度は下流側を眺めた後、左岸沿いに進む。


 橋の近くに、細かな手作り作品を並べた出店があった。


 次の大正橋で川のギャラリーが終わり、振り返り眺める。


 細い通りを北へ進んで、踏切から眺める中井駅東側。


      踏切際にあった美容室に下がる「シャンデリア」と呼ぶ作品。
     
          ちょうど作者が来られ、一緒に来た人に作品の説明をしておられた。
          

 T字路に出て新目白通りに入り東へ、「テキスタイルの小道」と呼ぶエリアの電気工事
店には「折鶴を飛べ」というのれんが。
     

 すぐ先の六天坂に延びる交差点際の文具店の、「高山流水」ののれん。
     


 その交差点で折り返し、通りの反対側へ。蕎麦店に下がる「そばを通してフランスと日
本」と名付けた、そばの花を表現した友禅染ののれん。
     

           シャッターの下りた店には、「はもん」と題する作品が。
          

     2つ目のT字路の先の薬局には「良薬は口に苦し」という作品。
     

 新目白通りは実から左へとカーブし、その辺りからは「モダン紅型の小道」ののれんと
なる。


 不動産会社を飾る紅型の「駒と狛犬」のれん。
     

 隣接する和菓子屋は「菊菖蒲牡丹模様」、明るく可愛らしい配色に染めたよう。


 通りの反対側、北側のコンビニのれんは「わが家の猫ライカ」、作者が飼っている猫を
モデルに制作したという。
     

     
 高架で通過する山手通りの下をさらに進んで「東京造形大学の小道」へ。中井駅の北辺
りにあるカフェには「猫」と題する東京造形大学生の作品が下がる。
  

     
 すぐ先のT字路を南に入ると「味覚庵」という紀州梅干しの店がある。南高梅の白梅が
咲き、のれんも「味覚庵の紀州南高梅」で、箱詰めにした南高梅の梅干しをモチーフにし
た作品という。


 その先で三の坂へ上がる交差点を過ぎ、次の四の坂への交差点の北西側一帯の木々の豊
富な一角は「新宿区立 林芙美子記念館」になっている。

 初めてだったので入館することにして、四の坂通りの途中にある入口へ。


 手前にある閉じた門には、東京造形大学の「苦しみをやわらぐように」と名付けられた
捺染ののれんが下がる。

 林芙美子さんの「苦しみをやわらぐように」という詩のデザインだとか。

  「染の小道」のリーフレット持参の人は、通常料金150円が80円で入れる。
     
 
   
   入口を入った左手にあるパネルから。
  

 中央部の入口から入ると、左側に生活棟、右手にアトリエ棟があるが、こちらはアトリ
エ棟の次の間と呼ぶ部屋など。



 南側の庭に回って寝室などを見る。


 その奥が、林芙美子の作品原稿や作品、写真などを展示する展示室(アトリエ)だが、
ここだけは撮影禁止だった。



 アトリエの南西側にある石蔵付近から前から庭を一巡することにして、堤内西南部から
東南側へと回る。


 中央部辺りに咲き出したユキワリイチゲ


 

 こちらは生活棟


           庭には古い双代道祖神も。
          

      生活棟の中の小間(こま)
     

           

 近くの庭先のクチナシのみが色づいていた。


 1輪だけのバラも。

 
 堤内上部から見下ろすアトリエ棟


      年代を感じるクロガネモチの高木
     


 アトリエ棟の背後で、紅梅や白梅が咲き出していた。


 こちらは、背後からの生活棟


 ほぼ一巡したので12時40分頃、退館することにした。
 
 館前の新山手通りにあった「落合に住んだ文化人」の地図。かなり多くの小説家、画家、
歌人などが済んでいたようだ(↓文化人が集中しているエリアのみ切り取り)。


 新山手通りを三の坂のと頃の交差点まで戻り、右折して細い通りを南へ、中井駅の西側
で踏切を渡る。



 再び最初に回った妙正寺川の西端、栄橋際に出て、もういちど川のギャラリーを眺めな
がら駅のそばの寺斉橋へ。






     


 南に延びる商店街の左手(東側)の中華料理店に下がるのが「多彩なる料理の宝庫」と
題する友禅ののれん。

 
 隣接する田舎そば須坂に入り、鴨そば(520円)で軽い昼食を済ます。店ののれんは
撮り漏らした。


 見落としたところをもう少し回ることにして、中井駅南口際へ。薬師 四文屋という変
わった名の食堂には「盛宴」と呼ぶ文化学園大のメンバーによる型染めが。



 その横から東に延びる細道、ねこみちを進む。

 
 通りには手作りの作品を販売する出店が幾つか並んでいた。


 新潟県五泉市の産品を販売する出店があり、ここで笹団子(800円)を求めた。
     

 ねこみちの東端は、川のギャラリーの東端の大正橋から北に延びる細い通り、その通り
を北にすぐ、寿司店に下がる「波にのって」と名付けたのれん。
     
 「波に乗って何かいいことがやってきますように」という願いを込めて描いたよう。

 
 ひととおり会場を巡ったようなので、駅に戻ることにする。大正橋際に出て、もう一度
下流側の川のギャラリーを眺めながら進む。
     

 中井駅には13府38分頃に戻った。



 通過電車などありしばらく待ち、13時53分発本川越行き下り電車に乗り、所沢駅方
面に向かった。

 (天気 曇、距離 3㎞、地図 「染の小道」地図、歩行地 新宿区)




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丸の内仲通りのストリートギャラリーへ(東京・丸の内)

2022-12-20 22:39:26 | 江戸・東京を歩く
 2022年11月29日(火) 〈その2〉

 午前中、銀座1丁目の銀座ファーストビル4階の富士フォトギャラリーで2つの写真展
を観覧後、JR有楽町駅東口方面に向かう。

 外堀通りの有楽橋交差点付近から、JR有楽町駅東口にある交通会館ビル(手前)とイ
トシア丸井ビル(左手奥の高層ビル)方面。

  

 この交差点付近には高知県のアンテナショップがあり、来年のNHK連続テレビ小説
「らんまん」の主人公、植物学者・牧野富太郎のパネルが。
     

 近くには、沖縄県のアンテナショップも。


     JR有楽町駅北側のガード下を西に回り、ビックカメラ横を過ぎる。
     

 近くには「東京オリンピック2020」のデザインマンホールが。


 周辺のイチョウの街路樹は、色づき始めていた。


 これから進もうとする丸の内仲通りの南端、晴海通りからの眺め。


 この通りについては、10日前の11月19日(土)22時から、テレビ東京の「新美
の巨人たち」で「丸の内ストリートギャラリー」というテーマで紹介されており、それを
確かめようとやってきたもの。

 ここから北に進む通りは、 平日は15時まで歩行者専用になっているので、中央部の車
道も安心して歩ける。
  

 さっそく、ストリートギャラリー最初の作品が。

 「ルネッサンス」という作品で、1985年 キム・ハムスキー(ヴェトナム-フラン
ス)作 

      
           両側の歩道に続くケヤキは、まだ青い葉を残している。
          

  その先、交差点際には「展望台」 1990年 ジム・ダイン(アメリカ)作品
     
 
           交差点の先、右手(東側)のHERMESのショウウィンドウ
          
 
 左手のビル前には鉢植えの植栽などが。


 3つめは、見る角度により形が変わるというユニークな作品。


     

                    
 「小さな魚を大事そうに運ぶ女の子と金ぴかの空を飛ぶ青い鳥」という長いタイトル、
  2022年 中谷ミチコ(日本)作品

       
 クリスマスにちなむポスターや、店舗の入り口にあるツリーなども目につく。

 
 4つめの作品は、草間彌生作でおなじみのカボチャが。

 タイトルは「われは南瓜」 2013年制作


 交差する広い道路の北東側、レンガ造りの建物は復元された三菱一号美術館。国登録有
形文化財である。

 三菱一号館」は、1894(明治27)年、英国人建築家ジョサイア・コンドルにより
設計された建物で、三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築。

 この建物は老朽化のため1968(昭和43)年に解体されたが、40年あまりの時を
経て復元され、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わっている。

     
     建物の南西側から中庭に入れるようになっていたので、入ってみた。

 北側の丸の内パークビルとの間に豊富な緑地があり、多くの人が憩いの場所として利用
しており、新婚のカップルが写真撮影をしていた。


     

          
   
 緑地の中央部にも3点の作品がある。

 まずは「恋人たち」 1981年 バーナード・メドウズ(イギリス)作

     
 緑地には、バラやツワブキ、サザンカなどが咲き、センリョウが実をつけている。




 2つめ、「拡散する水」 1977年 アギュスタン・カルデナス(キューバ-フラン
ス)作


 もうひとつは「羊の形(原形)」 ヘンリー・ムーア(イギリス)作

 箱根の彫刻の森美術館でヘンリー・ムーアの彫刻は見ていたので、作者は覚えている。



 さらに仲通りを北へ、この一角ではクリスマスの飾り付けが進められて、それらは緑の
フェンスに囲まれていた。
     



 この付近の江戸時代の絵図があり、それによればこの通りは「大名小路」と呼ばれ、松
平家などの屋敷が並んでいたよう。


      次のストリートギャラリー作品は「白のマスク」
     
             1969年 澄川喜一(日本)作品
 
           先ほどのカップル、今度はこちらで記念撮影中
          

 通りの西側、丸の内マイプラザビルに入ってみたら、1階中央部には大きなクリスマス
ツリーが。
     



      西側に接する明治生命館ビルには、静嘉堂美術館がある。
     


     
  その先も通りには、クリスマスの催しに使われると思われる設備が幾つか準備中。


 ストリートギャラリーの次の作品

 「Matching Thoughts」 2022年 H&P.シャギャーン(日本)作 

 こちらは「ベンチ アート」と呼ばれるもので、日本ラグビー界を代表する闘将リーチマ
イケルの力強さとラグビーのもつ躍動感を表現したという。

 丸の内地区で多くの地権を持つ三菱地所は、ラグビー日本代表のオフィシャルスポンサ
ーのようで、ラグビーの魅力を発信するプロジェクトの一環として設置したらしい。

      近くに、次のストリートギャラリー作品があった。
     
          「私は街を飛ぶ」 2022年 船越 桂 作



 
 JR東京駅前から皇居方面に延びる行幸通り近くにあったストリートギャラリー作品。
     
    名和 晃平 作品  「Trans-Double Yana(Mirror)」 2012年
 
 周辺には、飲食物などを販売するワゴン車が幾つかある。



 
 クリスマスにちなむ仮設のメリーゴーランドも。


 
 行幸通りりに並ぶイチョウは、もう少しで見ごろになりそう。



 幅広い行幸通りの歩道に、LOUIS VITONのユニークな展示が2か所あった。


      行幸通りを越えてさらに先へ。
     

 こちらのアートは「眠れる頭像」 1983年 イゴール・ミトライ(ポーランド)作


 レンガ色の建物は日本工業倶楽部会館で、三菱UFJ信託銀行本店ビルの一角にある。

 日本工業倶楽部会館は大正9(1920)年竣工で、国登録有形文化財である。

 御幸通りの次の通りの交差点からは、東京駅西口の北端が望まれる。


 次のアートは「日光浴をする女」、1995年 ティモ・ソリン(フィンランド)作 


      反対側歩道には、「無題」

    1995年 ジュゼッペ・スパニューロ(イタリア)作 

 こちらは「凹凸のブロンズ」 1989年 レナーテ・ホフライト(ドイツ)作


      さらに、「巨大な町」
         
         1987年 ルイジ・マイノルフィ(イタリア)作がある。


     丸の内仲通りの北端、永代通りに着いた。ふり返る↓丸の内仲通り
     

 永代通りを離れ、右折して東京駅に向かう。

 大手町駅前交差点の南西側、丸の内永楽ビルの三菱UFJ銀行前に、「さわり大黒」と
呼ぶ彫刻があった。さわるとお金が増えるのだろうか・・・
     
 
 さらに東進してJR東京駅北側の高架橋下を抜けて、日本橋口から東京駅構内に14時
過ぎ入る。


 まだ昼食前だったので八重洲地下街に下りた。

 中央通路を通過して東口寄りにある「おらが蕎麦」に入る。


 今回も、いつも注文している旨辛牛肉そば(790円)にして、遅い昼食を済ます。


 14時45分頃店を出て、東京駅八重洲口から山手線内回り電車で池袋駅に向かう。
 



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梅雨入り前の石神井公園周辺をめぐる(東京・練馬)④

2022-06-11 22:43:56 | 江戸・東京を歩く
 2022年6月1日(水) 〈④ 池渕史跡公園から石神井池南岸へ〉
  
 石神井公園ふるさと文化館の観覧を終えて東側入口から出て、そばの「練馬区立 池淵
史跡公園」へ。


 公園の説明パネルから。


 まずは、すぐ東側にある練馬区指定文化財の旧内田家住宅へ。

 区内でかつてよく見られた かやぶき屋根の民家で、練馬区中村にあった民家を平成22
(2010)年に移築したもの。

 明治20年代(1888~)初めの建築と推定され、一部に江戸時代の古材も使われて
いるという。


 玄関から入って内部も見学できる。




 池渕史跡公園もいつものように一巡する。園路沿いには、区内各所にあった庚申塔や馬
頭観音など、江戸時代の石造物が配置されている。それらの一部
     
      庚申塔 享保12(1727)年

          
           馬頭観音 嘉永3(1850)年

     
      庚申塔 元禄9(1696)年

          
       左 馬頭観音 享和3(1803)年  右 庚申塔 享保5(1720)年 

 ここは、縄文時代の竪穴住居跡で、約5000年前の住居跡が昭和47(1972)年
の発掘調査で発見されたが埋め戻して保存し、その位置を示す円形の植え込みで表示して
いるという。



 池渕史跡公園の東側には野草観察園があった。ここは来たことがなかったので、今回初
めて回ってみた。

 樹林下に20種を超える野草が植えられているようだが、この時期に咲いていた花は少
ない。花の名の記されてないものが多いので、分かった花のみ名を記す。

     
           ホタルブクロ
          



          
           シモツケソウ



 ノハナショウブ


 オオハンゲ?


 アジサイ

      
      カラマツソウ


 
 ニッコウキスゲ



 キリンソウ




 野草観察園を一巡後、旧内田住宅の背後に戻り、北側の稲荷諏訪合神社へ。歴史などを
記したパネルはなかった。


 境内の西側から北側斜面を下って石神井池の南岸に出た。


 池の西南端近くの展望テラスから、西端方面↑やそばのモニュメントなどを眺める。
     


 南岸沿いの園路を東に向かい、休憩舎の前を過ぎるとツツジが咲く。


     
      池を眺めながらさらに東へ進めば野外ステージがある。



 
      近くに外来種のキショウブが2輪だけ咲いていた。
     
 
 池の北東方向には、石神井公園駅周辺の高層ビル2棟が望まれた。



 池辺に咲くアジサイや対岸の瀟洒な民家、池のボートなどを眺めながら進む。











 石神井池の東南端近くではアシ原の間を抜けて、アジサイ咲く公園の東北端のボート乗
り場際近くに戻る。




 駅に向かうのに帰路は、往路のバス通りよりひとつ西側の通りを進む。こちらの方が車
の交通量が少ない。


 沿道のマンション前に、ビオウヤナギなどが咲く。


     

         
 都内の電話局番が3桁時代の古い電話番号を記した店は、閉店したのかシャッターが下
りていた。

     
 駅近くの交差点で右折し東へ、歩行者天国の商店街を進み、15時35分に石神井公園
駅に戻った。



 15時43分発西武池袋線下り、飯能行きに乗る。

 (天気 晴、距離 7㎞、地図 「練馬区農産物ふれあいガイド」の地図、「石神井公
  園ガイドマップ」、歩数 13,200)                 〈完〉     
   



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梅雨入り前の石神井公園周辺をめぐる(東京・練馬)③

2022-06-10 22:25:55 | 江戸・東京を歩く
 2022年6月1日(水) 〈③ 石神井公園ふるさと文化館へ〉

 都立石神井公園の石神井池北岸から三宝寺池、その南側の3つの社寺などを巡り、12
時40分頃、今日の一番の目的地「練馬区立 石神井公園ふるさと文化館」に着いた。

 当館を訪れたのは3、4回目くらいだろうか・・・

 構内の西北側、都道側にある「やさしさについて」と題する林 宏氏の作品。
     
 「自然からの恵みや先人の英知を、感謝の気持ちを持ってこどもたちへ」、そんな思い
を形にしたのだという。

 当館の開館は平成22(2010)年で、練馬区の歴史や伝統文、自然などについて、
体験しながら楽しく学ぶことができ、観光情報も発信する新しい博物館とのこと。

 私の最初の職場が石神井公園駅近くだったことと、その頃から練馬区に13年余り住ん
でいたこともあり、練馬区のことについての興味や関心をいまも持っていることから、当
館や石神井公園周辺には最近もよく訪れている。

 まずは1階入口に近い「わがまち練馬情報コーナー1」をさっと一巡する。





 次に、常設展示室と企画展示室ある2階に向かって階段を上がり、最初に企画展「昭和
初期の練馬ライフ」を観覧することにした(常設展・企画展とも観覧無料)。
     

 企画展のリーフレットに記された、当時の背景と企画の狙い。

 『大正の終わり頃から東京郊外へ移り住む人が増え、練馬区域でも住宅地の開発が進み、
この頃には電気が通り生活様式の変化が見られた一方、都心部とは違いガスや水道の普及
は進まず、昔ながらの暮らしが続いている側面もありました。

 本展では、大正から昭和初期の練馬区域における住まいと暮らしの様子を紹介します』

 当館は、撮影禁止の表示のあるもの以外は撮影可能なので、目についたものを幾つか撮
らせてもらう。












     




 箱膳(箱膳) 一人用のお膳で、中に一人分の食器が入っている。ふたをひっくり返し、
        その上に自分の食器を並べて食事をする。

 
 真空管ラジオ(右) 真空管を使ったラジオで、スピーカーから音が出るようになり、
           ラジオ放送は家族で一緒に聞くものに変わった。 


 電気アイロン  電気の熱で布のしわを伸ばす道具。以前の炭火を入れたアイロンより
         温度調整がしやすく、扱いが簡単だったので重宝された。


 扇風機  電気の力で羽を回して風を送る機械。昭和初期のものは鉄製で、重量があっ
      た(この展示品は14㎏)。

 
 足踏みミシン  電動ではなく、足もとのペダルをリズミカルに踏んで動かす、足踏み
         式のミシン。手縫いに比べて洋服を早く縫うことができる。


 長火鉢  炭を燃やして暖かくする道具。近寄って手をかざして温まった。五徳を用い
      て湯を沸かしたり、網で餅を焼いたりするにも使った。

      手前左は鉄瓶(水を入れて湯を沸かす)と灰ならし(火鉢などの灰を平らに
      整えるのに使う)、右は火箸(ひばし)(鉄製の長い箸(はし)で、熱い炭
      をつかんで移動させるのに使う)

     
 蓄音機  レコードを聴くための機械。ハンドルでゼンマイを巻いた動力で、ターンテ
      ーブルを回転させる。レコードの溝をなぞる時に針が振動し、その振動が音
      に変換される。

      レコードは、表と裏の両方に、片面約4分ずつの音が記録されている。戦後、
      長時間収録可能なLPレコードが登場した際に、区別のためSPレコードと呼ぶ
      ようになった。

 こどもの着物  練馬区域では、昭和の初めまでは多くのこどもが着物にぞうりか下駄                               
         をはいて学校に通っていた。


 昭和初期の教科書





 尋常小学図画 第三学年(昭和8(1933)年、文部省)教科書

     

 昭和初期の本と雑誌

      『子供の科学』昭和11(1936)年5月号 
     
 『子供の科学』は大正13(1924)年創刊、現在まで続く子供向け科学雑誌 誠文
  堂新光社発行
  

 『少年倶楽部』昭和12(1937)年7月号  江戸川乱歩作・梁川剛一画

 
 『少年倶楽部』昭和13(1938)年10月号 島田啓三作
 

 『幼年倶楽部』昭和10(1935)年4月号付録 動物園


 『幼年倶楽部』昭和11(1936)年5月号付録 とりづくし
 
      
     『講談社の絵本 曽我兄弟』昭和12(1937)年




 
  
 企画展会場を一巡後、同じ2階の常設展示室も再訪する。





 名産、練馬大根関連の展示

 
 昔の農機具












 
 

 昭和30年代頃かと思われる商店など


     
 
 
 



 2年前(2020年)8月のとしまえん(旧称 豊島園)閉園直前に配られた最後の園内案内図

 常設展示室の観覧後、同じ2階の西側に延びる「わが町練馬情報コーナー2」と呼ぶギ
ャラリーに回り、区民が制作した作品を鑑賞する。


 ひととおり観覧を終えたら13時30分を過ぎたので、待つ人もいなくなった1階西側
の本手打うどん房「えん座」に入り、人気メニューという「霙糧(みぞれかて)うどん」
(900円)を注文して遅い昼食とした。
     

          





 ちなみに、メインメニューに記されていた料金の円は、当用漢字でない「圓」だった。





 14時27分に「石神井公園ふるさと文化館」の東側入口を出て、そばの「練馬区立
池淵史跡公園」に回ることにした。 〈続く〉


 なお、「練馬区立 石神井公園ふるさと文化館」のサイトはこちらからご覧下さい。





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梅雨入り前の石神井公園周辺をめぐる(東京・練馬)②

2022-06-07 18:39:54 | 江戸・東京を歩く
 2022年6月1日(水) 〈②石神井城跡から3つの社寺へ〉

 石神井池から三宝寺池の北岸を回り、三宝寺池の南岸を折り返すように東進して、三宝
寺池の南岸際にある石神井城址碑際へ。


 傍らには石神井城跡の説明パネルもある。
   

 その横から南側へ斜面を上がると、左手(東側)一帯はネットで囲まれていて、この辺
りが石神井城の中心内郭跡だという。




 ここにも、詳しい説明パネルがあった。


 周辺は緑豊富な森になっていて、その西側一角に抜ける道があり、氷川神社が祭られて
いるようなので、回ることにした。


 境内や周辺を豊富な樹林に囲まれた氷川神社は石神井郷の総鎮守。室町時代の応永年間
(1394~1428)、この地を領していた豊島氏が石神井城内に城の守護神として祭
ったのがはじまりのよう。

 社殿は本殿、拝殿ともに流造りと呼ぶ様式で、拝殿は1901(明治34)年の落成。
東側の神楽殿↓は1937(昭和12)年の建立とか。


 境内は2,000坪あり、隣接する石神井公園とともにかなり以前から東京の風致地区、
禁漁区に指定されていて、正月三が日は地元の参拝客で賑わうという。


 願いを記して奉納されたたくさんの絵馬

 

 西側には2棟の摂社が並び、その手前に小さな水田がある。収穫された米は、秋の祭礼
に奉納されるのだろうか・・



 南側の鳥居を出て、ケヤキどの並ぶ長い参道を進む。



      参道には咲き残るツツジや、咲き出したアジサイも目につく。
     

 参道の中ほどを都道25号・旧早稲田通りが横断しているが、参道の南端まで進み、左
折して東進し、三宝寺(さんぽうじ)の門前へ。

 三宝寺は、不動明王を本尊とする真言宗智山派の寺院で、室町時代の応永元(1394)
年の開山とか。文明9(1477)年に石神井城落城の後、現在地に移ったといわれてい
るようだ。

 戦国時代には小田原北条氏、江戸時代は徳川氏から保護を受け、近くに数十の末寺を持
ち、府内八十八か所霊場の第16番札所だという。


 山門は、三代将軍家光が狩りをした際、ここを休憩所としたことから「御成門」と呼ば
れるようになったと伝えられているようだ。


 その御成門を入ると、右手の鐘楼堂と左手の大黒堂↓の周辺に、「ねりまの名木」に選
定されているアカマツ、サルスベリ、そしてイチョウが立っていた。


     
      アカマツ

          
           サルスベリ、樹高10m、幹の周囲1.5m
     
     
      イチョウ,樹高26m、幹の周囲3.6m
 
 大黒堂の前にはツツジも咲き残る。

 
 まずは正面の本堂に参拝する。


 本堂の西南、少しの階段を上がると根本大塔が、本堂の西側奥には大師堂があり、その
間の樹間には四国八十八か所の砂を埋めたお砂踏霊場がある。その説明パネル


         




 根本大塔への石段の左手↑が第1番と2番札所、右手↓が一巡を終える88番になって
いる。
     



           石段を上がって多宝塔に参拝。
          

          
  さらにその背後には大きな平和観音像↑が。その間、北側は観音堂↓である。
  


 根本大塔の背後、樹間に並ぶ八十八ヶ所霊場の間を抜けて大師堂にも参拝した。




     
      大師堂近くに立つ弘法大師像

           本堂近くに咲くタチアオイとツツジ 
          

 鐘楼堂の東南側の長屋門をくぐり、三宝寺を後にする。

 ちなみにこの長屋門は、もと練馬区旭町の兎月園にあった勝海舟邸の屋敷門が、所有者
の明電舎の事情で取り壊し処分になることを知り、当時の須田操練馬区長の斡旋により、
1960(昭和35)年に解体移築したものだという。

 蛇足ながら、その頃私は練馬区内に住んでいたので、須田区長の名は覚えている。

      少し東進すると、次の交差点の土塀際にお地蔵さんが立っていた。
     

 その背後が道場寺(どうじょうじ)である。

 南側正面に山門があるが、山門の周囲は柵で囲んであり、境内には右手、東側から入る。

 道場寺は曹洞宗の寺で、応安5(1372)年、当時の石神井城主豊島景村の養子輝時
(北条高時の孫)が、豊島氏の菩提寺として建立したもので、石神井城が落城した際には
焼失したとともいわれているよう。

     
 山門は室町様式で、山門を入った左手には鎌倉様式の三重塔が立っているが、アカマツ
やモミジなどに阻まれて全容は眺められないのが残念。
           


 
 右手(東側)の鐘楼は安土桃山時代の様式で、総檜造りとか。


 正面の本堂は1937(昭和12)年の改築、奈良の唐招提寺を模した天平様式で屋根
には鴟尾(しび)が目につく。



 境内は豊富なモミジの新緑でみずみずしく、アカマツも多く、「ねりまの名木」のサル
スベリの高木もある。
     


 本堂近くにはアジサイやスミダノハナビ、カシワバアジサイなどが咲き出しているが、
何れも白花である。









 門前の所沢道↑を東進し、次の交差点で左折して北に延びる都道44号に入る。


 石神井図書館横を進めば、今日の目的地、石神井公園ふるさと文化館は斜向かいにあり、
土手にはたくさんのツバナ(チガヤ)が穂を見せている。〈続く〉
     




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梅雨入り前の石神井公園周辺をめぐる(東京・練馬)①

2022-06-05 22:33:12 | 江戸・東京を歩く
 2022年6月1日(水) 〈①石神井池北岸から三宝寺池へ〉

 何度か訪れている石神井公園(しゃくじいこうえん)のふるさと文化館で、昭和初期の
練馬についての企画展を開催中と知ったので、観覧に行くとともに石神井公園周辺も巡る
ことにした。

 西武池袋線上り急行電車に乗り、9時49分に石神井公園駅で下車した。


 中央口を出て右手、南側すぐの西武池袋線高架下にある石神井観光案内所に入り、練馬
区や石神井公園の地図などを入手する。

 

 10時03分にスタートして、南口広場から東側の石神井公園通りに入る。


 少し南下すると東側に稲荷神社の森があったので入る。

  

 通りの方向、西向きの拝殿はコンクリート造り。手前には『ねりまの名木』に指定され
た樹高18m、幹の周囲3.8mのシラカシが立つ。
     


       通りに戻った目前の、医院と薬局のアジサイが咲き出していた。
     
 
 緩やかに下り、駅から500m足らずで石神井池の東北端に出た。都立石神井公園の東
端でもある。


 
 池の東側、遊歩道沿いにもアジサイの大株が咲いていた。


 石神井池はボート池とも呼ばれ、その名の起こりのボートの乗り場がある。


 この池は、1934(昭和9)年に三宝寺池から流出する川をせき止めて造った人工池。
天気の良い日には釣りやボート遊びをする人で賑わう。

 多くの水鳥が飛来し、間近に観察でき、池の南側台地は樹木が生い茂り、武蔵野の面影
を色濃く残している。

 池の東北端から、池沿いの遊歩道を進むことにした。石神井池の北側台地沿いには大き
な邸宅がが立ち並び、石神井公園の景観にも溶け込んでいる。



      池を眺めながらゆっくりと西へと向かう。
     






 釣り人もおり、スワンボートもやってきた。




     
 石神井池の中間より先には中の島があり、両側から橋で渡れるようになっているので渡
り、この先、西方などを眺める。


     

     


 さらに瀟洒な住宅の前を進むと、対岸にコンクリート造りの彫刻が近づく。
     
 設置して長い年月が経過して汚れてはいるが、羽衣をイメージした芸術家のモニュメン
トだという。

 石神井池の北西端まで進んで南北に走る都道444号・井草通りを横断して、三宝寺池
(さんぽうじいけ)の北岸沿いの遊歩道へ。



 両岸が迫り細くなった池の一帯はスイレンの群生地で、清楚な花がたくさん咲き出して
いた。






      その中に1羽のアオサギがジッと立っている。
     

          



     


 その先、北側の湿地周辺は水辺観察園になっているが、本来の固有植物以外の雑草駆除
中と思われる、ボランティアの方々が入って作業されていた。

 
 その一角に咲くのはコウホネのよう。


 ちなみに三宝寺池は、武蔵野市吉祥寺の井の頭池、杉並区の善福寺池とともに武蔵野三
大湧水池として知られており、その名は南側の寺、三宝寺からきている。


 池の一帯はうっそうとした樹林に囲まれ、植物、昆虫類、野鳥、魚類、小動物などによ
る生態系が残っており、静かで貴重な自然環境が保全されている。

      さらに北岸沿いを進む。これは枯れススキの穂?
     

 ネムノキの若葉

 
     
    三宝寺池の中心部は大きな浮島で、貴重な沼沢植物群落になっている。

 ここには、1935(昭和10)年に国の天然記念物として指定され、当時は50種ほ
どの水生植物があったとされるが、その後減少したらしい。

 しかし、現在も約2万年前の最終氷河期に繁茂した遺存種であるミツガシワや、カキツ
バタ、コウホネ、ハンゲショウなどの貴重水生植物が浮島の中の島などの自生地で生育管
理されているという。

     
 最奥部近くの北岸にはよく育ったメタセコイアとラクウショウが林立し、その中のメタ
セコイアの1本も「ねりまの名木」に選定されている。
          
           樹高は22m、幹の周囲2.3mという。

 近くには、本来の枯れた湧水を補うためポンプアップしている水源がある。


      この辺りからも、中の島近くに立つアオサギが見えた。 
     


 三宝寺池の西北端付近からは、これから回る南西端近くの厳島神社と東屋(あずまや)
が望まれる。

 

 北岸のアシ辺近くに実っているのはキイチゴだろうか。





      緑陰の岸辺を眺めながら、西岸から南岸へと回って行く。
     




 池の南西端から折り返すように少し東進し、厳島神社前へ。拝殿の周囲は柵に囲まれて
いるので、その外側から参拝した。


 東側の東屋に回り、そばに咲き残るツツジ、池の北岸や浮島などを一望する。






     少し東側には、岸辺を背にして小さな社殿の水神社が祭られている。
     

          

 浮島の南岸の一角にもコウホネの群落があり,わずかに花が見えたが南岸の木々に遮ら
れてうまく撮れなかった。



 三宝寺池の東端に近い橋から、池に茂る芦原やその向こうの往路で眺めたスイレンの群
生地辺りを眺める。




 この後は、橋の南側斜面に残る、石神井城の中心内郭跡(ないかくあと)に向かうこと
にする。〈続く〉




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品川・芝浦中央公園から高輪ゲートウェイ駅へ(東京・港区)

2022-05-22 21:34:45 | 江戸・東京を歩く
 2022年5月17日(火)

 品川駅東口近くに職場があった20数年前からお世話になっている、歯科医院から定期
検診の案内をもらったので、11時30分からの治療に出かけた。

 特に問題は無く、12時過ぎに治療は終わった。あいにく小雨模様だったが、近くの芝
浦中央公園に小規模ながらバラ園があったのを思いだし、回ってみることにする。

     
 品川駅東口近くの街路樹のひとつ、大きなブラシノキがたくさん花を付けていた。


     

 近くの歩道沿いには,ジャスミンかと思われる小さな花がたくさん咲いている。

 
 品川駅東口の北東側に「品川シーズンテラス」と呼ぶ2つのビルがあり、そのひとつ、
タワーと呼ぶ高層ビルの2階へエスカレーターで上がってロビーを北に抜ける。

      
 ロビーに展示されていたこの怪人はなんだろう。ネットで検索してみたら、コナミグル
ープのゲームソフト開発チームと関係があるよう。

      
 近くにある2つの人形の下にあるのは、ゴールウェイというメーカーの、グランドなど
での転倒防止用砂袋入れで、砂を10㎏入れられる容量があるらしい。


 これらの会社は、このビルに入っているのだろうか・・・

 タワービルの建物を抜けた北側は、イベント広場と呼ぶ芝生地や緑地で、その西側から
北側にかけては港区立芝浦中央公園になっている。

 その芝浦中央公園の南端から入り、以前来たときと同様に北側に向かうことに。

     
      咲き出したバラ


 公園南端から望む北方のビル群は、小雨模様でやや霞んでいる。

 

 ところどころに、バラやサツキの植え込みなどあるが、花は乏しい。


 こちらは東北方のビル群だったろうか


      振り返り見る南側のタワービル
     

 わが家にもあるシランは、あちこちに咲いていた。



 突き当たりまで進んで右折すると、その先がバラ園で、まだ少し早めのものもあるが、
何色ものバラが咲き競っていた。








     



     









     

          



 さらに左折した公園の北東部側にも。





 

 北端まで進んで芝浦中央公園を出て、都の大規模な下水処理施設、芝浦水再生センター
を見下ろしながら北進する。



 実は、今巡ってきた芝浦中央公園も、下水処理施設の上を覆った人工地盤の上に造られ
たもの。

 公園の南側、タワービル(左)とアネックスビル(右)。アネックスビルの向こうが、
JR品川駅東口になる。


 橋を渡り終える辺り、眼下に咲いていたシャリンバイ


 橋を下り、JR東日本の新幹線車両基地に延びる、運河上に架かる高架橋の手前へ。
     
 直進すればJR田町駅方面だが、手前を左折して西側、JRの大規模開発工事中のエリ
アへ。

     
 突き当たって右折してすぐ先で、JR東日本の再開発地や山手線、東海道線などたくさ
んの線路下を抜ける「高輪橋架道橋」と呼ぶ地下道に入る。

 ここは、20数年前の品川駅東口のビルが職場だった頃、田町駅近くの関係するビルに
行くためによく通ったところ。当時は自動車も通行できたが、現在は歩行者専用道になっ
ている。

 天井高は170㎝くらいか、私は大丈夫だが背の高い人は頭を下げて通行しなければな
らない。


 抜けた先は、一昨年に通過時は右折して緩やかな上り坂だったが、現在は緩い階段にな
っていた。


 その先、両側は塀に囲まれていて、一部だけ透明アクリル板のところからは、田町~品
川駅間にあった旧電車基地跡をJR東日本が大規模再開発工事中で、工事用装置やクレー
ン群などが望まれる。


      曲がり角から北側に、休止されたらしい線路が残る。
     

 工事エリアは、一昨年に通過した際より、かなり多くのクレーンや工事資材などで埋め
尽くされいた。
           
 
 国道15号線・第一京浜に出ると、北側に残る国史跡・高輪大木戸跡(たかなわおおき
どあと)の周囲も工事中だった。
     


 近くにあるJR東日本の品川開発プロジェクトの看板。田町駅寄りから高輪ゲートウェ
イ付近まで、4つの街区に分けて工事中で、国道下には都営地下鉄泉岳寺駅がある。

 4街区に分かれた建築計画の掲示板






 
 
 泉岳寺交差点からは、南東側に階上にある神社、西側突き当たりには泉岳寺の山門らし
い建物などが望まれる。




 ひとつ南側の交差点を左折して線路の手前を右折すれば、JR山手線と京浜東北線の高
輪ゲートウェイ駅前に着く。

 

 出改札口は2階なので、エスカレーターか階段を上がって道路を上を越える。改札近く
のデッキからも、再開発工事現場が望まれる。

 西北側、真ん中のブルーシートの辺りが、明治5年に開業した新橋~横浜間の日本最初
の鉄道のために、海岸を埋め立てて造られた路敷敷きの遺構。


 国重要文化財に指定され、再開発が完了する3年後には公開されるはずだが、私はその
頃はもう、見に行くことはないだろう・・

  
 13時30分に改札を入り、13時32分発山手線内回り電車に乗る。

〈追記〉
 5月25に日(水)22時~22時45分のNHK総合TV「歴史探偵 徹底調査鉄道
150年▽発掘 巨大鉄道遺構!海の上を走った鉄道CG再現」(大阪局発)で、最後に
紹介した高輪ゲートウェイ駅付近のことが詳しく放映されました。

 「NHKプラス」で1週間後まではご覧になれます。



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羽村取水堰からチューリップまつりへ(東京・羽村)〈後半〉

2022-04-18 17:26:36 | 江戸・東京を歩く
 2022年4月13日(水)〈後半・チューリップまつり会場〉

 多摩川左岸、桜づつみ公園の堤を下り、チューリップまつりの会場である「根がらみ前
水田」の南東端から会場に入る。








 現在はチューリップが一面に花開いているが、ここは初夏から秋は米を作り、秋から春
にチューリップを栽培して観光スポットになるようだ。










 チューリップづくりには、地域の子どもや農家、チューリップオーナー、ボランティア
といったたくさんの市民などが関わっており、地域の「学び」、活力生まれる「にぎわい」、
そして世代を超えた「交流」の場所になっているという。










 砂地の田んぼに植えられた数え切れないほどのチューリップを眺めながら、細いあぜ道
や遊歩道を進み、約35万本というチューリップの多彩な彩りを楽しむ。










 根がらみ水田の面積は約59,000㎡あり、東京ドームの1.26倍あるという。


     









 北側中央部には展望台があり、その周囲にはたくさんのこいのぼりが泳いている。


 少しずつ回って展望台の方に近づいて行く。


 それぞれの水田には、チューリップを植えたグループの名札が立っていた。


     展望台の下まで進んだので、展望台に上がって眺めることにする。
     

 展望台には10名までしか上がれないので少し待ち、係員の指示に従い上がった。


 左手(東)↑から中央部(南)、さらに右手(西方)へとチューリップまつり会場を一
望する。












 展望台を降りた後は、ミニ水車のところから西側に向かって中央部を進む。






 西北の豊富の木々に囲まれた一角に見える寺院が、ゴールに予定している一峰院らしい。


 その方向に向かって進み、南側正面の鐘楼門から入る。


 一峰院(いっぽういん)は、最初に訪ねた禅林寺と同じ臨済宗建長寺派の寺院。応永31
(1424)年の開基とされ、現在の建物は明和3(1766)年の再建という。
 

 鐘楼門は江戸末期の文政2(1819)年頃の建築のよう。一般的な楼門と比べて高さ
が目立ち、壁がないこと、また3か所に扉が付いていること、すべての柱に角柱を用いて
いることなどが珍しい形式のようで、羽村市指定有形文化財になっている。
     


 境内は参道の松をはじめよく整えられていて、本堂西側の大ケヤキの芽吹きが始まって
いた。
     

          

 鐘楼門の内側から参道の松を。


 門前の一峰院バス停に14時04分に着き、14時12分発の羽村市コミュニティバス
「はむらん」の小作(おざく)コースのバスに乗る。


 JR青梅線の隣駅、小作駅西口には14時20分頃着く。



 小作駅14時32分発〈4分遅れ〉の青梅線上り電車立川行で帰途についた。

 (天気 晴、地図 「ぶらりはむら」の地図 & 1/2.5万 青梅、歩行地 羽村市)



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羽村取水堰からチューリップまつりへ(東京・羽村)〈前半〉

2022-04-17 21:02:34 | 江戸・東京を歩く
 2022年4月13日(水)〈前半・羽村駅から羽村取水堰へ〉

 いつも拝見しているakioさんのブログで今日辺りは見ごろと知り、連れ合いと「羽村チ
ューリップまつり」を見に行くことにした。

 西武池袋線から西武新宿線、西武拝島線、JR青梅線を乗り継ぎ、羽村(はむら)駅に
11時13分に着いた。



 西口を出て南へ、まずは以前も来たことのある羽村市観光案内所に寄り、市内の観光パ
ンフレット「ぶらりはむら」などを入手する。

 所長の話では、今日はパンフレットの写真のようにチューリップが見ごろだろうという。

 今日の歩行ルートは「ぶらりはむら」の地図の一部、黒線矢印のとおり


 すぐ先で新奥多摩街道との交差点を横断して、そばの稲荷神社へ。

 創建年月は不詳だが、江戸後期の地誌「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」
には記述されていて、本殿には全面に彫刻が施され、江戸時代後期の嘉永元(1848)
年竣工と推定され、社寺建築洋式の典型的建築のよう。でも、拝観はできない。


     
 境内西側から階段を下る途中、多摩川右岸背後に延びる草花(くさばな)丘陵などの展
望がよい。


 階段を降りて道路を挟んだ東側は、臨済宗建長寺派の禅林寺(ぜんりんじ)。道路際か
ら境内に入る。

 創建は文禄2(1593)年で、小説「大菩薩峠」の作者、中里介山の菩提寺。中里家
は寺の近くにあったようで、墓所は背後の高台にあり以前来たときに訪れたが今日は省く。


 境内の2本ヤエザクラが咲き出し、本堂左手の道路際に「天明義挙の碑」がある。




      
 江戸後期の天明4(1784)年2月、羽村の名主や組頭層を中心に近郷40か所を巻
き込み、狭山地方の豪農商層の倉などを打ち壊した世にいう天明一揆のひとつの農民一揆
で、明治27(1894)年に一揆の犠牲者9名を「義民」として称えた記念碑という。

 
 本堂前の一角にイチリンソウ↑やヒトリシズカ↓、白花のヤマブキが咲く。







 山門は文久9(1862)年の建立、天井には「雨乞龍」と呼ばれる龍が描かれている
ようだが見逃した。

     
 山門前の民家に紅白のしだれ桜が咲き残り、その横には色鮮やかなトキワマンサクが。




 少し下った奥多摩街道と交わる羽村堰入口交差点際に、「羽村橋のケヤキ」と呼ばれる
ケヤキの古木が新芽を伸ばし始めている。
     
    樹齢は400~600年以上と推定され、東京都指定天然記念物という。

     
 羽村橋からは、玉川上水の両岸に葉桜に代わりつつあるソメイヨシノの並木が望まれる。


 橋を渡り、大きなタンク塔の方に進む。この塔は都水道局の羽村小作間調圧水槽で、地
上高は24.75mあるようだ。
     


 反対側は多摩川の流れ、すぐ先、上流が玉川上水の取水点となる羽村取水堰(しゅすい
せき)である。

 玉川上水は、承応2(1653)年、江戸市中への給水を目的としてつくられたもので、
ここから新宿区四谷大木戸まで開削された全長約43㎞の素掘りの水路。


 堰は洪水などのときには投渡木と呼ばれる材木を横に渡したものを取り払い、堰が流さ
れないように工夫されていて、土木学会の選奨土木遺産に認定されている。


 堰のそばの広場には、この玉川上水を開削した玉川兄弟の像がある。玉川兄弟はこの工
事の請負人に任命され、わずか8か月で開削したとのこと。
     
 手前が弟の清右衛門、後が兄の庄右衛門で、兄弟はその功労により「玉川」姓を与えら
れたようだ。

 広場の上水側には、昔の川の治水技術のひとつ、牛枠(川倉水制)(うしわく(かわく
らすいせい))がある。
     
 洪水時などに水の勢いを弱め、堤防が崩れるのを防ぐもので、堤防に植えた河畔林を切
り出して組み立てたという。

     
 歩行者だけ通行できる細い橋で玉川上水を渡り、奥多摩街道に上がった。


     
 羽村南郵便局のすぐ先、都水道局羽村取水管理事務所の道路側に植え込まれた、若木で
白花のトキワマンサクが10数本花開く。
    

 近くには、東京水道の守護神である玉川水神社が祭られていた。

 玉川上水が完成した翌年の承応3(1654)年に玉川兄弟の創建で、以後江戸町民や
上水路沿いの住民から厚く信仰されてきたもので、水神社としては最も古いものの一つの
ようだ。

 狭い境内には、羽村市指定史跡である玉川上水羽村陣屋の陣屋門が移築されていた。



 その横で奥多摩街道に分かれて多摩川左岸沿いの道路へ。上流から堰を見下ろしたり、
多摩川の流れや対岸の草花丘陵を眺めたりしながら進む。



 沿道の民家には、たくさんの草花が咲き競い、多摩川の「海から54k」標柱横から車
道を離れて左岸沿いの遊歩道を進むと、花が終わり新緑に変わりつつある三春の滝桜が1
本立っていた。

 羽村市制10周年を記念して、平成13(2001)年に羽村市福島県人会から寄贈さ
れたようだ。

 その先、多摩川左岸堤防沿いはソメイヨシノの桜並木が続く桜づつみ公園になっていて、
堤の北側は幼児用プールのある羽村市親水公園だが、今はプールに水は無い。


 12時30分を過ぎたので親水公園のトイレを借りた後、ベンチで昼食とし、拝島駅構
内で買ってきた握り飯をほうばる。隣には円形プールがあり、市の水上公園である。


 昼食を終えてさらに先へ、平成7(1995)年に造られた「桜づつみ植樹記念碑」の
周辺には、数本のしだれ桜が咲き残る。


     

 桜の向こうに羽村市浄水場の建物が見下ろせ、その尽きた辺りまで進むと、右手前方に
チューリップまつり会場が見えてきた。

                      
                                    〈続く〉
 



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