落語の「はてなの茶碗」の枕で、「古いもんなら何でもええ値がつくそうやから、うちのオバア売ってこい!」という下りがある。
誰でも笑う味噌糞一緒の「単純化」話だが、中国のスポーツ観はこのレベルだ。スポーツを勝ち負けだけで考えている。
国として、スポーツを国威発揚の道具にしているから、国民もスポーツとはそういうものだと思っている。勝てば愛国で負ければ「敵」を憎み、負けた自国の選手を非愛国と叩く。
スポーツを文化として楽しむ国では、敵味方、勝ち負けは、楽しむための目安に過ぎず、スポーツ観戦も、人間の生き様を楽しんでいる。
麻雀好きは麻雀で、ゴルフ好きはゴルフで人柄が分かると言う。
スポーツに対する姿勢にも、自ずとその国柄が現れる。国別のスポーツ大会は国民性の見本市でもある。
ドーピング問題にしても、スポーツを結果だけの道具として考えれば、手段は関係ない。
「技」としてのドーピングが難しくなれば、当然、別の技を繰り出すだろう。
中国のように、纏足や宦官を文化にした国で、デザインベビーが出るのはごく自然だった。世界の目があるから、医師が処罰されたが、中国の価値観としてはむしろ、「すごい技術」と感動していただろう。そんな国が磨くスポーツの技は、漢方薬の次は当然、遺伝子操作だ。
何しろ、スポーツの目的が違うから、結果のためなら何でもありだ。動物の遺伝子を組み込んだ「アスリート」が出てくる日も遠くないだろう。動物の能力を取り入れるのは元々カンフーの伝統だ。
ただ、スポーツを国威のメンツと考える中国は、不正がバレてメンツを失うことも避けたい。バレたら白を切り、恥をかかせる気かと脅し、切羽詰まれば、ドロを塗られたと被害者になる。コロナ起源もウイグル問題も、変わらない。
メンツは中国人の説得にも効く。勝ちに拘るネット民が日本選手を罵ると、「国際的にみっともない」から止めろという意見も出た。
ネット時代の味噌糞
日本人も、勝ち負けだけで考える人は少なくない。それでも、前回の東京五輪の頃より、多少は進歩した。ゴール前で抜かれた円谷が自殺したような悲劇は無くなったが、ネットで直接誹謗中傷する数はむしろ増えた。
それでも、体験スポーツ人口が増え、社会全体の意識が底上げされ、国威発揚とは考えなくなった。負けた選手を誹謗中傷するのは、自分ではやらないネット住民だ。アスリートを単なるゲームキャラぐらいに考えている。人の気持ちなど想像する能力がない。
麻雀やゴルフより、人間性が表れるのは運転だ。「ハンドルを持った途端」豹変する人がいる。車が自分の思い通りに動くことで、王様になるという説があるが、微妙に違うと思う。
運転に集中することで、社会性に配慮していられなくなる。周囲の人を忘れて地が出るのだろう。
同じ事はネットにも言える。ディスプレイとの対話には全く第三者がいない。文字通り「傍若無人」になり、なりふり構わぬ子供になって喚き散らす。
ネット上の誹謗中傷は、場合によっては取り締まる方向に・・・などと遠慮する必要はない。交通違反の切符のように、どんなに小さくても罰金を取ることにすれば、大きな犯罪になる前の抑止効果が生まれるのではなかろうか。