近年、西洋占星術が入る前は、日本の運命学は中国から来たものが主流だった。
全て漢字で伝わってきたが、実は、西洋占星術やインド占星術も伝わっていた。
遣唐使が、持ち帰った書経の中に、宿曜経として占星術が入っていたが、日本では結局、人気せずに忘れられた。
その後、日本での占いは、加持祈祷の類を除けば、易占と、農業のための暦註が中心だった。干支術の四柱推命などは戦国以降の比較的近代になって盛んになった。子平(四柱推命)は明代に確立されたというから、やはり江戸以降に入ってきたと思われる。
東の気学、西の推命と言われてきたのも、上方には新型の学問が入ってきたからで、東の気学は江戸鎮護の配置を定めた天海の古学が根付いたものだろう。
比較的最近まで、東では四柱推命が広まらず、そのせいか、四柱推命から派生した空亡論の、〇占術、天中殺、大殺界が、東京からブームになった。
また、戦後盛んになった西洋占星術の影響もあって、四柱推命の「関係論」がますます理解されなくなっているようだ。
もう40年ぐらい前になるが、当時、占星術で売り出し中の人に四柱推命の説明をしたのだが、占星術と四柱推命の根本的な概念の違いを、解ってもらうのに相当苦労した。
神殺に惑わされるな
気学にも四柱にも、吉神、凶神として様々な星が存在する。いわゆる「神殺」と呼ばれるものだが、極論すれば、神殺は一切要らない。
四柱も気学も、各々の作用原理こそが本体で、神殺はその作用を見やすくする目印のようなものだ。
例えば、自動車の運転で右折する時、右のウインカーを出す。しかし曲がるのはハンドルで曲がる。外から見ていると、右ウインカーが出ているから右に回る車だと言えるが、それは派生的なことで、運転手はウインカーを出さないでも回る。ウインカーを消し忘れて真っ直ぐ行ってしまうこともある。
神殺は、実態に派生する目印に過ぎない。名前だけ聞いて一喜一憂する意味は無いが、
「〇〇喜神がついています」などと言われると、喜ぶ人は多いだろうし、占う時に何も知らなくても解ったような気になる。
ウインカーが出てないからと安心して直進すると、ぶつけられることもある。
神殺にとらわれるのは生兵法だ