魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

制御不能 補足

2014年02月12日 | 自動車人間学

「制御不能」でハンドルには、見栄や名誉欲は無いと書いたが、誤解を受けそうなので少し補足する。

ボディーの名誉、ハンドルの誇り
名誉欲の強いのはボディーで、何でも良いから認められたいのがすべて。当初の旗印と、関係ないところからお声がかかっても、あっさり、初めからそれが目的だったような顔をしてそこに治まってしまう。

これに対しハンドルは、自分の思いや着想を人に認められたい一心で行動する。何でもかんでも「自分」が注目されたいわけではない。
したがって、自分の世界を曲げても認められたい訳ではないから、有名になるために作品を変更することを嫌う。

ゴーストライターは始めから曲げているではないかと思われるかも知れないが、そうではない。注文に応じて、それをやりこなす自分の能力に誇りを感じる。

この自分の構想を追求することで、結果的に有名になる人や、自分の能力の証明のためにコンテストなどに応募し、知られることになる人がいるが、自分を見てもらいたいのではなく、自分の能力を見てもらいたいのがハンドルだ。

名誉欲がないのに目立つエンジン
有名人が多いエンジンの場合は、何でも良いから自分の行動の結果を出したいのが動機だから、結果としてのお金に目が行くし、結果を出すためには筋道や精度にこだわらない。これが、その場しのぎの嘘になったので、これも決して有名になるのが目的だったわけではない。

ボディーの名誉欲は、何処に行っても自分が知られているような空気が欲しいので、なるべく姿を現さずに、それがバレて困ったな、の様な雰囲気でいたい。何処に行っても自分が大事にされる下地が欲しい、つまり、社会に守られたいマザコンのようなものだ。

名誉のボディー、自己顕示のシャーシ
これに対し、シャーシの名誉欲は自分と顔を合わせた人に、恐れ入らせたい。自分が現れることで、相手にそれを認めさせたい、直接的な自己顕示だ。

目の前の人の反応が欲しいのは、エンジンも同じだが、シャーシが相手をネジ伏せたいのに対し、エンジンはウケたい。
この比較で見ても、シャーシは自己顕示、エンジンは対人能力であって、見栄やハッタリ、名誉の欲望はボディーとシャーシの要素であることが解る。

能力の開花
また、知恵勝負はガソリンとハンドルだが、いずれも、少しこだわりを捨てることで、社会的なチャンスが広がるのだが、打ち込む能力とチャンスは反比例する。

ガソリンは思い込むより行動することで、ハンドルはバカの言うことに耳を傾けることで、大きく世界が開けるだろう。