魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

幸運の裏

2014年02月26日 | 占いばなし

世の中には、いわゆる「玉の輿」的に運の良い人がいる。それを羨ましがったり妬んだりする人がいる反面、その運にあやかろうと近づく人もいる。
これはどちらも間違いで、こんな人には関心を持たない方がいい。

玉の輿的な人とは、土砂降りの雨の中、その人が歩くところだけ、バリアを張ったように、雨が降らず陽が差している。そんな人だ。
つまり、訳が解らないがとにかく、不思議に運が良い状態でいる。
外から見ると、何ら、努力をしているようには見えない。

雨の中を一歩一歩、歩いている人から見ると、まるで仏さんのように、苦も無くフワリと雲に乗っているように見える。だから腹が立つ。また、あの横に行けば、自分も陽に当たるんじゃないかと近づく。

しかし、玉の輿は単なるラッキーではない。実はそれなりに努力をしているのだが、他人とは違う努力なので、それが見えない。
食べるために、蟻のようにあくせく働く人もいれば、蟻地獄のように、じっと待ち続ける人もいる。

蟻には蟻地獄の姿は見えないから、蟻地獄の存在も、蟻地獄の努力もまったく解らない。
しかも、蟻地獄は単に待っているだけではない。蟻の通りそうな所を探し、蟻が滑り落ちるように、常にメンテナンスをしている。
そんな努力は、始めから蟻に覚られてはマズイのだ。

何であの人がと思うような人が、スルリと玉の輿に乗ったり出世したりする。難関試験を突破したり、とりたてて業績があったわけでもなく、まばゆいような美人美男でもない。

自動車人間で言えば、ハンドルやボディーにこういう人がいる。
特に、乗用車タイプの人に多く、乗用車タイプであれば他の機能タイプにも現れる。
乗用車タイプは、世の常識に則って生きる人だから、その中の優秀なタイプは、世の「あるべき姿」と見なされ、理想の人と見なされる。

だから、仕事でも結婚でも、狙った相手に、優秀な人材、理想の結婚相手と思われる。
ただし、この場合、本人はターゲットを狙っていると自覚しているわけではない。ただ、自分は世の理想のタイプであり、そのポジションは当然だと信じているから、当たり前のように、スッと雲に乗る。何とか乗ってやろうと努力する人は、永遠に目標のままだ。

こういう、「私が運が良いって?失礼な。私なら当然でしょ」みたいな人に、決して、近寄ってはいけない。
人間なら誰でも抱えている負の部分が、この人には存在しない
あらゆる負を周囲の人に振りまいて、自分だけいいとこ取りをして生きている人だから、近寄る人間はいつの間にか、蟻地獄の餌食となり、その人の問題を全部背負わされる。(たとえ、家族でも)

また、妬んだり羨んだり勝とうとするのも禁物だ。その反射エネルギーが全部自分に返ってくる。とにかく外部エネルギーを全部自分に活かす人だから、関わって得することは無い。
とにかく、自分とは関係ない人と思っておくのが安全だ。