魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

一息

2006年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

ようやく、戦後の世相を概観して、とりあえず一息ついた。

あくまで、天王星のセンセーションなので、歴史には他の惑星の方が深く影響する場合もある。
一息入れながら、何を好きこのんでこんなことをしているのか、また、考えた。
常識を、別な角度から見たらどうなのかという思いがあるからだろう。

様々な悩みを聞いているうちに、固定概念こそが、その人を捉えていると思うようになった。
アホ言うもんがアホや」でも触れたが、人は自分の思考回路でしか考えることができない。

よく、「そこから離れられんか?」と、笑い飛ばす人がいるが、これは貴重な意見だと思う。
一つの次元で論理展開していくと、すべての事柄が矛盾無く補強されていく。若い時やエネルギーの強い人は、集中力があるから、一息入れて自分の考えを見直そうとはしない。これが過激の始まりだ。

年をとるとくたびれる。色んなものを見聞きして、それぞれに一理ありと思うようになる。インテリの優柔不断とも通じる。
世の中には様々な正論があるが、それでも世の中に悩みや争いが無くなったわけでもない。

「まともではない」占いの見方も、何かの役に立つのではという思いで書き始めた。誰かを説き伏せたり信者にしたりするつもりではない。そんな力もない。

占い的な見方で現代史を俯瞰することで、時代にとらわれない景色が見えてくる。
時代の季節を知り、来るべき世界を考え、今何をなすべきかを考える。本来、これは歴史学の仕事だが、歴史から未来を予見できるのは相当な人だ。
占いという立体めがねをかけると、歴史が簡単に飛び出してくる。いささか強引かも知れないが、これも一つの視点として参考になればと思う。