館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2024・おばぁスナック組の沖縄・その2「伊江島」。

2024-06-28 04:09:49 | 旅は続く






7時35分、職安前バス停で本部港目指し出発。9時のフェリーで伊江島を目指す。島の真ん中に「城山(ぐすくやま・あるいはタッチューと呼ばれる)」の伊江島とすぐわかるシンボルが近づいてくる・・・もう、ワクワクだ。





島上陸!1948年8月6日、伊江村の波止場で起こった米軍爆弾処理船LCT爆発事故。連絡船の入港と重なり船員や下船中の乗客、出迎えに来た村民を巻き込んだ102名の犠牲者を出す大惨事の慰霊碑が出迎える。



民宿を変えた。初「民宿かりゆし」・・・良い民宿であった。まずは荷物を預け、レンタカー屋さんに向かう。



ここからは、ツブクチョイスの見学が始まる。
アーニー・パイル・・・第二次世界大戦に従軍記者として同行し、1944年にピューリッツァー賞を受賞するなど、第二次世界大戦期のアメリカの従軍記者を代表する存在の1人となったが、翌年4月に従軍先の沖縄県伊江島にて戦死した。
このアーニー・パイルの功績を忍び、米軍は銀座と那覇に映画館を作る。那覇の「アーニーパイル国際劇場」これがあった通りが、国際通りと呼ばれるようになる。島には記念碑が建ち、米軍によって綺麗に整備されている。





有名なガジュマル。昨年の台風で2本とも倒れてしまった。それがどうなっているかは、今回の最大の関心事だった。
無残だった・・・村が何とか再生を試みているが、とっても悲しい姿だった・・・・



これが昨年、倒れる前のガジュマルだ。





伊江島の慰霊碑を訪ねる。伊江島の慰霊祭は「占領宣言」がなされた4月21日に行われている。兵士およそ2000人・住民1500人(実に住民の3分の1だ)が合祀されている。



島は晴れると化ける。海の青も空の青も、島でしか見られない青さだ。



村営金融機関だった「公益質屋」おびただしい砲弾の跡が、語るものは多い。解体せず残す思いがすごいのだ。







島のシンボル、城山には初めての方には必ず登ってもらう。急峻な階段の連続で、やっと登った頂上からの360度の眺めは見事としか言い表せない。
島中の畑・・耕作放棄地など無縁な、沖縄で特別に肥沃だった島がよくわかる。実は、この日は俺は登っていない。もう何度も登っているので、いいかな?って感じ。写真は、峯さん。



登山の後には、かき氷のご褒美が待っている。







阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんと「伊江島土地闘争」・伊江島住民は占領後すぐ慶良間諸島に強制移住させられる。2年後に返されたときには実に島の67%(現在も32%は占領されている)が米軍基地になっていた。ここから「伊江島土地闘争」が始まり、窮状を琉球民政府に訴える那覇への行進が始まる。着の身着のまま、カンパを助けに行われた請願は、「乞食の行進」と呼ばれたが、やがてこの行進が全土の闘争の起爆剤となり、沖縄の土地闘争が始まるのだった。
写真の、見事な、非暴力の「陳情規定」を読んで欲しい。





次に村民およそ150人が集団自決したガマを訪ねた。





こんこんと真水が沸く海岸・離島は「水」の確保が大きな課題だ。本部から海の中を通る送水管が出来るまでの、島の貴重な水源地は、また絶景でもあった。





そう・・・竹やりで突っ込むようなゲリラ戦を、わずかな軍隊は夜な夜な仕掛けたらしい・・・戦の愚かさの象徴のような碑だ。



土地を奪ばわれた中心地「真謝地区」に保存された団結道場。ここに人々が集まり、協議し、米軍に理性で立ち向かった場所だ。



伊江島補助滑走路。今も米軍の施政下にあるが、通行は黙認・周辺の畑も黙認耕作地となっている。

軍隊は人を殺し、文化を奪う。

伊江島は補助飛行場を受け入れることで国から莫大な交付金や助成金を引き出してきた。基地反対運動は影を潜め、「アメとムチが人の声をも奪って」今に至る。
「国がぶら下げるアメを、次は拒めるか?」・・・・・戦争体験者はもうすぐ人口の1割を切ると言う。語り部が居なくなって、戦争の物として残る「戦跡・資料」が大事になって行くと言う声もある。現地に立つと、その重要性が僕はわかる気がしている。現場主義!
お金でふさがれた「声」・・・・さて、どうする?







最後にやってきたのはこちら。海からは入り口が見えず、多くの住民の命を救った。
風光明媚にして、ガマからのハートの光が素敵なのだ。

県議選は惨敗に終わった。沖縄の選挙は、寄せては返す波のように、いつも右へ左へ揺れる。このまま自民公明が続くことは無い(と、僕の沖縄20年は教える)。
寄せては返すのだ。




コメント
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