館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2024うりずんの沖縄・ツブク観光ガイドツアー・前田高地の戦いの地を踏む。

2024-04-03 04:19:00 | 旅は続く




浦添市の整備した広大な「浦添大公園」・・そこには遊具あり、花々が美しいスポットあり、やがて尚王朝につながる英祖王統が生まれ、その英祖王(1260~1299)の墓である「うらぞえようどれ」があり、そして、米軍との激戦が行われた「前田高地(ハクソーリッジ)」がある。

3月26日沖縄慶良間諸島に米軍上陸・3日でいくつもの島を総なめにする。4月1日ついに本島読谷村上陸。8日から迎え撃つ日本軍と16日間の激戦。第一陣が突破され、控えていた第二陣地・・前田高地で5月6日から12日間の激戦が始まる。やがて、首里が危うくなり、27日から南部撤退となる。日本軍も5万人ともいわれる戦死者を出し、米軍も2万を超える戦死者を出す激戦であった。

3日目のメイン企画は「ハクソーリッジ」を訪ねるであった。

今回のツアー客は、栃木県・山口県・そして北海道からの3名。この時期出稼ぎの北海道海坊主が所望した「ハクソーリッジ」だったが、3日目になっても風邪の容体が回復せず、ホテルで臥せっていたのである。(まったく、何しに沖縄まで来たんだか?・・・哀れ!)

いままで、ワカリジー・・・米軍が「ニードルロック」と呼んだ攻防の場所には行けなかったが、市が整備し、ついに行けることになっていた。幸せ!こうして何回も行っている場所でも、整備が進み、予算がついて発掘されて、新しい出来事が起こる。俺にとっては、このニードルロックに行けるは、今回の新しい場所・初めての場所になったのだった。







まずは、英祖の墓の内部復元が見れる「ようどれ館」を見学し、墓を見学した。



見学を終え、いよいよハクソーリッジ。





北海道の連隊が戦った地には、北海道知事揮毫による、慰霊碑が建っている。









ニードルロックにやっと立てた!狙撃にも、見張りにも最適な突き出した岩は、これを落とすために攻防戦が始まるのであった。



缶詰壕。





カンパン壕。
激戦の高地は、北斜面の攻防。その南には、日本軍の食料倉庫の壕が口を開けている。調査も行われているから、もしかしたら、内部に入れる日が来るかもしれない。





前田高地を後にし、山口Iベーベーが所望した、宜野湾の「佐喜眞美術館」にタクシーでやってきた。アクセスは那覇からならバスが安いが、前田高地からは難しい。
相変わらずすさまじい迫力で、丸木夫妻の「沖縄戦の図」が押し寄せた。
何度も見ているのに、毎回違った印象なのが不思議。
喜屋武岬 おきなわの図・・・なんども見ているのに、しばし目を奪われた今回であった。



屋上は、なだらかな階段・・その先に出窓。ここには6月23日、慰霊の碑に「夕日が沈む」作りになっている。



普天間基地の一部が変換され、そこに佐喜眞氏個人が、沖縄戦の図をメインにした美術館を作る。
フェンス1枚挟んで、広大な普天間基地が見える。滑走路を隠すように樹木が植えられ、我が物顔で、沖縄をむしばんでいる。

こうして、3日目の企画が終わって、バスで那覇市内し帰ったのだった・・・・
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