館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

11月11日・12日のお上り日記 12日の巻。

2017-11-17 05:22:32 | 旅は続く


2日はあまり好きじゃないこのような駅にやってきた・・・・



文化村通りを登って、猥雑なホテル街の中・・・「ユーロスペース」にやってきた。
もう1度「カメジロウ」を観たくてやってきた。




映画は12時過ぎに終わる。もう1度みてもいいかな?
そのまま銀座線で上野。
サッポロ味噌ラーメンが旨い記憶があって、味噌ラーメンが昼飯。



科博の「特別展・古代アンデス文明」を観ようかと思ったが・・・・
まずは、ゆっくりタバコが吸える「西洋美術館」の一角へ・・・・北斎とジャポニズムの特別展だったが、ここら界隈の美術館博物館で一番混んでなかったかも?行列は50mくらいだったかな?




ここはねぇ・・・ロダンがタダで見れるだよ・・・なんせ庭は無料で入れるからね。
ちょいと前BSでロダンのこだわりみたいな番組見たので、その線にそって鑑賞してみた。

確かに、モデルがこのポーズをとるのは(顎に添えられた右腕)自然体ではなく、かなり力が居るな。この肩の筋肉を造形したいとこだわったらしい・・・




カレーの市民!

イングランド王のエドワード3世は、クレシーの戦いで勝利を収めた後カレーを包囲、フランスのフィリップ6世は、なんとしても持ちこたえるようにカレー市に指令した。しかしフィリップ王は包囲を解くことができず、飢餓のためカレー市は降伏交渉を余儀なくされた。エドワード王は、市の主要メンバー6人が自分の元へ出頭すれば市の人々は救うと持ちかけたが、それは6人の処刑を意味していた。エドワード王は6人が、裸に近い格好で首に縄を巻き、城門の鍵を持って歩いてくるよう要求したのである。
カレー市の裕福な指導者のうちの一人、ウスタシュ・ド・サン・ピエール(Eustache de Saint Pierre)が最初に志願し、すぐに5人の市民、ジャン・デール(Jean d'Aire)、ジャック・ド・ヴィッサン(Jacques de Wissant)、ピエール・ド・ヴィッサン(Pierre de Wissant)、ジャン・ド・フィエンヌ(Jean de Fiennes)、アンドリュー・ダンドル(Andrieu d'Andres)が後に続いた[1]。 彼らはズボンまで脱いだのである。 サン・ピエールを先頭に、やせ衰えた6人は城門へと歩いた。 まさにこの、敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖の交錯する瞬間をロダンは捉え、強調し、迫力ある群像を作り出したのである。

などということらしい・・・・・

6人が全く違うものを見ている・・・その目線・・・バラバラな姿が、ちょいと迫力となって迫る感じ?




こちらの大作も・・・






アダムさんもイブさんもタダで鑑賞できます。



歩いていたら、東照宮さんも修復工事が終わって見ごろってんで、入ってみる。何十回と傍を通っているのに、立ち寄ったことが無い場所である。




こんな場所があるなんてちょいと驚きだった。

こんな由来だった!!クリック!



重要文化財の「唐門」は金ぴかだったぜ!





上野の森美術館は長蛇の列!!!わし・・・絶対20分以上は待てません!!



日曜日の上野の森は、イベントや大道芸満載だった・・・・・



芸大生のオペラなど・・・・



この方々は、下手だったなぁ・・・・これじゃお金とれません。




こちらは最高だった!!!

じっと動かないのだが、バケツに客が100円とか入れると、様々なポーズで答える。

その表情・動き・・・・天晴だった。



写真のべーべーが100円入れたら、ガッツポーズをしたとこな~~

こやつ、1時間見ても飽きないかも!!!!

ってわけで、いつしか、アンデスは行かず過ぎてしまった。

上野の森はお金がかからず、楽しめるねぇ・・・・



いよいよ浅草に戻り、土産に船橋屋の葛餅!



車中はちょいとひっかけて、心地よく帰ったのだった・・・・


こうして。2日目のお上りは終わったのだった。

コメント
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