館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2017秋の沖縄・ガイドツアー2日目・沖縄戦を辿るのだ!

2017-11-03 05:48:47 | 旅は続く


ウチナンチュウに聞けば、あなたの海は「日本海」「太平洋」「オホーツク」そして「瀬戸の海」だろうか?

ここは、そのどちらでもない「東シナ海」なのだ。そんな海を眺めに、読谷村の「残波岬」にやってきた。残念ながら、近づく台風の余波で、灯台は進入禁止であった。

2日目は大きなテーマがある。

①沖縄本島に戦争がやってきた、米軍上陸の地と、上陸から起こる小さな村の惨状の跡をめぐる。

②基地と共に暮らし、ベトナム戦争で栄え、やがて基地依存から脱却できずさびれ続けている「コザ」を歩く・が、大きなテーマだ。




3月26日、慶良間諸島を総なめにし、4月1日に沖縄中部、比謝川の河口からおびただしい数の艦砲射撃の後、本島上陸をする。




住民・日本軍が避難した「チビチリガマ」では逃げ込んだ住民140余のうち、83人が亡くなる。親が子を殺すような「集団自決」である。




チビチリからおよそ1キロ離れた「シムクガマ」にやってきた。
日本兵の居なかったこのガマは、1000人余の住民が居たが、ハワイ移民帰りの2人の住民が米兵の対応をし、「米軍は捕虜を殺さない」と避難民を説得し、1人も死ななかったガマである。
この2つの象徴的ガマは、多くのガマの中でも、訪ねるならここと、僕は思っている。



続いてやってきたのは・・・サトウキビ畑の中。♪ざわわざわわざわわ・・・♪ 寺島尚彦氏の名曲がここにたたずんでいる。




あの名曲が、ここに刻まれているのだった・・・・



読谷村を後にし、嘉手納を通って、コザに向かう。

嘉手納基地・・・・総面積は、約19.95km2。3,700mの滑走路2本を有し、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。また、在日空軍最大の基地である。滑走路においては成田国際空港(4,000mと2,500mの2本)や関西国際空港(3,500mと4,000mの2本)と遜色なく、日本最大級の飛行場の一つということになる。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。

この基地が一望でき、基地のミニ資料館のようなもの(基地を賛美はしていない)を備えた「道の駅かでな」がある。



庭には、琉球にサツマイモを伝えた、野圀総菅の像がある。中国から持ってきた芋は「琉球芋」となる。その芋、1609年に琉球侵略を行い、支配した島津・薩摩藩によって九州にもたらされ、やがて名前まで奪い「サツマイモ」になったのであった。




端から端までとてもじゃないが、レンズに収まらない基地である。
フェンスの中には「黙認耕作地」が見える。




やってきたのは、コザ(沖縄市)。嘉手納の第二ゲートを抱える町は、「行ったら帰れない」と覚悟してベトナムへ向かった米兵が、ベトナム行きが決まっての数日、有り金をはたいて遊びまくって栄える。レジに入りきらず、足元のバケツにドル紙幣を足で押し込んだという。

そして、街には一晩中ロックやJAZZが鳴り響いた。コザは沖縄ロックや沖縄の歌謡曲、大衆音楽の発祥の地である。
「コンディション・グリーン」「紫」「喜屋武マリー」・・・皆ここで音楽をやっていた。あの「ネーネーズ」も「喜納昌吉」もここで音楽をやっていたが、やがて那覇の国際通りに移る。

僕らは、知らぬ間に基地境界を越えていた。彼らは、写真の場所で問題を起こせば、基地内での犯罪かぁ?



どの通りを歩いても、ほとんどシャッター通りだ。
そのコザは、夜な夜な街を徘徊する米兵も減り、基地依存から抜け出せず、もがいているように僕には見える。



米軍はお金も落としたが、犯罪も落とした・・・・ひどいことをされても、裁かれず、泣き寝入りをしてきたコザの人達は、1970年に自然発生的に暴動を起こす。
有名な「コザ暴動」だ。やがて、本土復帰の1つのインパクトになった事件だ。

そんなこんなの、コザが、町によって「ヒストリート」の名で、資料館になっている。そこを僕らは訪ねたわけだ。





中味の濃い展示があって、僕はここを見学することを、いつも進めているのであった。



コザを後にして、那覇に向かう。帰り道には佐喜眞美術館がある。



丸木依里・俊さんの「沖縄戦の図」それが広い展示室の正面にあって、左右の壁には「チビチリガマの図」と「シムクガマの図」が配置されている。

圧巻の美術館だ。



屋上には、緩やかな階段とその奥に四角い窓。6月23日慰霊の日にこの窓から太陽が昇るように設計されている。



展望台からは普天間基地が一望できる。

こうして、2日目のメインの「旅」は雨にも祟られず、終了したのだった。

案内した2人は、感深そうだったので、ガイドとしてはホッとしたしだいである。



2日目も自由時間の後、6:30ホテルロビー集合。
ちょいと人気の、予約をしないと呑めない「居酒屋野郎りょう次」が1軒目。



乾杯だんべ。




初日の肉とはちと、ランクが違う肉・・・




S氏は、もずくの酢の物は、酸っぱいので嫌いらしいが・・・すっぱくなけりゃ「もずく酢」じゃなかんべ?
だが、この「もずくのてんぷら」はストライクだったようだ・・・
へちまのみそ炒めも、初体験!



2軒目はお二人のリクエストで「ネーネーズ」!!



もはや、5代目・・・・



1曲目が、あの「かめじろう」の映画の劇中歌・・ネーネーズが歌う「おしえてよ亀次郎」!!!

すでにお二人のテンションは、1曲目で上がって・・・・・


この後・・・・(クソ高い)ベーベーのいるスナックに2人は行ったのだった・・・・わしゃ、ホテルにかえって、マッサージ!

こうして、2日目は終わったのだった・・・・

長い、旅日記・・・読んだあなたは、エライ!!!
コメント
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