館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2017秋の沖縄・ガイドツアー4日目・飛行機が飛ぶのかぁ?

2017-11-05 05:19:23 | 旅は続く


急きょレンタカーを見つけ、3日目に予定していたコースに向かう。運転手はミネさん。

ところで、台風ドキュメント!

日曜フライト予定だったが、飛ばない場合を想定し、添乗員は前日台風真っただ中の夕方、ホテルと交渉を「すでに」行った。

以下、台風直撃などに遭遇で、フライトが怪しい場合の参考に記載する。



金武町から眺める太平洋。美しい・・・・

さて、ホテルとの交渉。

俺「明日は飛行機が飛ばない場合に備え、ホテルを押さえておけませんか?」
ホテル「今も、キャンセルが入っているので、大丈夫です」
俺「もし飛んでキャンセルの場合、いかほど?」
ホテル「明日の午前中に判断いただければ、キャンセル料はかかりません」!!

いいホテルだ!

そして、いよいよ当日。9時から受付のJALのこうした場合の電話にかける。(ちなみに、空港に駆け付け、窓口の場合、客でごったがえしているだろう・・・)
「混み合ってるので、このままお待ちになるか、おかけ直しください」の機械的アナウンスを聞きながら、10分強受話器そのままに待つと、やがて僕の番がやってくる。

僕「僕の9**便は飛ぶのか?」
受付嬢「飛ぶことになっていますが、関東に台風が向かっているので、フライト時の状況によっては、取りやめなどあります」
受付嬢「なお、こちらの便は、フライト時間の変更や日にちの変更が可能な便になっています。いかがなさいますか?」

*そりゃ、このまま空港に行って、ジャッジメントを待つのはやだ!!

僕「わかった、明日に変更して」
受付嬢「午前中は埋っているので、12:50の906便が最短です」

と、この電話で座席の確定も行えて、あっという間に翌日フライトの変更は終わった。ホテルに明日のフライトを伝え、部屋の確保も終了した。

そうと決まれば、昨日行くつもりだった行程を本日!レンタカーなど至急手配(実際は、ここにもドラマがあったけど割愛)。



南部の日本人捕虜収容所から、辺野古の二見に送られた人々と、受け入れた辺野古の人たちとの交流が生んだ、戦後すぐに出来た歌「二見情話」の里を訪ねた。



今も沖縄では大事にされ、歌い継がれ、毎年「二見情話」だけを歌う大会が名護では行われている。

戦後出来た、沖縄のフォークソングである。僕らの今回の旅は、フォークソングを訪ねる旅が、3日目に組まれていたのだ。
そしてS氏は、今回沖縄で、数曲ひねらねば・・・と、プレッシャーがあったのだ。(俺とミネさんには無いけど)。



作られた「照屋朝敏」氏は、僕は反戦歌として作ったと、語っている。



美しい辺野古の風景、そこで出会う、美しい娘・・・・

辺野古が揺れる21世紀の今、静かに、反戦の思いを込めて「二見情話」が歌われているのだ。
こぶしを振り上げ、ゲート前で行動する姿は、やむに止まれずの悲壮な、胸が張り裂ける姿だ。
が・・・静かに、文化で「二見情話」で思いを伝えることもあってよい、と、僕はここに来た。




台風翌日のキャンプシュワブゲート前は静かだった。毎日抗議活動をしている方々も、簡易テントが飛ばされないように、シートを片付けたりしてあった。




S氏は歌った以上、この方を訪ねなければならないのだ。
「一声不平あり」・・・あのCDで歌った田中正造と當山久三の邂逅。
金武町役場の高台に、當山久三が「沖縄移民の地」五大陸を力強く指しているのだ。



ちょいと観光も・・・海中道路を通って、平安座島で食事・・・乾杯!悲しいかな運転手なのだが・・・




世界遺産も2つほど回る。首里の尚王朝が天下を統一する寸前、最後の英傑の1人「阿麻和利」が居城した、勝連城跡にやってきた。1400年から1450年代の琉球の話だ。
滅ぼされた者だが、地元では英雄だ。

民族の心ねを知ることは、「島ぐるみ」と呼ばれる、沖縄の力を知ることでもある。歴史を辿ることは、確実に現在に至る。




美しい城跡だ。初めて人を連れてくると、皆感動するのだった。




次にやってきたのは、中城城跡。先の勝連に阿麻和利・・・首里からその守りに派遣され居城していた「護佐丸」。
護佐丸(ごさまる、生年不詳 - 1458年)大和名は中城按司 護佐丸 盛春(なかぐすくあじ ごさまる せいしゅん)、唐名は毛国鼎(もうこくてい)。ただし何れも後世に付けられたものである。第一尚氏王統建国の功臣で、尚氏6代の王に仕えながら晩年に謀反を疑われて自害し、忠節を全うしたと伝えられる。

まぁ・・このように悲劇の主人公で、やはり地元では貴ばれるが、実際は、阿麻和利と同じく、天下を狙い、夢果たせずであったと思う。




右に正門を望むこの場所は、ペリーが「世界で一番美しい城」と、形容した場所。



護佐丸は築城の名人であった。この護佐丸アーチはひときわ美しい。



城跡から少し離れた場所に、護佐丸の墓がある。城はひっきりなしに観光客がやってくるが、この墓を訪ねる人は少ない。





台グスクのガケ下にあり、現存する亀甲墓としては、県内で最も古いものの一つといわれている。



こうして、台風でホテル缶詰の1日を翌日リベンジし、全日程を完璧に辿れたのだった。

よるはねぇ・・・日曜日は、地元相手の店は休業が多い。俺の3・4の店も皆休業。

しかたないので、コマネチ・・・




そして、タンパラヤでひっかける以外に、選択肢はなかったのだ・・・・








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