館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

嘉手苅林昌・今月の僕の新譜その2。

2016-01-30 06:26:46 | お勧めCD/LPなど
館林はそれなりに積もったかな?雪。

ツブが大きいから、みぞれだったか?

寒いねぇ・・・

今日は何も予定の無い土曜日。

企画したコンサートのチケット売りでもすっかな・・・部屋の掃除もしないとな・・・それと、半年分の旅の紙類(パンフとか自分で作った資料とか)のファイリングもしないとなぁ・・・

う~~隣で、女房が、TV体操始めたぜ・・・踊ってるぜぃ・・・


さて、土曜日は音楽だ。


早く行きたいなぁ・・うりずんの頃の沖縄。






嘉手苅 林昌(かでかる りんしょう、1920年7月4日 - 1999年10月9日)は、戦後沖縄県を代表する沖縄民謡の唄い手。沖縄県内で同世代からは「カデカルさん」、若い世代からは「おとう」と呼ばれ親しまれた。竹中労は彼の事を「島唄の神様」と称した。(以上・ウィキ)

歌が練習できるので、歌いながら出来る職業として、馬車曳きとして生計を立てていたとか、奇行も多く伝えられている(例えば、客席に向かって「歌を聴きに来るバカがいる。歌は歌うもので、聴くものじゃない」という意味のことを言い放ったといか・・

しかしまあ・・彼自身の人徳もあっておおむね許容され、「風狂歌人」と謳われたとか。

まあ、沖縄では、もう、彼のような民謡歌人は生まれないのでは、とか、言われているBIGである。



その彼のベスト盤を購入。



この帯を書いた、やはりビッグな一代の歌手・・登川 誠仁も今は亡くなり、新しい世代が「音楽のと踊りの島」の伝統を旺盛に担っているのだった。

聴いてみようか?

ナビィの恋からな!

1999年10月9日、肺がんのため死去。歿後間もなく封切られた映画『ナビィの恋』に出演した時の姿が、ほぼ最後の歌声の記録となった。


コメント (2)
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