館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

まさに「清冽」な本であった。

2016-01-06 05:01:41 | 生活雑感


2006年2月17日に亡くなった「茨木のり子」さんのドキュメンタリー作家の名著だと断言する。
茨木さんの作品に「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)という、名著があるが、まさに、「詩のこころを読んだ詩人」のこころを読んだ本であった。

現代詩の作り手のもはや巨匠?の、新川和江さんをして「現代詩の長女」と言わしめた、茨木のり子さんだが、僕もこの詩人の作品との出会いは強烈だった。


まだ、僕は高校2年生で、高文研という出版社が発行した「考える高校生」という冊子で、この「六月」に出会ったのだった。



六月    
                         

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける


どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる


どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる




なんという清清しさと思った。

まだ、沖縄はカリフォルニアで、様々な政治的カオスに、自己を並び立たせ、自律の途中だった僕は、こんな、仲間・人間関係が理想になったように思う。

この思いは、その後色あせることは無く、大学の学生運動・故郷に戻ってからの30年続いた「あかんべ山コンサート」の寄り添うべき原点の思いなったのだった。

茨木さんは、20歳で終戦を迎える。その戦争体験が、思考の原点になっているのだろうが、彼女自身が言葉を編んだ詩の如く、見事に自分が見つけ、思想としたものに寄って立ち、詩を作り続けたかたであった。

いかなる権威にもよりかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
自分の耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことあるや
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけだ

ーー椅りかからずに・抄ーー



およそフォークソング・・・・言葉を武器に、想いを伝えんとするものが多い。
だから、どんなに楽器が、かっこいいんでないかいってな、フィルインやリードなんぞ入れようとも、美味しいところはボーカルがもって行ってしまうのだ。

さればこそ、言葉をあやつり、繰り出す、フォークソングシンガー諸氏。
こうした詩などで、言葉を研ぎ澄ましてはいかがだろうか?
良く突き刺さるぜ!そのフォーク!


秀逸なる本であった。

一読をお勧めする!
コメント (8)
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