参院選が終わった。
選挙カーのうぐいすとして、選挙に参加する機会のある私ではあるが
選挙と政治は別もの…政治に詳しいわけではないので
浅学無知なしろうとが、あれこれ偉そうに語るつもりはない。
しかし、今回ほど結果が気になった選挙は、これまでに無い。
この選挙は、国民が現政権に審判を下す選挙であると同時に
マジで国民の良識と、日本の将来が問われる選挙であったと感じている。
個人的に、結果にはおおむね満足した。
有権者をバカにしている…もしくは
政治家にでもならないと食えない客寄せパンダの大半と
誰とは言わないが、このまま大役を続行させては危険と感じる人物も
無事落選した。
それだけで充分だ。
与党における衆参の勢力がおソロでなければ
ねじれ国会と言われるらしいけど、ねじれて何が悪い。
ねじれると政治が混迷するというけど、もう充分混迷している。
ねじれまくって、国民に真実を知らしめるのが
政治家の、せめてもの誠意であろう。
国民が不利益をこうむるとわかっている法案を
みんなで選んだ議員さん達が通すわけがない…
このような安心と信頼は、しばらく前から、もう日本には無い。
個人だと立派な人もいるのに、集団になるとおかしな方向へ走るのは
そこいらの井戸端も、国会も同じらしい。
…よく知りもしないのに、面倒くさい話をしてしまった。
さて、私のひそかな楽しみは、当選後のバンザイ三唱である。
バックの者を赤で揃え、自分は白を着てお辞儀をする者…
バンザイの後、長々とサインを書いて失笑をかう者…
色々いて、かなり楽しめる。
バンザイというと、たいていの人が手をパーにして前に向ける。
テレビの画面には、大小のもみじがいっぱい…ということになる。
ベテランの陣営は、よく揃って手が上がり
初当選の所は、戸惑いつつ…みたいなバラつきがあって、初々しい。
また、厳密に言うと、これはバンザイではない。
「お手あげ」「降参」の仕草である。
本当のバンザイは、手のひらを“前習え”の向きで、そのまま上に上げる。
つまり、手のひらは見せない。
私はこれを祖父から教わった。
昔は、どうでもいいことを教える年寄りがいたのだ。
戦時中ならいざ知らず、現在では、喜びやお祝いの気持ちを表わす
パフォーマンスとしてカジュアル化しているので
正しかろうとなかろうと、そんなこたぁどうでもええんじゃ。
みんなで「バンザ~イ!」とやっている中
まれに、この正統バンザイをする人がいる。
パーがいっぱい並んでいると、案外目立つのだ。
それを見つけるのが、マイゲームさ。
正統バンザイができるのは、たいてい老人。
そして主義思想によっては、年配だろうと若かろうと
正統バンザイが一人もいない陣営もある。
ここが私には興味深いところ。
これまで知る環境に無かった…または、知っていてもあえてしないという
可能性が考えられるが、私は環境だと思う。
環境が人を作る…な~んて、勝手に納得する。
年々、正統バンザイの人数は減少している。
いつか、いなくなるのだろうか。
ゼロも淋しいな~…
バンザイそのものが、戦時下を連想させ
「いけない」ということになって
禁止されてしまうかもな~…などと考える。
いやいや、国旗や国歌をとやかく言う者がいるくらいだから、わからんぞ。
もし子供がオリンピックに出たら、表彰は辞退させるんじゃろか…
それとも、もしかしてそんな子は、ああいう人の元には生まれねぇのか…。
ああ、またぞろ、つまらぬ方向へ行ってしまった。
もしもお暇があったなら、次の選挙でお試しいただきたいゲームである。
選挙カーのうぐいすとして、選挙に参加する機会のある私ではあるが
選挙と政治は別もの…政治に詳しいわけではないので
浅学無知なしろうとが、あれこれ偉そうに語るつもりはない。
しかし、今回ほど結果が気になった選挙は、これまでに無い。
この選挙は、国民が現政権に審判を下す選挙であると同時に
マジで国民の良識と、日本の将来が問われる選挙であったと感じている。
個人的に、結果にはおおむね満足した。
有権者をバカにしている…もしくは
政治家にでもならないと食えない客寄せパンダの大半と
誰とは言わないが、このまま大役を続行させては危険と感じる人物も
無事落選した。
それだけで充分だ。
与党における衆参の勢力がおソロでなければ
ねじれ国会と言われるらしいけど、ねじれて何が悪い。
ねじれると政治が混迷するというけど、もう充分混迷している。
ねじれまくって、国民に真実を知らしめるのが
政治家の、せめてもの誠意であろう。
国民が不利益をこうむるとわかっている法案を
みんなで選んだ議員さん達が通すわけがない…
このような安心と信頼は、しばらく前から、もう日本には無い。
個人だと立派な人もいるのに、集団になるとおかしな方向へ走るのは
そこいらの井戸端も、国会も同じらしい。
…よく知りもしないのに、面倒くさい話をしてしまった。
さて、私のひそかな楽しみは、当選後のバンザイ三唱である。
バックの者を赤で揃え、自分は白を着てお辞儀をする者…
バンザイの後、長々とサインを書いて失笑をかう者…
色々いて、かなり楽しめる。
バンザイというと、たいていの人が手をパーにして前に向ける。
テレビの画面には、大小のもみじがいっぱい…ということになる。
ベテランの陣営は、よく揃って手が上がり
初当選の所は、戸惑いつつ…みたいなバラつきがあって、初々しい。
また、厳密に言うと、これはバンザイではない。
「お手あげ」「降参」の仕草である。
本当のバンザイは、手のひらを“前習え”の向きで、そのまま上に上げる。
つまり、手のひらは見せない。
私はこれを祖父から教わった。
昔は、どうでもいいことを教える年寄りがいたのだ。
戦時中ならいざ知らず、現在では、喜びやお祝いの気持ちを表わす
パフォーマンスとしてカジュアル化しているので
正しかろうとなかろうと、そんなこたぁどうでもええんじゃ。
みんなで「バンザ~イ!」とやっている中
まれに、この正統バンザイをする人がいる。
パーがいっぱい並んでいると、案外目立つのだ。
それを見つけるのが、マイゲームさ。
正統バンザイができるのは、たいてい老人。
そして主義思想によっては、年配だろうと若かろうと
正統バンザイが一人もいない陣営もある。
ここが私には興味深いところ。
これまで知る環境に無かった…または、知っていてもあえてしないという
可能性が考えられるが、私は環境だと思う。
環境が人を作る…な~んて、勝手に納得する。
年々、正統バンザイの人数は減少している。
いつか、いなくなるのだろうか。
ゼロも淋しいな~…
バンザイそのものが、戦時下を連想させ
「いけない」ということになって
禁止されてしまうかもな~…などと考える。
いやいや、国旗や国歌をとやかく言う者がいるくらいだから、わからんぞ。
もし子供がオリンピックに出たら、表彰は辞退させるんじゃろか…
それとも、もしかしてそんな子は、ああいう人の元には生まれねぇのか…。
ああ、またぞろ、つまらぬ方向へ行ってしまった。
もしもお暇があったなら、次の選挙でお試しいただきたいゲームである。