先日、夫の友人の会社が倒産した。
急なことで、びっくりした。
つい2~3年前までは、無借銭を誇る優良企業だったのだ。
2ヶ月前に会った時
「いい時に調子に乗って、あちこち手を広げたばっかりに、内情は大変だよ…」
とは言っていたけど、近頃ではどこでも聞き慣れた、挨拶代わりと思っていた。
夫と友人は仕事を通じて知り合い、親しくなってから25年のつきあいになる。
あっちは大会社…うちとは規模が全然違うが
同い年であり、ワンマンな父親に押さえつけられる二代目同士。
好景気の昭和的経営を口うるさく押しつけたがる父親を
お互いに「老害」と呼ぶ。
最も恐れ、最も尊敬する父親への複雑な心境や
姉に苦しめられる境遇も似ていたので、唯一気持ちが分かり合える相手だ。
彼は車で2時間ほどの、離れた町に住んでいる。
離れているからこそ、お互いに普段の細々したものが見えず聞こえず
友情が継続したといえよう。
倒産の知らせを人から聞いて、夫は連絡を取ろうとしたが、つながらなかった。
いまどきの倒産は、昔のイメージとは違う…
彼も楽になったかもしれない…と夫をなぐさめる。
何がラッキーで、何がアンラッキーかは
この時点では誰にもわかりゃしない。
必要だったから訪れた、一つの現象に過ぎない。
昨日になって、連絡が取れた。
元気そうだったので、夫は安心していた。
悪化していた観光部門の撤退を、父親が聞き入れなかったし
説得出来なかった自分も甘かった…と言っていたそうだ。
お父さんは、長年の愛人を、そこの支配人に据えていたからである。
「ワシが死ぬまでは、このままじゃ!」
そしてお父さんは、まだピンピンしていた…それだけ。
昭和の好景気に、イケイケどんどんでやってきた爺さんというのは
ホンマに扱いにくいんじゃ。
当時は何をやっても当たったもんだから
強気で行けば、必ず思い通りになると思い込んでいる。
誰が何を言っても、絶対にきかない。
死んで静かになるしか、解決法は無いのだ。
この愛人さんに、私は会ったことがある。
チャキチャキした気持ちのいい女性で
若い頃は、さぞかし美しかったであろうおかた。
彼のお父さんがクラッときたのも、わかるような気がする。
ただし、頭は“盛る”なんてもんじゃねぇわ。
昔のおミズ経由を表わす、ソフトクリーム加工。
ヘアピースを使って、どこまでも高く結い上げる、昭和の懐かしい形だ。
まだこんなヘアスタイルにしてくれる美容院があるのにも、ちょっと感動。
花盛りの頃をそのまんま持ち越す人が、古めの愛人には多い。
そして彼も父親同様、妻以外の女が大好きであった。
だから良くなかった…などと、おこがましくも短絡的に
よそ様のことを断じるつもりはない。
ただ、背徳にうつつを抜かすのと
ここぞという重要な判断時期を見落とすのとは、セットである。
しかしそれは、快楽と引き替えの、覚悟の上だったと思いたい。
明日は我が身…この方面の符号からも、他人事ではない。
今、規模の大小に関わらず、自営業者の多くは
毎日薄氷を踏むような心持ちであろう。
万が一ではなく、万が九千九百が現状だ。
黄信号の灯る事業主にとって、何が一番恐ろしいか…
それは、文無しになる身の上ではない。
「社長」と呼ばれなくなる自分、肩書きを無くした自分である。
業務上やむを得ない場合を除き、これからは
肩書きで人を呼ばないほうが、お互いのためかもしれない。
また肩書きに関係なく、人と人とが本当のつきあいをする時代になったともいえよう。
肩書きを利用して、人に便宜を図ったり図られたりする形態が
不況によって崩れつつあるのは、まんざら悪いばかりではないように思う。
ナントカ会の会長だの理事だの、各種慈善的活動の名誉職もアダとなる。
派手にやっていればいるほど、精神的ダメージも大きい。
“荒城の月”ではないが、♪昔の光今いずこ…♪
この恥ずかしさが、自分を追い詰め、苦しめる。
我々一家は、以前より示し合わせていた家訓に
“恥を恥と思うな”をおごそかに付け加える。
「恥を恥と思うな」
「いたずらに役を引き受けるな」
「言動を慎め」
「生きてりゃ良し」
「明日は我が身」
な~に、うちは倒産したって、失う物は無い。
しかし、そうなった場合、謝罪の苦労は当然にしても
メンタル面の無駄な葛藤は避けたいではないか。
女はわりと平気でも、男は、こういう無駄なことで苦しみやすい。
いつどうなっても、心は平静を保つべく、準備は怠らないほうがよかろう。
会社だけでなく、家庭の運営や、個人の気の持ちようも同じだと思う。
それはひとえに、迅速な再起のためである。
急なことで、びっくりした。
つい2~3年前までは、無借銭を誇る優良企業だったのだ。
2ヶ月前に会った時
「いい時に調子に乗って、あちこち手を広げたばっかりに、内情は大変だよ…」
とは言っていたけど、近頃ではどこでも聞き慣れた、挨拶代わりと思っていた。
夫と友人は仕事を通じて知り合い、親しくなってから25年のつきあいになる。
あっちは大会社…うちとは規模が全然違うが
同い年であり、ワンマンな父親に押さえつけられる二代目同士。
好景気の昭和的経営を口うるさく押しつけたがる父親を
お互いに「老害」と呼ぶ。
最も恐れ、最も尊敬する父親への複雑な心境や
姉に苦しめられる境遇も似ていたので、唯一気持ちが分かり合える相手だ。
彼は車で2時間ほどの、離れた町に住んでいる。
離れているからこそ、お互いに普段の細々したものが見えず聞こえず
友情が継続したといえよう。
倒産の知らせを人から聞いて、夫は連絡を取ろうとしたが、つながらなかった。
いまどきの倒産は、昔のイメージとは違う…
彼も楽になったかもしれない…と夫をなぐさめる。
何がラッキーで、何がアンラッキーかは
この時点では誰にもわかりゃしない。
必要だったから訪れた、一つの現象に過ぎない。
昨日になって、連絡が取れた。
元気そうだったので、夫は安心していた。
悪化していた観光部門の撤退を、父親が聞き入れなかったし
説得出来なかった自分も甘かった…と言っていたそうだ。
お父さんは、長年の愛人を、そこの支配人に据えていたからである。
「ワシが死ぬまでは、このままじゃ!」
そしてお父さんは、まだピンピンしていた…それだけ。
昭和の好景気に、イケイケどんどんでやってきた爺さんというのは
ホンマに扱いにくいんじゃ。
当時は何をやっても当たったもんだから
強気で行けば、必ず思い通りになると思い込んでいる。
誰が何を言っても、絶対にきかない。
死んで静かになるしか、解決法は無いのだ。
この愛人さんに、私は会ったことがある。
チャキチャキした気持ちのいい女性で
若い頃は、さぞかし美しかったであろうおかた。
彼のお父さんがクラッときたのも、わかるような気がする。
ただし、頭は“盛る”なんてもんじゃねぇわ。
昔のおミズ経由を表わす、ソフトクリーム加工。
ヘアピースを使って、どこまでも高く結い上げる、昭和の懐かしい形だ。
まだこんなヘアスタイルにしてくれる美容院があるのにも、ちょっと感動。
花盛りの頃をそのまんま持ち越す人が、古めの愛人には多い。
そして彼も父親同様、妻以外の女が大好きであった。
だから良くなかった…などと、おこがましくも短絡的に
よそ様のことを断じるつもりはない。
ただ、背徳にうつつを抜かすのと
ここぞという重要な判断時期を見落とすのとは、セットである。
しかしそれは、快楽と引き替えの、覚悟の上だったと思いたい。
明日は我が身…この方面の符号からも、他人事ではない。
今、規模の大小に関わらず、自営業者の多くは
毎日薄氷を踏むような心持ちであろう。
万が一ではなく、万が九千九百が現状だ。
黄信号の灯る事業主にとって、何が一番恐ろしいか…
それは、文無しになる身の上ではない。
「社長」と呼ばれなくなる自分、肩書きを無くした自分である。
業務上やむを得ない場合を除き、これからは
肩書きで人を呼ばないほうが、お互いのためかもしれない。
また肩書きに関係なく、人と人とが本当のつきあいをする時代になったともいえよう。
肩書きを利用して、人に便宜を図ったり図られたりする形態が
不況によって崩れつつあるのは、まんざら悪いばかりではないように思う。
ナントカ会の会長だの理事だの、各種慈善的活動の名誉職もアダとなる。
派手にやっていればいるほど、精神的ダメージも大きい。
“荒城の月”ではないが、♪昔の光今いずこ…♪
この恥ずかしさが、自分を追い詰め、苦しめる。
我々一家は、以前より示し合わせていた家訓に
“恥を恥と思うな”をおごそかに付け加える。
「恥を恥と思うな」
「いたずらに役を引き受けるな」
「言動を慎め」
「生きてりゃ良し」
「明日は我が身」
な~に、うちは倒産したって、失う物は無い。
しかし、そうなった場合、謝罪の苦労は当然にしても
メンタル面の無駄な葛藤は避けたいではないか。
女はわりと平気でも、男は、こういう無駄なことで苦しみやすい。
いつどうなっても、心は平静を保つべく、準備は怠らないほうがよかろう。
会社だけでなく、家庭の運営や、個人の気の持ちようも同じだと思う。
それはひとえに、迅速な再起のためである。