殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・7

2024年08月05日 13時43分14秒 | みりこん流

『ドタキャンの女王』

音楽会に出たくない母は、数日の間

私を呼んだり電話をかけては、ああでもないこうでもないと

定番の行ったり来たりを繰り返していた。

容赦なく人の時間を食い潰しながら

自分がその気になる時期をじっくり待つ…

これは昔から彼女の悪癖なので、今さら驚かない。

私の気が長いとしたら、それは母に訓練されたのである。

 

やがて音楽会が明後日に迫った日

歌姫はようやく先生に欠席を伝え、あっさり了解された。

舞台を蹴った歌姫は、「このまま引退する」と宣言。

その表情には、欠席を受け入れてもらえてホッとした反面

言葉を尽くして引き留められなかった寂しさが垣間見えた。

 

それでも音楽会を欠席し、コーラスの引退を言い出してから

母は幾分、落ち着いたように感じた。

コーラスに諦めがついて楽になったのか

涼しくなって体力的に持ち直したのかは不明。

しんどいと言っては通っていた内科医院も

たまの点滴も間遠になった。

 

さて例年なら、この音楽会を最後に年内の行事は終わる。

けれどもその年は、12月の始めに大イベントが控えていた。

先生がコーラスグループを立ち上げて30周年の

記念コンサートが行われるのだ。

 

コンサートが近づくと、歌姫の虫は再び騒ぎ出す。

また先生に頼んで送迎をしてもらい、練習に励むようになった。

「私はね、このコンサートだけは出演したいの!

これを最後に引退する!」

歌姫は、キッと顔を上げて断言するのだった。

 

「もう引退したんじゃなかったんかい…」

怪訝そうな私を見て、彼女はムキになる。

「先生の弟子になって25年…

私の送り迎えまでしてくれて、25年よ?!

その恩人の記念コンサートを欠席できると思う?!

私はそんな恩知らずじゃないけんねっ!」

少し前に言ったことと、今日言うことが正反対なのは

彼女の場合、普通である。

 

「はいはい、頑張ってください」

「言われんでも頑張るわいね!」

燃える歌姫であった。

 

30周年記念コンサートが、いよいよ明日に迫った。

前日のその日は、実際の会場を使ってリハーサルをする予定だ。

直前まで張り切っていた歌姫だが、急に行きたくなくなった。

「どうしても行けません」

先生に連絡すると驚いた様子だったものの

歌姫の決心が固いのを悟り、快く欠席を受け入れてくれた。

 

そして一夜明けた当日の朝、歌姫は突如コーラスへの情熱が復活したらしく

泣きながら先生に連絡して訴えた。

「先生…やっぱり私、歌いたい!」

 

先生の反応は冷ややかだった。

「無理よ。

あなたが昨日のリハーサルを欠席したから

みんなの立ち位置が変わってしまったのよ。

本番で急にあなたを戻したら

また立ち位置が変わって、みんなが戸惑うでしょう」

「でも先生、私は歌いたいんです!歌わせてください!」

「ダメよ」

もうワガママは許されなかった。

 

母は自分一人で処理できない問題が起きた時

いつもそうするように、この日も私を呼んだ。

「胸が苦しい!」

と言うので駆けつけたら、またコーラスの件だったので脱力。

話を聞いて、そりゃ苦しかろう…とは、一応思った。

 

「私はただ歌いたいだけなのに!

私のどこがいけないと言うの?!」

ワッと泣き崩れる歌姫。

全部じゃ…と言いたいけど、面倒くさくなるので我慢。

気分を変えてやろうと思い、ドライブに連れ出したが

歌姫の心が晴れるはずもなかった。

 

『荒ぶる魂』

母はその翌日から、胸が苦しいと言っては

とんでもない時間に私を呼ぶようになった。

それでも初回ということで、少しは我慢したのだろう。

電話がかかったのは午前7時だった。

家族を仕事に送り出して駆けつけたら8時になったので 

A先生の所へ連れて行く。

そしていつものように、母の希望で点滴だ。

 

「家で待つか用事を済ませるんなら、長い点滴にするけど?」

A先生は私に問う。

点滴の容量で、時間を調節できるらしい。

「ありがとうございます。

こちらの待合室で待たせていただいてもいいですか?」

と言ったら

「じゃあ早く終わるように、短いのにしとくね。

点滴といってもただの電解水なんだから

あれで元気になるわけないじゃん」

そう言って笑うA先生は、母の詐病を見抜いているらしい。

 

点滴で元気になった母を連れて家に帰り、義母に経過を報告。

それから我が家で一番、家庭的な長男に連絡して

家族の昼ごはんをどこかで買い揃えるように依頼。

母には朝と昼を兼ねた食事を摂らせ、行ったり来たりの話や

コーラスの恨み言を拝聴して午後に帰宅した。

 

そして同じ日の真夜中…

正確には午前3時に、また母から電話だ。

「胸が苦しい!」

どうせ昼まで逃げられないんだから…と思い

ゆっくり化粧をして出かける。

そしてまた午前8時を待ち、前日と同じローテーションをこなした。

母は、舞台に上がらせてもらえなかった悲しみが頭から離れず

苦しんでいる様子だった。

 

それにつけても彼女ほど

何でも思い通りにしてきた人生を他に知らない。

しかし年を取ったことで肩書きや味方、自信や体力を失い

ただの老人になった。

ただの老人を、人は特別扱いしてくれない。

ヒロイン気質の母は、その現実を受け入れたくないようだ。

 

これまで彼女が周囲に振りかざしてきた刃(やいば)は

その鋭さゆえ、身が衰えても消えることは無い。

振りかざす相手がいなくなった今

研ぎ澄まされた刃は血や涙を求め続け

あげくに我が身を傷つけるしか無くなった…

母を眺めつつ、そんなことを思う私だった。

《続く》


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