殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・2

2024年07月31日 09時48分21秒 | みりこん流

市販の漢方薬を飲んでアザが消え、喜んでいた母だったが

さほど日をおかず、再び転んだ。

今度はメガネの金属でマブタを切り、何針だか縫ったと言って

数日後に電話してきた。

骨は折れてないそうだ。

 

こういう場合、どうなんだろう。

骨折しなければ、「転んだら近い」の世界ではノーカウントなのか。

それとも2回目ということで、一歩近づいたことになるのだろうか。

しかし、こうも立て続けに転んだとなると

母の脳は確実に衰えていると判断した方がよかろう。

頭では前に進んでいるつもりでも、足が付いて行かないため

2回とも頭から転んで顔を打ったのだ。

 

隣のおじさんがそうだった。

亡くなる数年前から、すり足で前のめりの歩き方になり

顔にしょっちゅう、すり傷や打ち身のアザをこしらえていたものだ。

同時にかなり厚かましくなり

ゴミ出しなどの用事を言いつけられるようになった。

家の外壁の内部にできた、スズメ蜂の巣の駆除を頼まれたこともある。

業者に頼めと言ったら「お金がかかるやないか!」と真顔で言う。

マジか…。

何度断っても頼みに来るのでウンザリしたが

最後は彼の奥さんに言って止めてもらった。

 

「歩き方がおかしくなったら、図々しくてケチになる」

この一節が私の頭にインプットされた一件だったが

母は歩き方がどうこう以前に、昔からそのような性格だ。

これで脳をやられたら、ホラーじゃないか。

私は、目前に迫っているかもしれない恐怖に覚悟するのだった。

 

ともあれ負傷した母は、転んだ原因を靴のせいにした。

「腹が立つから捨てて!」

転んだ時に履いていた靴を私に差し出す。

そうよ、不用品を捨てるのも私の役目。

しかし言われるままに従うと、厄介なことになる。

コロコロと気分が変わるのも、彼女の特徴だ。

 

靴を持ち帰り、保管した一週間後

「あの靴、返して欲しいんだけど、もう捨てた?」

母から電話がかかってきた。

やっぱりね。

さっさと捨てていたら

「何で?何で捨てたの?」

そう言って、ここぞとばかりに責められるのは決定事項。

感情に任せて他者に命令し、相手がどう行動するかを観察後

有責者に仕立てて存分に責めなじるのは、彼女の日常的な習慣だ。

私に機転があるとすれば、それは母のお陰である。

 

母の衰えは脳だけでなく、その数年前から目にも現れていた。

それは、下りのエスカレーターで判明。

乗れないのだ。

機械の中から次々に生まれてくる階段が全く見えないらしく

そのうち上りのエスカレーターにも乗れなくなった。

 

耳も怪しい。

何を言っても二度、三度と聞き返す、老人あるある。

聞こえないから自分ばっかりしゃべり続ける、やはり老人あるある。

 

しかし最も厄介なのは、本人がこの状況を全く理解してないことだ。

「頭は現役時代のままだし、目もよく見えるし耳も聞こえる。

足だって全然、弱ってない」

そう言って、胸を張る母であった。

 

 

『歌姫』

2回目の転倒直後

母は20年余り続けたコーラスを引退すると言い出した。

「舞台で転んだら大恥をかくし、コンサートを台無しにしたら

先生やメンバーに申し訳ない」

それが、当時86才だった母の主張。

私もピアノや吹奏楽で舞台に立った経験はあるので

その考えは真っ当だと思った。

次の練習日、母はメンバーにお別れのお菓子を配って挨拶し

25年続けたコーラスグループを引退した。

 

やれやれ、これでコンサートに行かなくていい…

ホッとしたのも束の間、数日後に泣きながら電話がかかる。

「私から歌を取ったら、何が残るというの?!」

いきなりこれだ。

歌手か…。

 

それから1時間、延々と訴えるのは

「歌を辞めたら寂しくて仕方ない…できれば戻りたい」

要約すれば、これ。

「じゃあ戻ったら?」

と言うと

「先生は許してくれるじゃろうか」

また延々。

「そんなん、戻ってみんことにはわからんじゃないの」

「それはそうだけど…」

また延々。

 

さらに1時間が経過、自分の答えが出ないことに焦れた母はキレた。

「あんたみたいな世間知らずの主婦に聞いたのが間違いじゃった。

こういうことは一流大学を出た祥子に聞くわ!」

ガチャン…電話は切られてようやく終了。

祥子というのは母の長兄の娘、つまり姪だ。

同じ町に住んでいるので、母が何かと頼りにしている。

70才の彼女はサッパリした気持ちのいい人で

父の再婚により、急に従姉妹となった我々姉妹に優しくしてくれた。

 

しかし1時間後、また母から泣きながら電話がかかる。

「祥子が、もう辞めると言ったんだから潔く辞めんさいと言うんよ」

祥子ちゃんの回答が、思わしくなかったのだ。

「私はコーラスが命なのに!

あの子は音楽をやってないけん、私の気持ちがわからんのよ!」

 

以後の数日間、祥子ちゃんと私は日に何度も

交互に電話攻撃を受ける身の上となった。

ここで普通はおかしいと思うだろうが、母は昔から異様にしつこい。

彼女は他人の私でなく、姪の祥子ちゃんに

「続けなさい」と言って欲しいのだ。

電話はそれまで続く。

私に根気があるとしたら、それは母の執拗に鍛えられたものである。

《続く》


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