母からの電話が途絶え、私も面会に行かなくなって
約1ヶ月が過ぎた。
面会に行くのをやめた翌週、病院から電話があり
太ももが痛いと言っているので
外科のある病院へ連れて行くという話だったが
結果は異常無しで、病院との連絡もそれきりだ。
椎間板ヘルニアになって以降
大腿部の痛みは入院する間際まで、時折訴えていた。
それがヘルニアのせいなのか、私を呼ぶための演技なのか
鬱病による幻の痛みなのかは、わからずじまい。
それも今となっては、どうでもいいこと。
生きた母に会うことは、もう無いかもしれないな…
私はそう思うようになった。
そしてあの時、継子は信用できないと言ったのが
別れの言葉になったのかな…
そうも思うようになった。
ところで母が入院して以来、仲良し同級生マミちゃんの経験談に
かなり助けられた。
彼女のお父さんも5〜6年前に母と同じ病院へ入院し
そこで亡くなった話だ。
「実は、うちのお父ちゃんも同じ病院じゃったんよ。
最後が精神病院って、あんまり人に知られたくないけん
今まで誰にもよう言わんかったんよ」
母がそこへ入院したことをマミちゃん伝えた時、彼女はそう言った。
マミちゃんのお父さんは
お母さんが急死してほどなく認知症になった。
幸いマミちゃんたち3人姉妹は近くに住んでいるので
お父さんの介護を交代で受け持ち
デイサービスやショートステイを利用しながら数年を過ごした。
やがてお父さんの症状は悪化し、暴れるようになったので
◯◯精神病院へ入院することになった。
そこからが姉妹の地獄だったという。
お父さんが入院していた頃は
まだ携帯電話の制限が緩かったそうだ。
「ワシをキ◯◯イ病院へ入れやがって!出せ!帰る!」
と電話に次ぐ電話。
そして面会の要請、行けば恨み言。
狂気の電話か、電話が凶器か…
マミちゃん姉妹は電話に苦しめられたという。
母と同じだと言うと
「誰でも最初はそうなるみたいよ」
マミちゃんが教えてくれなければ、私はもっと悩んでいたかもしれない。
マミちゃんは三姉妹なので、負担も3分の1だったと謙遜するが
最も困ったのは、毎日のように近所の店に電話をかけて
食料品や日用品を病院に届けるよう注文する行為だったそう。
「みんなご近所さんだから許してくれたけど
謝って回るのは本当につらかったんよ」
お父ちゃんが亡くなった時は、悲しみよりもホッとした…
マミちゃんは言った。
彼女がそんな目に遭っているなんて
微塵も気がつかなかったので驚いたものだ。
同級生仲間のけいちゃんは
お母さんが入院していたのをあけすけに話していたが
その時もマミちゃんは「うちもよ」と言えなかったという。
それにしても同級生で結成する5人会の中で
3人までもが親を◯◯精神病院へ入院させたのは
なかなかすごいことではなかろうか。
親がいたずらに長生きするようになった時代
◯◯精神病院の需要は高まるばかりだろう。
さて、やがてお盆がやってきた。
私の携帯に公衆電話から着信が…
実に1ヶ月ぶりだ。
元気なんじゃん…。
1ヶ月も放っておいたから、どんな罵詈雑言が飛んでくるやら…
そう思いながら出ると
「あ、みりこん?わたしゃまだ、生きとるんよ!アハハ!」
ものすごく明るいじゃないの。
「盆が来るけど、マーヤは帰るって言ようる?」
マーヤの名前が出たら、気をつけなければならない。
イエス、あるいはノーで明確に答えたらあかん。
明確に答える…それはマーヤと私が
密に連絡を取り合っている証拠になるからだ。
よその継母のことは知らないが
うちは実子と継子が結束していると知ったら逆上するタイプ。
フォーメーションに過敏というのか
2対1、あるいは一つ下の妹も混じって3対1になるのを
昔からひどく嫌う。
孤独感にさいなまれるらしい。
だから彼女は我々三姉妹を一人ずつ分断することに心血を注ぎ
継子同士を戦わせて実子のマーヤを温室に囲う戦略を取ってきた。
よって、つまらぬ受け答えをしたばっかりに
また入院当初の“帰る攻撃”が再発したら面倒なので
ここは慎重かつ敏速に対応しなければならない。
「どうなんかね?知らんのよ」
マーヤは、盆や正月に母が外泊しないか…
その時は自分たち一家が帰って世話をしないといけないんじゃないか…
と悩んでいた。
母はマーヤが一家で帰省しないと気に入らないが
子供たちは怖がっているし、旦那は何も言わないけど嬉しいはずがない…
だからといって自分一人で母の面倒を見る自信は無い…。
「盆正月に一家で帰省する習慣は、もう終わったと思いんさい」
だからマーヤにはそう言ったばかりだが、母には“知らない”と言う。
「あっら〜、どしたん!連絡取ってないん?」
嬉しそうな母。
「あの子も忙しいけんね、何も聞いてないわ」
「ふ〜ん、じゃあ帰らんのじゃね。
マーヤが帰らんのなら、私も盆は帰らんけんね」
えっ…帰るつもりだったんかい!
お母様、やっぱり認知症なんですね…。
「そうそ、あんた、長袖の服を持って来てくれん?
朝晩が寒うなったけん」
精神病院では、ほとんどの患者がパジャマでなく洋服を着ている。
夏物は実家から何枚か持ち出して届けたが、長袖はまだ届けてなかった。
「わかった、明日持って行く」
電話を切ったものの、ここしばらく母のことはノーマークで
マミちゃんやモンちゃんと遊びほうけていた私。
すっかりカンが鈍ってしまって、彼女の考えていることが謎。
こういう時は結果が両極端なのを、私は長い付き合いで知っている。
1ヶ月かけて練られた罠が、私を待ち構えているのか。
それとも服を所望したというデータから、友だちができたのか。
私が予測したのは、以上の二つである。
服を所望したら、なぜ友だちができたことになるのかって?
老女に新しい友だちができたとしたら
おしゃべりの内容は、ほぼ自慢と決まっている。
自慢するからには、衣装の披露が不可欠。
あの年頃の女子には常識だ。
宝石もバッグも靴も許されない病院で
着る物は、各自のセンスや経済力を証明する唯一のアイテムなのである。
翌日になっても丁か半か、全く予測できない。
考えても仕方がないので、実家に寄って母の服を見繕い
病院へ行った。
《続く》
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