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VS老人の心構え・2

2024年09月28日 09時55分58秒 | みりこん流
前回の記事で、親孝行は死語だと申し上げた。

頭に刷り込まれた親孝行の三文字に縛られ

自分を犠牲にして親に尽くす子供の何と多いことか。

そして子供の献身に、あぐらをかく親の何と多いことか。

彼らは足りない物を探すのが習性だから、その要望に終わりは無い。

老化で片付けるには、あまりにもむごいことである。


親の方こそ、子孝行を心がけるべきだ。

労働に見合ったお金をよこせとか、無理を言っているわけではない。

何もできない身体であっても、せめて心配をかけないようにするなり

クドクドと余計なことを言わないなり、何かしらできることはある。

親は子孝行を心がけ、子は親孝行の概念を手放す。

これでようやく、バランスが取れるのではなかろうか。



『恩は忘れろ』

親孝行と似た分野に、恩返しがある。

人の子であれば大抵は、親に生み育ててもらった恩を感じているだろう。

その親が年を取って弱り、手がかかるようになれば

恩返しをしたくなるのは自然なことである。


私もその一人だ。

生んでもらったことは無いが、共に生活していれば

世話になることが確かにあった。

他人という理由で知らん顔をするほど、私はガキではないし

数々あった軋轢(あつれき)を言い訳にして逃げるほど

先見の明があるわけではない。

調子が悪くなって協力が必要となれば、つい手を出す。


それがどんなに過酷であっても

「な〜に、そのうち治るんだから、この機会に恩返しだ」

そう思って、相手の要求を叶えるべく動く。

私の場合、これが失敗だった。


我が子が風邪を引いたり熱を出したら、親はどうするか。

「きっと治る」と思って看病するはずだ。

治ると信じているから、期限付きと信じているから

寝ずの番もできるし、病児の欲しがる物を必死で調達する。


しかし相手が老人となると、これが治らんのじゃ。

こっちも最初は燃えて、一生懸命やるが

老人は治らんどころか、世話をしてもらう楽ちんに一瞬で味をしめ

治らんことにしてしまう。

気がつけば、本当に苦しいのか、それとも芝居なのか

私はもちろんのこと、本人もわからなくなっている始末。


電話一本で呼びつけられては無理無体を命じられていると

恩返しをしたい熱い気持ちは、だんだん冷めてくる。

どんなに頑張っても、全快して看病が終了する日は訪れない…

つまり報われることは無いと知るからだ。

人は恩返しをしたい気持ちの分だけ、報われたい気持ちが付いて回る。

老人相手だと報われることが無いので、冷めていくのである。


こりゃあ、とんでもないことに手を出してしまったわい…

そう気づいた時にはもう遅い。

その昔、電話や車の便利を知った時と同じく

子供の便利をも知ってしまった彼らは、もう子供の世話無しでは生きられない。


「ハイジ!私、歩けたわ!」

「良かったね!クララ!」

「ありがとう!ハイジ!」

「ううん、クララが頑張ったからよ!」

クララと違って年寄りは、こうならない。

進歩は望めず、衰えるばっかりだ。

永遠に歩く気の無いクララを支え続ける、冷めたハイジ。


しかし子供が冷めれば冷めるほど、親は寄りかかってくる。

勘違いの権化であっても、丁稚の心が離れた気配だけは

敏感に感じ取れるらしいのだ。


丁稚の方は、もはや恩返しなんかどこかへすっ飛んで

ひたすら我慢の日々が続く。

老人の世話をする家族は、一部の物好きや聖者を除いて

みんな歯を食いしばって我慢しているのだ。

我慢は楽しくない。

恩返しなんて思うから、ますますしんどくなる。

敵は恩なんて微塵も感じてないんだから

こっちも恩に縛られる必要は無い。

《続く》


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