
「スーパーのチラシ…くっくっく…」
昨日は、記念すべき日であった。
夫の両親の治療食を作って持って行き、一緒に夕食を食べ始めて1年半
昨夜でそれは終わった。
どうにかだましだまし、義父アツシの人工透析を伸ばしてきたつもりだが
いよいよ彼の腎臓は、のっぴきならない状況となった。
今は透析する時に必要な“シャント”という部品を
腕に埋め込む手術日を決める段階。
しかしアツシ、断って逃げ回っている。
透析をすれば体は楽になるはずだが、次の扉を開けるのが恐ろしいのだ。
そのうち力尽きて、観念すると思われる。
そうなると一般常識では、食事療法はますます重要になってくる。
しかしずいぶん前から、アツシは治療食を食べなくなっていた。
好きなものしか食べられない、気ままという名の持病ゆえ
世間一般で言う“ごちそう”でないと、ハシさえ持たない。
毎日インスリン注射を打つためには、毎日ごはんを食べるのが大前提である。
欲しがるものを中心に与える方針に変えたところ、アツシは食欲を取り戻した。
私はアツシの体調や寿命を捨て、まず食べさせる策を選んだのだった。
何を食べたって、せいぜい1~2年の長生きなら
好きなものを食べさせてやりたいという、ヨシコの強い希望もあった。
好物だけでいいなら、私がいつまでも出しゃばることはない。
作るのはどうってことないが、タダに慣れきって
カニが食べたい、和牛が欲しいと、どこまでも無邪気に要求する彼らと
つい喜ぶ顔が見たくなってしまう自分。
かさむ一方の食費に、軽い恐怖を感じていた私だった。
親の好物にうんざりしている夫。
しかし手間を省いて節約するためには
集合して同じものを食べさせる必要がある。
腰の重い彼の尻をたたいて、実家へ通い続けるのはどうなのか。
毎晩我ら一家が押しかけるのは、弱ったアツシにとって体力的にどうなのか。
あり合わせや外食で軽く済ませたい時でも
大量のごはんを炊いて我々を待つ、ヨシコの気持ちはどうなのか。
いつも賑やかで嬉しかろうというのは、よくある勘違いだ。
ひとたび手を借りると「今日は間に合ってます」とは言いにくい。
みんなが心から嬉しいとは思えない。
どうも幸せ人口が減ってきているような…。
これがマンネリである。
そこで昨夜、ヨシコに軽く問うてみた。
「今みたいに三食作って持って来るのと
それやめて毎月小遣いあげるのと、どっちがいい?」
“このまま続けていても、どうたらこうたら…”と
倦怠期のカップルみたいに切り出すのは、もめる元である。
自分だけでなく、相手にも利益のある選択肢を用意してから臨むのが
正しい交渉だ。
「時々来てくれるんでしょ?」
「もちろん。
今までどおり夫婦で手分けして、家事や送迎もするよ」
ヨシコはあまり迷うことなく、後者を選んだ。
やはり現物支給より、現金のほうがいいらしい。
「では些少ですが、お納めくだされ」
「かたじけない」
月末までの当座の小遣い3万円を置いて帰り
メシ炊きの日課は、あっさり終了した。
最初は物だけでありがたがっていた人でも、だんだんお金のほうが良くなる。
良かれと思って続けていても
いつしか本来の目的からズレていることだってある。
新しい態勢も、ずっとこのままではないだろう。
その時その時の状況に合わせて、変化させていくつもりである。
10月24日…この日は、昔の夫の愛人
女教師M子の誕生日である。
他のメンバーのはすっかり忘れているが、たまたま記憶していた。
誕生日に入籍するのが夢とおっしゃり、その日に向けて
夫も彼女も、我々母子の始末に苦心していたからである。
女の誕生日、出会いの日、発覚の日など
忌まわしき裏記念日に苦しむ奥様もおられようから
思い出して書き添えることとした。
嫌な日も、やがて良い日になるのだ。
今後10月24日は、私が3万で自由を買った記念日である。
昨日は、記念すべき日であった。
夫の両親の治療食を作って持って行き、一緒に夕食を食べ始めて1年半
昨夜でそれは終わった。
どうにかだましだまし、義父アツシの人工透析を伸ばしてきたつもりだが
いよいよ彼の腎臓は、のっぴきならない状況となった。
今は透析する時に必要な“シャント”という部品を
腕に埋め込む手術日を決める段階。
しかしアツシ、断って逃げ回っている。
透析をすれば体は楽になるはずだが、次の扉を開けるのが恐ろしいのだ。
そのうち力尽きて、観念すると思われる。
そうなると一般常識では、食事療法はますます重要になってくる。
しかしずいぶん前から、アツシは治療食を食べなくなっていた。
好きなものしか食べられない、気ままという名の持病ゆえ
世間一般で言う“ごちそう”でないと、ハシさえ持たない。
毎日インスリン注射を打つためには、毎日ごはんを食べるのが大前提である。
欲しがるものを中心に与える方針に変えたところ、アツシは食欲を取り戻した。
私はアツシの体調や寿命を捨て、まず食べさせる策を選んだのだった。
何を食べたって、せいぜい1~2年の長生きなら
好きなものを食べさせてやりたいという、ヨシコの強い希望もあった。
好物だけでいいなら、私がいつまでも出しゃばることはない。
作るのはどうってことないが、タダに慣れきって
カニが食べたい、和牛が欲しいと、どこまでも無邪気に要求する彼らと
つい喜ぶ顔が見たくなってしまう自分。
かさむ一方の食費に、軽い恐怖を感じていた私だった。
親の好物にうんざりしている夫。
しかし手間を省いて節約するためには
集合して同じものを食べさせる必要がある。
腰の重い彼の尻をたたいて、実家へ通い続けるのはどうなのか。
毎晩我ら一家が押しかけるのは、弱ったアツシにとって体力的にどうなのか。
あり合わせや外食で軽く済ませたい時でも
大量のごはんを炊いて我々を待つ、ヨシコの気持ちはどうなのか。
いつも賑やかで嬉しかろうというのは、よくある勘違いだ。
ひとたび手を借りると「今日は間に合ってます」とは言いにくい。
みんなが心から嬉しいとは思えない。
どうも幸せ人口が減ってきているような…。
これがマンネリである。
そこで昨夜、ヨシコに軽く問うてみた。
「今みたいに三食作って持って来るのと
それやめて毎月小遣いあげるのと、どっちがいい?」
“このまま続けていても、どうたらこうたら…”と
倦怠期のカップルみたいに切り出すのは、もめる元である。
自分だけでなく、相手にも利益のある選択肢を用意してから臨むのが
正しい交渉だ。
「時々来てくれるんでしょ?」
「もちろん。
今までどおり夫婦で手分けして、家事や送迎もするよ」
ヨシコはあまり迷うことなく、後者を選んだ。
やはり現物支給より、現金のほうがいいらしい。
「では些少ですが、お納めくだされ」
「かたじけない」
月末までの当座の小遣い3万円を置いて帰り
メシ炊きの日課は、あっさり終了した。
最初は物だけでありがたがっていた人でも、だんだんお金のほうが良くなる。
良かれと思って続けていても
いつしか本来の目的からズレていることだってある。
新しい態勢も、ずっとこのままではないだろう。
その時その時の状況に合わせて、変化させていくつもりである。
10月24日…この日は、昔の夫の愛人
女教師M子の誕生日である。
他のメンバーのはすっかり忘れているが、たまたま記憶していた。
誕生日に入籍するのが夢とおっしゃり、その日に向けて
夫も彼女も、我々母子の始末に苦心していたからである。
女の誕生日、出会いの日、発覚の日など
忌まわしき裏記念日に苦しむ奥様もおられようから
思い出して書き添えることとした。
嫌な日も、やがて良い日になるのだ。
今後10月24日は、私が3万で自由を買った記念日である。
取り合えず卒業のお祝いということで。
羨ましい~^^
週に3日ヘルパーさんが来てくれる日は
ある意味何も考えずに過ごせるんですけど
残りの4日は常にボケ爺のメシの準備しないといけないんで
金で買えるものなら買いたいです~(泣)
どちらかが入院でもしたら、また変わると思いますが
とりあえず、一個卒業しました~♪
よくしてあげてるわ~!
3万で自由、買いたいでしょ(笑)
今日は、今までずっと食べられなかった憧れのもの…
鶏を食べました。
しばらく我が家では、あっさりした食事が続きそうです。
今日もとってもいいお天気。
肌寒ささえ気持ちいい
長い間のお食事作りお疲れ様でした。
これで、みりこんさんは一歩たかいところのお人に近づかれましたね
そうね~。
どんなイヤな日だっていい日になる。
確かに~。
どんなについらい事だって
それは素敵な未来のためだもの
な~んて私が偉そうなこといっちゃいけないね。
でもね、私15年前の今頃は毎日死んでしまったほうが楽だわ・・・・
(もう15年も経ったのね。早いわ~)
なんて思ってたのよ。
今じゃ嘘みたいでしょ?
でも、当時は本気でそう思ったわ。
でも、今にして思えばどんなにつらいことだって、痛いことだって今日この日を迎えるためだったのね・・・ って思うと自分の中に素直に事実が落ちてくるわ
だから、今があるのよね
最近私自分ばかりこんなに幸せでいいのかな~
って思うの。
贅沢なことだわ~
いろんなことがあったし、これからもあると思う。
でも、その時自分に起こる物事は
必ず自分になきゃいけないものだから
起こってるって私思うんだよ。
物事の真っ只中にいるときは
そんなこと思う余裕なかったけど・・・
いろんなことがあったから強くなったと思う。
今いろんなことがあっても大丈夫
負けないっていう自信あるよ。
もう食事つくりは卒業か・・・
お金が良いといい人はとても素直ではあります
私も数千万の家をてばなし義姉に親を贈呈したのは大正解!
お金がほしい人はほんと良い人です
嫁と姑も体力勝負
最初は子持ちの嫁が弱いがだんだん姑が弱くなる。
もう、二人でだらだらしたのではないでしょうか・・・
作ってもらってラッキーと思っていたが、これを食べろと強制されているようで疲れてきたのかもしれない。
長寿は必ずしも幸せではないかもしれない・・・
90歳を超えた親を持つ私としてはね・・・
親よりもう、自分の体が大切、、
親より、子供が大切
お世話になるのはそっちだから・・・
親の死に目より、自分の心臓の検査を優先なのである。
どっちが先やらわからない時世である
アツシの透析を前に、とりあえず仕切り直しです。
ねぎらいのお言葉、ありがとうございます。
もう15年になるのね。
よく頑張ったね!
生きててくれて、本当に良かった。
痛いことと言っても、私、心が痛いのはたいてい
耐えられる自信あるけど、体が痛いのは、きっと無理。
必要だから起こる。
坂道も穴ぼこも無い人生なんて、絶対に無い。
でも、それを病気やケガに適用したら、あまりにも理不尽よね。
今日を迎えるために、痛い日々があったと言えるおかよさん
本当にすごいわ。
自分ばかりが幸せで、いいのよ~ん(笑)
自分が幸せを感じることが、周りを幸せにすることなんだから。
そそ、お仕着せというか、押しつけというか
そういうのにも飽きてきて、静寂が欲しい時期だと思います。
頭がしゃんとしていたら、甘え続けるのも
けっこうしんどいものなんでしょう。
その気持ちは、なんとなくわかります。
お体、気をつけてくださいね。
食事作りがないとなると・・・・
ルイーゼ様が登場ですね!
まともな嫁より、いまいちな娘が気楽
それも良くわかります。
どーぞ ですね!
療養食ならともかく、相手の好物に合わせてなんて、まったく頭が下がります。
私だったらその時点で、いい加減にせい! と切れて居ると思います。(苦笑)
でも又その区切りは、快方への区切りでは無い事が現実ですね、みりこんさんの健康に障らない程度に、お努め下さい。
私もあれ以来、母には、ずいぶんポンコツになったんだ と思うようになりました。
母の健常だった時の名残に苛立ち
ポンコツになった所を修理しろと怒り
現実のまか不思議に、振り回され
それでも、どうにかせねば! と空回りをしていたのかも知れません。
もう、どうにも成らないのですよね~
70年以上使って来た「母という肉体」は
修理不可能なポンコツになっているのですから
ポンコツを楽しむ位になってやろうじゃないのさ~!
なんだ~そんな事も出来なくなっちゃたのかあ?って笑えるように、成るのも良いかも。
めいどの土産に、あとひと笑いさせてあげようか、
それにトライしてみようと思ったりしています。
出来るかどうか・・・(笑)
私が先に逝ったりして(笑)
ところで、今日の新聞の人生相談、内容は男女問題ですが、回答者の一言「家の中でもてていたら、外ではいいかな・・・」
そうだね、我が家の夫、家の中でもてて居ませんでしたよ、確かにね。
もてて所帯を持ったんでしょう!
なんて男心無視でしたし、そんな余裕も無かった。
本当は余裕があろうが、無かろうが、しようと思ったら出来た事だったのでしょうけど。
今は、一応もてて居る感じですので(笑)楽しそうです。
余計な事まで私の為にしてくれます(爆)
我が家の裏記念日も良い日に変わるかどうか、私次第ですね。