殿は今夜もご乱心

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私は私なのか?・1

2018年10月12日 09時18分27秒 | 前向き論
全記事のコメント欄で、くぢらさん、いかどんぶりさんと

『私は私』について話し合った。

他人と自分を比較せず、うらやまず、焦らず

『人は人、自分は自分』と割り切る考えのことだ。


私にとってこれは、長年のテーマだった。

自身の結婚生活が「比較、羨望、焦り」の3点セットに

さいなまれ続けていたからだ。

私のような凡人が浮気三昧の夫を持つと、どうしてもそうなってしまう。

結婚6年目に夫の両親と同居を始めて以降

夫の浮気はますますひどくなり

比較、羨望、焦り‥私の3点セットも強くなっていった。


家族旅行と聞けば密かにうらやみ

それに引き換えうちは‥と視線を落とす。

夫が行くのは、愛人の同伴旅行だけだ。


よそのご主人が家事や育児に協力する様子を見ては

やはり密かにうらやみ、それに引き換えうちは‥。

外泊でなければ季節のイベント、駆け落ちで

そもそも家にいないのだから家事や育メンどころではない。


町を歩く見ず知らずの夫婦連れすら、うらやみの対象となった。

一緒に練り歩きたいわけではないが

夫婦関係を公にしてはばからない堂々としたそぶりがまぶしくて

目が痛いじゃないか。


というのも、夫の愛人は近場の住民が多い。

その愛人には「離婚間近」と伝えるのが常なので

一緒に居る所を本人、あるいはゆかりの者に見られると

大変都合が悪いらしかった。


愛人というのは、ものすごく疑り深くて嫉妬深いと決まっている。

愛人になったから、疑り深くて嫉妬深い人間になるのではない。

元々疑り深くて嫉妬深いので、愛人をやるしかないのだ。

疑り深くて嫉妬深い女は、マトモな男から相手にされない。

だから他人のものに手を出すしかないのだ。

浮気者の妻を続けて三十有余年、これは間違いない。


この疑り深くて嫉妬深い女を鎮める作業は

口の重たい夫にとって至難の技。

よって厄介を未然に防ぐため

夫婦で人目につくことを全力で避けていた。

妻と愛人、どっちが日陰かわからない。


こうなると、憎いはずの愛人すらうらやましい。

なにしろアレらが対応するのは夫のみ。

その親に仕える必要は無い。

朝から晩まで奴隷のように働き、罵倒される憂き目に遭わなくていいのだ。

これがうらやましくないわけがない。


長い間、この本末転倒が我々夫婦の形であった。

その間、私はたびたび自分に言い聞かせた。

「人は人、私は私」

他人をうらやんでも仕方がない‥

自分に与えられた人生を歩むしかないのだと。


しかしそれは、何の薬にもならなかった。

これが自分に与えられた人生だとすれば、あんまりではないか。

厳しい日々の中、ひたすら生きるために

自分が納得できる言葉をあれこれ探していた半生だったが

少なくとも「私は私」の方針はマッチしなかった。

だからこの言葉には、背を向けた。

背を向けながらも、いつかこう言える日がくるのだろうかと

気にはなっていた。


気がつけば私以外の人、みんなが輝いて見えるようになっていた。

よそ様の美貌や経済力どころじゃない。

そもそも家に帰って玄関のドアを開ける時

ドキドキすることが無さそう‥

そこからして、輝いて見える。

自分が留守の間に練られた、懲らしめのメニューは何だろう‥

そう案ずることも、おそらく無いと思う。

そこも、ひどくうらやましい。

親にとって、息子が愛さない嫁の使い道は労働しかないのだ。


働かなければならないので、子供の教育は二の次。

塾や習い事は、たいてい夕方と決まっている。

しかし両親は、この夕方に家を空けることが気に入らない。

子供にかまけて労働の手を休めることが

彼らにとっては許せない反抗だった。


4時に夕食の支度を開始しなければ義母が騒ぎ出し

6時に食べ始めなければ義父が暴れる。

どのような状態かといえば

義母は自分の親戚や友人、たまに私の実家‥

あちこちに嫁の怠慢を訴えて電話をかける。

最後は仲良しの料理屋。

「嫁が晩の支度をしてくれないので、主人と私の二人分お願いします」

それを私に取りに行かせるのが恒例のペナルティー。

義父の方は罵詈雑言を吐きながら

食器棚の引き出しの中身をぶちまけるのがお決まりのコース。


のこのこ料理屋へ行き、そこで嫌味を言われるのも

大音響でぶちまけられたナイフやフォークを拾うのも情けないが

第一、無駄な時間がかかる。

これを回避するには、時間厳守しかない。

何年も夕日を見たことが無かった。


これでも「私は私」と言える人がいたら、たいしたものだと思う。

それはもう、菩薩の境地だ。

菩薩になって、早くあの世へ行くに違いない。


菩薩路線もいいかもしれないが

私は母親を早くに亡くしているので

遺された子供がどれほど惨めなものか知っている。

夫の両親と同居を始めて10年目、私は子供たちを連れて家を出た。

凡人が生き延びるためには、この方法しか見当たらなかった。

《続く》

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4 コメント

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Unknown (モモ)
2018-10-12 10:38:37
何という・・・みりこん姉さんの大変な結婚生活だったか、と思うと心が痛み、自分を顧みて反省しています。
私はホントにまだまだ子供で、何も知らなかったようです。

家を出て、正解です。精神を落ち着け、癒す為には時間と距離が必要です。
その時、そんな場所があった幸運にも、感謝です。そうでなければ今が無かっただろうと、思うこの頃の私です。
あ、私の場合は。
返信する
反省 (みりこん〜モモさんへ)
2018-10-12 13:59:08
いらん、いらん(笑)
私がどんなに馬鹿だったか、知っていただければ十分よ。
世間を知らないって、こういうことなのです。

どうにもならなくなった時、時間と距離は必要ですね。
離れなければいけないケースって、あると思います。
特に私を癒したのは、おいそれと届かない距離でした。
そういう場所があった幸運、本当にありがたかったです。
返信する
過去形 (課長)
2018-10-13 14:07:17
様々に沢山の苦難を乗り越えて、過去形で語られるもりこんさん・・・・
結婚10年で家を出る・・・
計り知れない苦労が過去形になるんですね、凄いです。
私ときたら、何度も何年も反芻して過去なんかにしてやるもんか!と引きずり回して・・・
そうして実は自分を苦しめている事に気がついているのに止めない私、何なんでしょうね・・・

女に慰謝料請求しました。
夫が電話してきて、!!#%$!!※!!と怒り、裁判所で会おう!と捨て台詞で電話を切りました。
当然、生活費は支払わん!と言いましたが、一応手は打っていますし、そんときゃそんときで又動くさ。
とここまでしたら、案外動じない自分を発見しました。

で、会って話がしたいそうです。
何を?と訊ねると、
二人の今後の事だそうです。
今まで何回も、どうするつもり?と聞くと、分からないというので、分からないじゃ困るので、生活費の念書を交わしたのですから、私としてはもう何も話す事は無いのですがね。

お一人様婚での生き方を考えているのに。
面倒くせー。
返信する
なんのなんの〜 (みりこん〜課長さんへ)
2018-10-13 22:31:16
遠く過ぎ去ったから過去になるのであって
真っ只中では不可能ですよ。
>何度も何年も反芻して過去なんかにしてやるもんか!
>と引きずり回して・・・
>そうして実は自分を苦しめている事に気がついているのに
>止めない私、何なんでしょうね・・・
私も全く同じでしたよ。
課長さんの思いは、自然だと思います。

やっと過去になったからブログを始めました。
真っ最中だったら続いてなかったと思います。

いよいよ行動開始ですね。
ご主人、ジタバタしてももう遅い。
>お一人様婚
新語じゃないですか。
女の理想かも。
返信する

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