殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…ピカチューの乱・6

2024年04月13日 10時08分45秒 | シリーズ・現場はいま…

運命の月曜日、4月1日の朝になった。

前夜、河野常務に辞めるなと言われて上機嫌の夫。

「少なくともあと3年、70才まではワシが辞めさせん。

それでも辞める言うんなら、ワシが納得する理由を持って来い」

そう言われた夫は、常務がピカチューより自分を選んでくれたと

心底喜んでいるのだ。

 

常務は確かに情に厚く、夫を可愛がっているが

「八掛け半額二割引き」が口癖。

何か買う時は、まず八割に値切り

相手が応じると、その値段を半額にしろと交渉し

最後に二割引きを要求するという、悪どい値切り方を指すものである。

 

実際にはそこまで値切るなんて不可能だが

転んでもタダでは起きない彼の習性を鑑みると

“あと3年”という期間は、去年、夫が試験を受けて更新した

産業廃棄物取扱免許に関係していると思う。

5年ごとの更新なので、70才を過ぎたらまた更新だ。

その時、夫がまだ使い物になっていればいい。

しかし、そうでない場合は名義変更を余儀なくされる。

常務はその手間と経費のことも考慮して

現状維持を望んでいるのかもしれない。

 

ともあれ4日1日といえば、慌ただしい年度末が終わり

新年度が始まる特別な日。

建設業界にとって、年度末から年度始めのこの時期は

前年度の売上げと利益がはっきり出て

新年度の目標や戦略が発表される大切な期間だ。

もちろん本社も同じ…というより

神経質に見えるくらい敏感になってこの時期を過ごす。

 

実のところ、今回の件で私が最も注目していたのはこれなのだ。

ピカチューは新年度を

新しい環境で迎えるつもりだったのではなかろうか。

邪魔な夫を排除し、アキバ産業と共に新たなスタートを切りたくて

急いでいたのではないか。

夫が自分から辞めると言い出したのは、計算外の喜びだったかもしれない。

 

しかし一方で、私はピカチューを買いかぶっているのかもしれない…

とも思う。

彼の頭からは時期的な要素が抜けていて

たまたま衝動的にやったとしたら。

このような魔の期間に妙なことをやらかし

永井営業部長が飛んで来る事態を引き起こせば

本社の神経を逆なでする。

ピカチューが切に願う安泰から、全力で逆走しているようなものである。

だとすれば、彼はこちらが思う以上のおバカさんだ。

 

さて、夫はスキップでもしそうな明るさで、7時過ぎに家を出た。

いつもなら、まだ誰も出勤してない6時過ぎに出勤するのが習慣だが

ピカチューに鍵を渡したので事務所の中に入れないため

遅い出勤である。

 

息子たちも鍵を持っているが、あえて借りなかった。

「どうせならピカチューと対面するまで

退職勧告された身の上を大袈裟に演じておけ」

私の助言によるものである。

今後、事態が悪化した場合に備えるためだ。

 

もしもこの問題がもっと大きく発展した場合

「鍵が無いので、いつもより1時間遅く出社しました」

そう主張すれば、ピカチューが権限を無視して退職勧告をし

さらに鍵や携帯まで取り上げた横暴を印象付けられるではないか。

たいしたことではないが、このような小さな事実の積み重ねが

身を守ることだってある。

 

そして息子たちは、夫の子供である前にいち社員。

子供から借りた鍵を使って事務所に入るのは、賢い行動ではない。

敵が辞めたと思い込み、ルンルンで出勤した彼は

夫を見て衝撃を受けるであろう。

逆上して不法侵入だの何だのと騒いだら

夫はもとより、息子たちも冷静を保てるかどうか。

 

私が懸念するのは、暴力沙汰よ。

何はともあれ暴力は、分が悪くなるので回避したいではないか。

ピカチューが本当に狙っているのは、これかもしれないのだ。

程度に関係なく、少しでも手を出したらヤツの思うツボである。

 

やがて出勤から1時間後、夫から私の携帯に着信が。

夫が電話をかけてきたということは

ピカチューから無事に携帯を取り返したことを意味する。

復帰はうまくいったらしい。

 

事務所に座っていたピカチューは

夫の顔を見て、やはり驚いていたという。

「母さんの言うた通りをヤツに言うたら、赤い顔が青になったわ」

夫は弾んだ声だ。

 

「ピカチューの顔見たら、最初に何て言おうか」

出がけに夫は私に問うた。

「続けることになったけん、鍵と携帯、返して。

どっちかがおらんようになるまで、いがみ合おうで」

だからこのセリフを教え、復唱させた。

“いがみ合おうで”…

それがこのセリフのキモ。

あれこれ言わせようとしたって、夫には無理だ。

言葉尻を捉えられても応戦できないため

言いやすくてインパクトの強い言葉を選んだ。

この7文字で、お前を絶対に許さないという決意は伝わるはずだ。

 

他に助言したことといったら

こっちが戦闘的になったら向こうも意固地になる…

肩の力を抜いて普通に接するように…

このセリフ以外のことは何も言うな…

ぐらいか。

もちろん、河野常務からの電話のこともだ。

とにかく情報を与えないことが、肝心。

なぜ?なぜ?とつまらぬ空想をして、苦しめばいいのだ。

 

以下は、夫が私に話した一部始終である。

…事務所に入ると、ピカチューが座っていた。

夫を見て驚いたが、夫はもっと驚いた。

自分の机の上に置いてあった物が、片付けられていたからだ。

引き出しの中の物も全て出され、床の段ボールに投げ込まれていて

机は最初から誰も使ってないみたいに綺麗だったという。

私なら、ここでピカチューをぶん殴っていること請け合い。

が、夫の神経は違うようで、驚きはしたものの

私ほどの激しい怒りは感じなかったそうだ。

 

《続く》

コメント (2)
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