殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…ピカチューの乱・1

2024年04月03日 20時37分39秒 | シリーズ・現場はいま…

好きな花は、山桜。

桜よりも山桜。

誰に賞賛されることもなく、ひっそりと

一生懸命咲いている…

私はそんな花が好き。



さて、いよいよ四月、新年度が始まった。

気持ちも新たに、昨年10月からご無沙汰だったシリーズ

『現場はいま…』を語らせていただこう。



64才の板野さん、通称ピカチューは本社直営の営業所長として

我々の会社に赴任して1年を迎えた。

合併を繰り返して大きくなった本社は、合併先に営業所を設置し

営業所長の肩書きを付けた中高年を一人置くことにしている。

表向きは、それぞれの地元における販路拡大と子会社のサポートだが

本社や支社のいらないオジさんを配属するのだから

販路拡大やサポートなんかできるわけがない。

実際は、子会社の者が勝手なことをしないように監視する役割である。


ピカチューは、我々が本社の傘下に入る10年ほど前に本社と合併した

島しょ部の生コン会社に長く勤めていたが

定年エイジになったので、こちらへ回された。

赴任当初は、前任の松木氏や藤村と違って

田舎のおじさん風の外見に、我々は安堵したものだ。


ただ、ハゲ頭や鼻、頬が異様に赤く

いつも風呂上がりのタコみたいなので、焼酎好きと見ていた。

焼酎は糖質が少ないので日本酒やビールよりマシかもしれないが

日焼けを繰り返すと額や鼻、胸が赤くなり、元に戻らないのが難点。

仕事のかたわら稲作に勤しむ彼の酒量は、相当多いと思って間違いない。


それはともかくこの人、最初は普通だった。

何をしていいやらわからず、借りてきた猫のようにおとなしかったのだ。

けれども今年に入ってから

だんだん松木氏や藤村を彷彿とさせる言動が目立ち始めた。

わけわからんことに口を挟むようになり

見当違いの指示を出したがるようになったのだ。


誰が来てもそうなるのは、前任者の二人でわかっている。

年を取って、いきなり与えられた営業所長の肩書きに張り切るものの

何もわからなくて暇を持て余すしかない日々…

腐っていくのは時間の問題よ。


だって、何もわからないのは誰でも辛い。

そのわからないことを何度もたずねるのも、辛い。

たずねてもやっぱりわからないとなると、さらに辛い。

ましてや老人にとっては、なおさらだ。

辛いことは、だんだんやらなくなる。

そして暇が訪れるというわけだ。


持て余す暇の中でムクムクと湧き上がるのは、まず夫への憎しみ。

なぜって、夫は無口かつ口ベタだもん。

いつまで経ってもわからないのは、わかるように説明してくれない夫が悪い…

彼らなりに苦しんだあげく、おしなべてそういうことになる。


憎しみの次は、野心。

「憎たらしいこいつを追い出して自分が成り代われば

会社を自由にできるのではないか」

わからないという現実に疲弊したオジさんは、夫の排除を模索し始める。

そうすれば自分がトップになって全てを決めればいいので

わからないことは無くなるという算段だ。

ここで本来の仕事である監視の強化が始まり

あとは告げ口、密告、嘘に芝居が繰り広げられるという安定のコース。

暇だとロクなことを考えないのは、どこでも同じだ。


我々は、ピカチューもいずれそうなると思うようになった。

しかし、パンチパーマでヤサグレ風を装う松木氏は1ヶ月

ソフトモヒカンで半グレ風を装う藤村は3ヶ月でその片鱗を見せ始めたが

農耕民族のピカチューは、この病いへの罹患がもっと遅いと考えていた。

もっともピカチューは髪の毛の問題により、パンチパーマもソフトモヒカンも不可能。

ヘアスタイルからのデータが得られなかったため

我々が勝手に普通と思い込んでいたのかもしれなかった。


「できればピカチューが野心をむき出しにする時期より

彼か夫の退職の方が先になればいいけど…」

私はそう願っていたが、彼がとうとう勝負に打って出たのは先月末。

正確には3月29日の午後6時9分であった。


仕事が終わって我が家に寄り、家族と一緒に夕食の席に着いていた次男は

ピカチューからの電話に出た。

するといきなり、彼の怒鳴り声が聞こえるではないか。

「お前!何でワシの言うこと聞かんのじゃ!

勝手なことばっかりすな!」


次男は食事中の周囲をはばかり、途中で席を立って別室へ行った。

以後10分間に渡り、身の毛もよだつ怨みつらみの怒号が続き

「ワシは酒飲んどるけんの!」

ピカチューは合間で何度もそう言ったという。

午後4時半には普通に退社して

それから小一時間かけて山奥村の自宅に帰り

6時には早くも酔っ払ったようだ。


そして最後は

「今度のバーベキューに、ワシを送迎せぇ!

ええか!わかったな!」

そう言って電話は切られた。

ちなみにバーベキューとは

事務員のアイジンガー・ゼットの発案で開催することになった会社の花見。

あの女、まだバーベキューを諦めていなかったらしい。



さて、いきなり怒鳴られた次男は怒り心頭。

夫には言いにくく、きつい長男では返り討ちに遭うとわかっているので

人当たりが良く最年少の次男をターゲットにしたのは明白だ。

次男もそれは承知していて、時々ピカチューの話し相手をしているが

こんなことは初めてなので、いささか当惑していた。


ともあれ酒に酔って勤務時間外に仕事の文句を言うのは

立派なパワハラ。

労基へ訴えたら、一発で有責になるスペシャル案件である。

次男がこの電話をきっちり録音していたのはともかく

昼間は普通に事務所に居て、普通に帰宅したピカチューが

なぜ豹変したのか。

そして彼の主張する“言うことを聞かない”

“勝手なことばっかりする”が、何を指しているのか。

これは大きな疑問だ。


「酒乱なんだろう」

とりあえず、そう解釈するしかなかった。

「明日、会社行って文句言うてやる」

夫は皆に言った。


そして翌日。

この日は土曜日で、夫は有休を取っていたが

朝一番に会社へ行き、出勤してきたピカチューに抗議した。

「板野さん、酔うて息子に電話するのはやめてくれ。

言いたいことがあるんなら、ワシに直接言えや」


これで終了と思っていた夫。

しかしピカチューは、ひるまなかった。

「酔うて電話して、何が悪いんなら!

お前らが、ワシの言うことを聞かんけんじゃろうが!」

赤ら顔をますます赤くして、そう怒鳴ったという。


夫は、この反撃に驚いた。

亡き父親からはさんざん罵倒されたが

他人からこのような暴言を吐かれるのは生まれて初めてだ。

松木氏や藤村の方が上品に思えるような

ピカチューの態度に逆上した夫も怒鳴り返す。

「なに〜?!誰にモノ言うとんじゃワレ!」


ピカチューも負けてはいない。

「お前らが悪いんじゃ!ワシの言うことを聞かんけんじゃ!」

売り言葉に買い言葉、二人は激しい口喧嘩になった。

《続く》
コメント (2)
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