地下道を対向してくる、きちゃない中高年の群れの中で
見知った顔は藤村のみ。
思えばこの数年、若手がどんどん辞めていった。
代わりに採用されたのは、やさぐれた中高年ばっかりらしい。
中高年の中途採用は、本社の方針の一つである。
過去に各種免許や資格を取得済みなので
育成費用が必要ないのと
安い給料を提示しても喜んで来るため
ダブルの経費節減になるからだ。
が、その中には、転職を重ねるうちに腐る者がいる。
藤村や、前任の松木氏がそうであるように
楽をするために、お世辞と嘘と
人の足を引っ張るのだけがうまくなった中高年。
過去の好景気で、そこそこの地位に付いたり
おいしい目に会って楽を覚えたため
今さらヒラになって、真面目に働く気にはなれないのだ。
年齢的に後が無い彼らは、絶対に辞めない。
代わりに若者が辞める。
若者は、後から入ったおじさんにアゴで使われたり
陥れられるのは我慢できないから辞める。
夫の弟分だった、本社営業部の野島君も
昨年、これが原因で辞めた。
減った社員は、中高年の採用でカバー。
これを繰り返して、お爺さんやおじさんばかりの会社になった。
この群れも同じ匂いがする。
豊富な経験をアピールして、何とか再就職をはたしたものの
中身は一朝一夕に変わらない。
脂ぎった頭、うすら黒い肌、歪んだ口元にくたびれた背広…
美とは対極の要素が混ざり合って
きちゃなさを醸し出している。
やさぐれた中高年…この人種は夫の苦手分野。
松木氏と藤村にさんざん煮え湯を飲まされたため
拒否反応が出るのだ。
苦手なタイプばかりが増殖を続けるため
夫のしんどさを思いやる。
いたずらに大柄な藤村は
いたずらな大声に身振り手振りを混じえ
フィリピンパブの素晴らしさを力説中。
「おっぱいパブ」、「おさわり」なんて単語も聞こえてくる。
藤村の話に反応してドッと笑う、きちゃない群れ。
会社のバッジをつけて、よくもそんなことができるものだ。
「なんてお下品な…」
自分の亭主が、シロウト女性を相手に
あまたのお下品をはたらいてきた男だというのを忘れ
私は眉をひそめる。
藤村は職場の小さな宴会でも、平気でこのような話をする。
「重役の誰それを連れて行ったら、ハマッちゃって
連れて行けってうるさいのなんの…」
と言うからにはら彼女であるテレサの勤める店や、その系列店に
本社の人たちを案内している様子だ。
妻子に言いにくい場所で一緒に飲めば、親しみが増すし
弱みを握ることにもなる。
フィリピンパブは藤村の処世術であり、罠でもあるらしい。
さて新会社の専務として、先月から大阪へ通うようになった藤村は
張り切って挨拶回りをしていた。
いや、張り切るも何も、この人は今まで
挨拶回りしかしたことがない。
挨拶回りで嫌われ、出入りさせてもらえなくなって
そのまま…というのが、彼の仕事のパターン。
そこへ例のコロナ騒ぎだ。
社命により、県外に出てはいけないことになったので
藤村は大阪へ行けなくなった。
口では残念がっているが、挨拶回りが済んだら
いよいよ仕事をしなければならない。
やったことのない、仕事というものをしなくて済んで
藤村は内心、ホッとしているのではないかと思っている。
いわく付きの新会社で
彼が怖い目に遭うことを期待していたのに、残念だ。
ところで最初に話した、ややこしい書類の件。
本来は経理部長ダイちゃんがやるはずの仕事を
私に振られてそのままになっていたが
このたび引き継ぎを終えて、本社に返すことができた話である。
「これで解放された!」
私は喜んだ。
しかし数日後、本社の知らない男性から電話が…。
「あの…この書類を担当することになりました今井です…
やり方を教えていただいてもよろしいでしょうか」
弱々しい声の若者は、3月に入社したばかりだそう。
本社、年寄りだけじゃなく、若い人も入れる気はあるらしい。
が、引き継ぎをしたはずの加藤君は、どうなった?
「あの…加藤は年度末で多忙なので
わたくしがやることになったのですが
教える暇が無いので奥様に直接うかがうようにと…」
今井君は、面倒くさい仕事を
先輩の加藤君から押し付けられたようだ。
無理もない。
定年でパートになるダイちゃんの仕事は、主に加藤君が引き継ぐ。
ダイちゃんのことだから、容赦なく仕事を振るはずだ。
身軽になって、しかし自分に都合のいい仕事は握ったまま
残りの社会人生活を送るつもりであろうことは
長い付き合いでわかっている。
卑怯なおじさんに翻弄される加藤君も、大変なのだ。
とにかく、引き継ぎは振り出しに戻ってしまった。
「どうしていいかわからなくて、ドキドキしっぱなしなんです…」
今井君は、か細い声で言う。
「私もそうだったんよ。
これをやるようになって、月末が近づいたら気分が悪くなってたもん。
でも大丈夫、オバさんの私ができたんだから
あなたは必ずできるわ」
彼の心細さに同情し、励ます私。
こうなったら、何が何でもこの子に書類をマスターさせたくなる。
私は数日待ってもらい
手書きのマニュアルを作成することにした。
ややこしい仕事のやり方を一から説明するのは
すごくややこしい。
考えた末、一冊のノートに
書類の現物を縮小コピーしては貼り付け
それぞれの記入方法の説明や
細かい注意点を書き加えることにした。
このノートを1ページずつクリアしていけば
誰がやっても最後には完成するという
ゲーム方式の一大絵巻だ。
大作に我ながら満足し、本社に送った。
するとさっそく今井君から電話が…。
「あの…詳しく教えてくださって、ありがとうございます…
それで…マニュアルに書いてくださった
“2枚綴りの伝票”というのは、どれのことでしょうか…
納品受渡書というのは、あるんですが…」
…そこからかい!
私が気軽に総称していた伝票という名の紙には
納品受渡書という本名があったらしい。
考えたこともなかった。
その日から、今井君と電話やファックスでやりとりをしつつ
書類を完成させていく。
そして昨日、何とか仕上がった。
今井君と、電話でお互いの健闘を讃え合う。
が、今井君、こんなに弱々しいことじゃ
腐ったおじさんだらけの本社で生き抜くのは難しいかもしれない。
《完》
見知った顔は藤村のみ。
思えばこの数年、若手がどんどん辞めていった。
代わりに採用されたのは、やさぐれた中高年ばっかりらしい。
中高年の中途採用は、本社の方針の一つである。
過去に各種免許や資格を取得済みなので
育成費用が必要ないのと
安い給料を提示しても喜んで来るため
ダブルの経費節減になるからだ。
が、その中には、転職を重ねるうちに腐る者がいる。
藤村や、前任の松木氏がそうであるように
楽をするために、お世辞と嘘と
人の足を引っ張るのだけがうまくなった中高年。
過去の好景気で、そこそこの地位に付いたり
おいしい目に会って楽を覚えたため
今さらヒラになって、真面目に働く気にはなれないのだ。
年齢的に後が無い彼らは、絶対に辞めない。
代わりに若者が辞める。
若者は、後から入ったおじさんにアゴで使われたり
陥れられるのは我慢できないから辞める。
夫の弟分だった、本社営業部の野島君も
昨年、これが原因で辞めた。
減った社員は、中高年の採用でカバー。
これを繰り返して、お爺さんやおじさんばかりの会社になった。
この群れも同じ匂いがする。
豊富な経験をアピールして、何とか再就職をはたしたものの
中身は一朝一夕に変わらない。
脂ぎった頭、うすら黒い肌、歪んだ口元にくたびれた背広…
美とは対極の要素が混ざり合って
きちゃなさを醸し出している。
やさぐれた中高年…この人種は夫の苦手分野。
松木氏と藤村にさんざん煮え湯を飲まされたため
拒否反応が出るのだ。
苦手なタイプばかりが増殖を続けるため
夫のしんどさを思いやる。
いたずらに大柄な藤村は
いたずらな大声に身振り手振りを混じえ
フィリピンパブの素晴らしさを力説中。
「おっぱいパブ」、「おさわり」なんて単語も聞こえてくる。
藤村の話に反応してドッと笑う、きちゃない群れ。
会社のバッジをつけて、よくもそんなことができるものだ。
「なんてお下品な…」
自分の亭主が、シロウト女性を相手に
あまたのお下品をはたらいてきた男だというのを忘れ
私は眉をひそめる。
藤村は職場の小さな宴会でも、平気でこのような話をする。
「重役の誰それを連れて行ったら、ハマッちゃって
連れて行けってうるさいのなんの…」
と言うからにはら彼女であるテレサの勤める店や、その系列店に
本社の人たちを案内している様子だ。
妻子に言いにくい場所で一緒に飲めば、親しみが増すし
弱みを握ることにもなる。
フィリピンパブは藤村の処世術であり、罠でもあるらしい。
さて新会社の専務として、先月から大阪へ通うようになった藤村は
張り切って挨拶回りをしていた。
いや、張り切るも何も、この人は今まで
挨拶回りしかしたことがない。
挨拶回りで嫌われ、出入りさせてもらえなくなって
そのまま…というのが、彼の仕事のパターン。
そこへ例のコロナ騒ぎだ。
社命により、県外に出てはいけないことになったので
藤村は大阪へ行けなくなった。
口では残念がっているが、挨拶回りが済んだら
いよいよ仕事をしなければならない。
やったことのない、仕事というものをしなくて済んで
藤村は内心、ホッとしているのではないかと思っている。
いわく付きの新会社で
彼が怖い目に遭うことを期待していたのに、残念だ。
ところで最初に話した、ややこしい書類の件。
本来は経理部長ダイちゃんがやるはずの仕事を
私に振られてそのままになっていたが
このたび引き継ぎを終えて、本社に返すことができた話である。
「これで解放された!」
私は喜んだ。
しかし数日後、本社の知らない男性から電話が…。
「あの…この書類を担当することになりました今井です…
やり方を教えていただいてもよろしいでしょうか」
弱々しい声の若者は、3月に入社したばかりだそう。
本社、年寄りだけじゃなく、若い人も入れる気はあるらしい。
が、引き継ぎをしたはずの加藤君は、どうなった?
「あの…加藤は年度末で多忙なので
わたくしがやることになったのですが
教える暇が無いので奥様に直接うかがうようにと…」
今井君は、面倒くさい仕事を
先輩の加藤君から押し付けられたようだ。
無理もない。
定年でパートになるダイちゃんの仕事は、主に加藤君が引き継ぐ。
ダイちゃんのことだから、容赦なく仕事を振るはずだ。
身軽になって、しかし自分に都合のいい仕事は握ったまま
残りの社会人生活を送るつもりであろうことは
長い付き合いでわかっている。
卑怯なおじさんに翻弄される加藤君も、大変なのだ。
とにかく、引き継ぎは振り出しに戻ってしまった。
「どうしていいかわからなくて、ドキドキしっぱなしなんです…」
今井君は、か細い声で言う。
「私もそうだったんよ。
これをやるようになって、月末が近づいたら気分が悪くなってたもん。
でも大丈夫、オバさんの私ができたんだから
あなたは必ずできるわ」
彼の心細さに同情し、励ます私。
こうなったら、何が何でもこの子に書類をマスターさせたくなる。
私は数日待ってもらい
手書きのマニュアルを作成することにした。
ややこしい仕事のやり方を一から説明するのは
すごくややこしい。
考えた末、一冊のノートに
書類の現物を縮小コピーしては貼り付け
それぞれの記入方法の説明や
細かい注意点を書き加えることにした。
このノートを1ページずつクリアしていけば
誰がやっても最後には完成するという
ゲーム方式の一大絵巻だ。
大作に我ながら満足し、本社に送った。
するとさっそく今井君から電話が…。
「あの…詳しく教えてくださって、ありがとうございます…
それで…マニュアルに書いてくださった
“2枚綴りの伝票”というのは、どれのことでしょうか…
納品受渡書というのは、あるんですが…」
…そこからかい!
私が気軽に総称していた伝票という名の紙には
納品受渡書という本名があったらしい。
考えたこともなかった。
その日から、今井君と電話やファックスでやりとりをしつつ
書類を完成させていく。
そして昨日、何とか仕上がった。
今井君と、電話でお互いの健闘を讃え合う。
が、今井君、こんなに弱々しいことじゃ
腐ったおじさんだらけの本社で生き抜くのは難しいかもしれない。
《完》