蟹が最盛期の城崎へ行きながら
蟹の足1本、食べることができない。
モトジメと旅行社のやり取りが続く中で
次第に真相が明らかとなっていったが
この信じられない状況は、連絡の行き違いに端を発したようだ。
旅行先が城崎温泉と決まった昨年の春以来
モトジメは何度も主張していた。
「蟹ばっかりじゃあ、蟹をほじくるのに一生懸命になって
皆が静かになってしまうけん
他の料理も入れてもらうように頼むつもり」
幹事であれば、誰しも宴会を盛り上げたい。
一同はこの気持ちを汲み、モトジメの意見に賛成した。
行き先が決まると、今度は旅行社を決める。
モトジメの考えは、こうだ。
「同窓会のメンバーや配偶者には、旅行に関わる仕事をする者もいる。
その人に頼むと安いだろうし、幹事の自分は気楽だと思う。
しかし旅行関係者が複数いるため、誰か一人を選ぶと角が立つし
依頼された者は仕事の延長になって、心から楽しめない。
だから、全然関係ない所へ頼むつもり」
そこでモトジメが白羽の矢を立てたのは、隣の市にあるド田舎の小さな旅行社。
経営者が、モトジメの友人だったのが抜擢の理由である。
私はこの会社の名前を聞いた時、かすかな不安がよぎった。
以前、義父の会社に勤めていた人が、ここで観光バスの運転手になったので
多少の内情を知っているからだ。
そこは正確に言えば、純然たる旅行会社ではない。
駐車場を経営していた田舎の土地持ちが、観光バスの駐車を受け入れるうち
観光バスそのものや運転手、ガイドの手配をするようになり
その流れで数年前に観光部門を作った変わり種。
仕事は地域の老人会や部活の遠征など
比較的のどかな仕事が主流であることなどを聞いていた。
旅行を任せる側にとって、旅専門の会社でないことは不安材料である。
畑違いの新参者なので、業界で顔がきかないのは一目瞭然。
新しい会社であるからには、経験の浅い転職者で構成されているのも明白。
よって、一生に一度の還暦旅行を任せるのは
荷が重いのではないか‥私はそう思った。
しかし、すでにモトジメが決めたことなのでそのまま従った。
本格的にプランを立て始めた昨年7月、西日本豪雨が起きる。
豪雨以降、建築業を営むモトジメは多忙を極めた。
そのためモトジメの家に旅行のパンフレットを届けたり
電話や口頭で要望を聞いたりの庶連絡は
彼の友人である社長が引き受け
モトジメと話した社長が、観光部門に伝えるという体制が取られた。
モトジメは寝る暇も無いほど忙しかったので
心安い相手の方が気楽だろうからという社長の配慮である。
「蟹だけじゃなく、別の料理も入れて欲しい」
モトジメは、この要望も社長に電話で伝えた。
しかし社長の本業は駐車場経営なので、旅の方はシロウト。
この伝言はまず、駐車場部門の社員に口頭で伝えられ
その社員が観光部門に伝え、電話を受けた観光部門の事務員が旅行担当者に伝えた。
そして伝言は、どこかで変わった。
「蟹じゃなく、別の料理にして欲しい」
担当者はさすがにおかしいと思い、駐車場部門の社員を通じて社長に確認した。
「本当に『蟹づくし御膳』でなくて、いいんですか?」
『蟹づくし御膳』というのは、我々が泊まるホテルの名物料理だった。
この質問は社長からモトジメに伝えられ、モトジメは答えた。
「蟹づくしは困る。
蟹じゃない料理“も”お願いします」
伝言は再度、社員数名を経て担当者に伝えられた。
「蟹づくしは困る。
蟹じゃない料理“を”お願いします」
やはり伝言は、どこかで変わった。
こうして蟹の出ない料理という要望が、ホテル側に伝えられた。
蟹アレルギーの集団じゃあるまいし
冬場にこれ以外の物を食べたがる客などいない。
名物の『蟹づくし御膳』が嫌となれば、何か別の物を用意しなければ‥
ホテルは親切にも、そう考えた。
かくして蟹のシーズンに蟹の本場で
蟹を食べたくないというバチ当たりどものために
『蟹なし御膳』が特別に用意されたのであった。
午後6時半、一行は続々と宴会場に集まった。
まだ何も知らないみんな‥憐れだ。
一人一人の膳に置かれたお献立表をそっと見た。
はっきり『特別会席・蟹なし御膳』と書いてある。
頭がクラクラした。
蟹はそこら辺に山ほど売ってるんだから、買いに走って乗っけりゃいいじゃん‥
客の方は簡単にそう思うが、ホテルはそうはいかない。
格の高い所なら、なおさらだ。
料亭勤めの経験がある私は、どこの馬、いや、蟹の骨だかわからないものを
厨房に入れるわけにいかないのを知っている。
なまじ、ここに蟹を加えたら、お献立表からして作り直さなければならない。
蟹嫌いの集団のために作られた『蟹なし御膳』を食す以外
我々に道は無かった。
「ねえ、席順は決まってないの?」
仲良しの4人組を一緒の部屋にしてくれなければ参加しないと主張した
通称4人部屋のボス、ヨウコが私のところへ問いに来た。
彼女は高校まで同級生女子のリーダー格だったので
こういうことが気になるタイプ。
今にして思えば、彼女のそれはリーダーシップではなく
ワガママを通すための強気に過ぎなかったことがわかる。
「決めてないんよ、好きな所へどうぞ」
そう答えたら、ヨウコはさも名案のように言う。
「クジ引きにすりゃよかったのに」
バカタレが‥
てめえらが4人部屋だのと勝手なこと言うから
宴会も4人がかたまって座りたいだろうと思って
クジ引きはあえて避けてやったんじゃ‥
と言いたいが、楽しい席で言うわけにいかないので
「そうね」とだけ答えた。
勝手なヤツは生涯、勝手を通せばいい。
彼女たちと、もう二度と会うことはないのだ。
《続く》
蟹の足1本、食べることができない。
モトジメと旅行社のやり取りが続く中で
次第に真相が明らかとなっていったが
この信じられない状況は、連絡の行き違いに端を発したようだ。
旅行先が城崎温泉と決まった昨年の春以来
モトジメは何度も主張していた。
「蟹ばっかりじゃあ、蟹をほじくるのに一生懸命になって
皆が静かになってしまうけん
他の料理も入れてもらうように頼むつもり」
幹事であれば、誰しも宴会を盛り上げたい。
一同はこの気持ちを汲み、モトジメの意見に賛成した。
行き先が決まると、今度は旅行社を決める。
モトジメの考えは、こうだ。
「同窓会のメンバーや配偶者には、旅行に関わる仕事をする者もいる。
その人に頼むと安いだろうし、幹事の自分は気楽だと思う。
しかし旅行関係者が複数いるため、誰か一人を選ぶと角が立つし
依頼された者は仕事の延長になって、心から楽しめない。
だから、全然関係ない所へ頼むつもり」
そこでモトジメが白羽の矢を立てたのは、隣の市にあるド田舎の小さな旅行社。
経営者が、モトジメの友人だったのが抜擢の理由である。
私はこの会社の名前を聞いた時、かすかな不安がよぎった。
以前、義父の会社に勤めていた人が、ここで観光バスの運転手になったので
多少の内情を知っているからだ。
そこは正確に言えば、純然たる旅行会社ではない。
駐車場を経営していた田舎の土地持ちが、観光バスの駐車を受け入れるうち
観光バスそのものや運転手、ガイドの手配をするようになり
その流れで数年前に観光部門を作った変わり種。
仕事は地域の老人会や部活の遠征など
比較的のどかな仕事が主流であることなどを聞いていた。
旅行を任せる側にとって、旅専門の会社でないことは不安材料である。
畑違いの新参者なので、業界で顔がきかないのは一目瞭然。
新しい会社であるからには、経験の浅い転職者で構成されているのも明白。
よって、一生に一度の還暦旅行を任せるのは
荷が重いのではないか‥私はそう思った。
しかし、すでにモトジメが決めたことなのでそのまま従った。
本格的にプランを立て始めた昨年7月、西日本豪雨が起きる。
豪雨以降、建築業を営むモトジメは多忙を極めた。
そのためモトジメの家に旅行のパンフレットを届けたり
電話や口頭で要望を聞いたりの庶連絡は
彼の友人である社長が引き受け
モトジメと話した社長が、観光部門に伝えるという体制が取られた。
モトジメは寝る暇も無いほど忙しかったので
心安い相手の方が気楽だろうからという社長の配慮である。
「蟹だけじゃなく、別の料理も入れて欲しい」
モトジメは、この要望も社長に電話で伝えた。
しかし社長の本業は駐車場経営なので、旅の方はシロウト。
この伝言はまず、駐車場部門の社員に口頭で伝えられ
その社員が観光部門に伝え、電話を受けた観光部門の事務員が旅行担当者に伝えた。
そして伝言は、どこかで変わった。
「蟹じゃなく、別の料理にして欲しい」
担当者はさすがにおかしいと思い、駐車場部門の社員を通じて社長に確認した。
「本当に『蟹づくし御膳』でなくて、いいんですか?」
『蟹づくし御膳』というのは、我々が泊まるホテルの名物料理だった。
この質問は社長からモトジメに伝えられ、モトジメは答えた。
「蟹づくしは困る。
蟹じゃない料理“も”お願いします」
伝言は再度、社員数名を経て担当者に伝えられた。
「蟹づくしは困る。
蟹じゃない料理“を”お願いします」
やはり伝言は、どこかで変わった。
こうして蟹の出ない料理という要望が、ホテル側に伝えられた。
蟹アレルギーの集団じゃあるまいし
冬場にこれ以外の物を食べたがる客などいない。
名物の『蟹づくし御膳』が嫌となれば、何か別の物を用意しなければ‥
ホテルは親切にも、そう考えた。
かくして蟹のシーズンに蟹の本場で
蟹を食べたくないというバチ当たりどものために
『蟹なし御膳』が特別に用意されたのであった。
午後6時半、一行は続々と宴会場に集まった。
まだ何も知らないみんな‥憐れだ。
一人一人の膳に置かれたお献立表をそっと見た。
はっきり『特別会席・蟹なし御膳』と書いてある。
頭がクラクラした。
蟹はそこら辺に山ほど売ってるんだから、買いに走って乗っけりゃいいじゃん‥
客の方は簡単にそう思うが、ホテルはそうはいかない。
格の高い所なら、なおさらだ。
料亭勤めの経験がある私は、どこの馬、いや、蟹の骨だかわからないものを
厨房に入れるわけにいかないのを知っている。
なまじ、ここに蟹を加えたら、お献立表からして作り直さなければならない。
蟹嫌いの集団のために作られた『蟹なし御膳』を食す以外
我々に道は無かった。
「ねえ、席順は決まってないの?」
仲良しの4人組を一緒の部屋にしてくれなければ参加しないと主張した
通称4人部屋のボス、ヨウコが私のところへ問いに来た。
彼女は高校まで同級生女子のリーダー格だったので
こういうことが気になるタイプ。
今にして思えば、彼女のそれはリーダーシップではなく
ワガママを通すための強気に過ぎなかったことがわかる。
「決めてないんよ、好きな所へどうぞ」
そう答えたら、ヨウコはさも名案のように言う。
「クジ引きにすりゃよかったのに」
バカタレが‥
てめえらが4人部屋だのと勝手なこと言うから
宴会も4人がかたまって座りたいだろうと思って
クジ引きはあえて避けてやったんじゃ‥
と言いたいが、楽しい席で言うわけにいかないので
「そうね」とだけ答えた。
勝手なヤツは生涯、勝手を通せばいい。
彼女たちと、もう二度と会うことはないのだ。
《続く》