我が社の社員、アラフィフのA君は人当たりが良くて優しい性格。
その上、仕事の技術に優れ、器用で几帳面。
言うことなし。
休まなければ。
彼が頭痛を理由に、たびたび休み始めたのは1年ほど前。
それは、彼に初孫が生まれた時期と重なる。
本人は原因不明の頭痛に悩まされていると言うが
我々は、初めてのじいじ役にハマってしまったのだと思っている。
我が社は月給制なので、欠勤してもA君の収入に不都合は無いことが
休み癖を増長しているように見えた。
ともあれ社員が病気になった場合
それを理由に解雇はできない決まりがある。
雇う側は手をこまねくしかない。
痛いと言う者を引きずって働かせるわけにもいかず
様子を見るしかなかった。
このことは本社にも報告済みで
突発性ナントカ頭痛という診断書も提出していたが
1年経っても改善が見られない。
そこで本社サイドは、配置転換を提案した。
表向きは、山間部にある支社の一つへ移動。
けれども本来の目的は肩叩き。
世間一般で、よく使われる手である。
支社の雇用条件なんて夫にはわからないので
本社から人が差し向けられ、A君と話をすることになった。
その役に営業部長、永井氏が手を挙げた。
覚えておいでだろうか。
得意のおべんちゃらと見て来たような嘘を駆使して
取締役に登りつめた40代後半の男である。
何かと我が社のことに首を突っ込みたがる彼の癖は
現在も続いている。
彼は合併当初からずっと、夫と我が社を目の敵にしていた。
目の敵にして意地の悪い言動を繰り返しながら
うまい話があれば横取りを企んで、手柄欲しさにすり寄ってくる。
本社と合併して丸6年、我々がひたすら戦ってきたのは
取引先でも数字でもない。
暇と嫉妬に支配された、卑しいゲスどもである。
取締役になってからの彼は、我が社の排除を主張し続けていたので
A君の件は渡りに船。
夫の責任を追及するかたわら
「社員教育もまともにできないバカ」と吹聴した。
それは当たっているので否定しないが
またもや波乱の起きそうな予感は強かった。
6月半ば、永井部長は意気揚々と我が社を訪れて
この話をA君に伝えた。
「本社は君の実力を買っている。
今とは畑違いのきつい仕事ではあるが、支社の方で活躍してもらいたい」
というニュアンスのことだ。
「あんた、よく休むからクビね」
そんなこと、口が避けても言えやしない。
自主退職を促すセリフとして、 教科書通りである。
A君はしばらく考えていたが、月末になって本社に意向を伝えた。
「転勤します」
彼がうちの息子に話したところによると
A君は、永井部長の話を引き抜きの打診と受け取ったらしい。
驚き慌てたのは、本社と永井部長。
てっきり退職すると思っていたら、まさかの残留。
A君を引き取るしかなくなった本社は
渋々、そして取り急ぎ、転勤にまつわる諸手続きを行った。
A君は6月いっぱいで我が社を去り、7月から支社で働くことになった。
1日は日曜だったので、2日の月曜日が初出勤だ。
3日、4日、5日‥
「仕事がきつい」
彼は毎日、息子に訴えて我が社へ戻りたがった。
そして、魔の7月6日がやってくる。
支社は豪雨で土石流に埋まり、A君は転勤早々
地獄絵図の後始末に追われる羽目となった。
連日、泣きごとの電話をかけてくるA君のことを
「イソップ童話のラクダみたい」
息子たちは私に言った。
背中に荷物を積んだラクダが川で転び、積み荷の塩が流れて軽くなった‥
味をしめたラクダは、次も川で転んだが
その時の積み荷は綿だったため、水を含んで何倍も重くなった‥
そのラクダである。
一方、A君を失った我が社は、入れ代わりに60代の男性を雇った。
若い頃、義父の会社へ勤めていた旧知の人物である。
仕事の内容がよくわかっているため、教える必要の無い即戦力で
昔と変わらず、よく働く。
「今日は来るやら、来ないやら」と案じることが無いので、すごく楽。
A君が去り、ベテランが入社したことで社内の雰囲気は良くなり
申し分ない人事となった。
面白くないのは、A君の肩叩きに失敗した永井部長。
こんな時は得意の責任転嫁で、ネチネチと夫の責任を責め続けた。
この非常時だ。
営業の彼は暇でも、こっちは復旧作業に忙殺されている。
年下の若造から、つまらんだの責任を取れだのと言われて
夫が嬉しいはずはない。
無口な夫は、明解な反論も弁明もできない。
無理に何か言えば、相手の思う壺。
言葉尻をとらえられ、攻撃のバリエーションが増えるだけだ。
「腹が立ったら我慢せずに喧嘩しんさい。
クビになっても全然かまわん。
後のことは任せて!」
私は言い、そしていつものセリフでしめる。
「見よってみんさい。
父さんの値打ちを認めんヤツは、必ずバチが当たるんじゃけん!」
歯の浮くようなこの発言は、おべんちゃらの範疇かもしれない。
けれども私は、夫の値打ちというものをはっきり認めているので
まんざら嘘ではない。
夫の値打ち‥それは強運に尽きる。
浮気三昧、悪業三昧の半生を送ったにもかかわらず
たいしたバチが当たるわけでもなく、変わらず人に好かれ
困った時には必ずどこからか救いの手が差し伸べられて
どうにもならないことは女房が何とかしてくれる‥
これを強運と呼ばずして、何と呼ぶのだ。
少なくとも私より、ずっと強運なんだから
恨んで反目するより、認めて乗っかった方が得策である。
ともあれ、これを言うと、夫は落ち着いて冷静になる。
言葉を尽くして慰め励ますより、極めて効率がいい。
ちょっとした誤解や悪意、あるいは不運によって
ペチャンコにされた男の自尊心が早く復活するようだ。
夫が冷静になると、運命の歯車がギーと低い音を立て
ゆっくりと回り始めるのを感じる。
そしてやがては巡り巡って立場が逆転し、窮地を脱する現象は何度も体験した。
偶然や気のせいかもしれないが、言うのはタダなので頻用している。
はたして運命の歯車は、今回もゆっくりと回り始めた。
《続く》
その上、仕事の技術に優れ、器用で几帳面。
言うことなし。
休まなければ。
彼が頭痛を理由に、たびたび休み始めたのは1年ほど前。
それは、彼に初孫が生まれた時期と重なる。
本人は原因不明の頭痛に悩まされていると言うが
我々は、初めてのじいじ役にハマってしまったのだと思っている。
我が社は月給制なので、欠勤してもA君の収入に不都合は無いことが
休み癖を増長しているように見えた。
ともあれ社員が病気になった場合
それを理由に解雇はできない決まりがある。
雇う側は手をこまねくしかない。
痛いと言う者を引きずって働かせるわけにもいかず
様子を見るしかなかった。
このことは本社にも報告済みで
突発性ナントカ頭痛という診断書も提出していたが
1年経っても改善が見られない。
そこで本社サイドは、配置転換を提案した。
表向きは、山間部にある支社の一つへ移動。
けれども本来の目的は肩叩き。
世間一般で、よく使われる手である。
支社の雇用条件なんて夫にはわからないので
本社から人が差し向けられ、A君と話をすることになった。
その役に営業部長、永井氏が手を挙げた。
覚えておいでだろうか。
得意のおべんちゃらと見て来たような嘘を駆使して
取締役に登りつめた40代後半の男である。
何かと我が社のことに首を突っ込みたがる彼の癖は
現在も続いている。
彼は合併当初からずっと、夫と我が社を目の敵にしていた。
目の敵にして意地の悪い言動を繰り返しながら
うまい話があれば横取りを企んで、手柄欲しさにすり寄ってくる。
本社と合併して丸6年、我々がひたすら戦ってきたのは
取引先でも数字でもない。
暇と嫉妬に支配された、卑しいゲスどもである。
取締役になってからの彼は、我が社の排除を主張し続けていたので
A君の件は渡りに船。
夫の責任を追及するかたわら
「社員教育もまともにできないバカ」と吹聴した。
それは当たっているので否定しないが
またもや波乱の起きそうな予感は強かった。
6月半ば、永井部長は意気揚々と我が社を訪れて
この話をA君に伝えた。
「本社は君の実力を買っている。
今とは畑違いのきつい仕事ではあるが、支社の方で活躍してもらいたい」
というニュアンスのことだ。
「あんた、よく休むからクビね」
そんなこと、口が避けても言えやしない。
自主退職を促すセリフとして、 教科書通りである。
A君はしばらく考えていたが、月末になって本社に意向を伝えた。
「転勤します」
彼がうちの息子に話したところによると
A君は、永井部長の話を引き抜きの打診と受け取ったらしい。
驚き慌てたのは、本社と永井部長。
てっきり退職すると思っていたら、まさかの残留。
A君を引き取るしかなくなった本社は
渋々、そして取り急ぎ、転勤にまつわる諸手続きを行った。
A君は6月いっぱいで我が社を去り、7月から支社で働くことになった。
1日は日曜だったので、2日の月曜日が初出勤だ。
3日、4日、5日‥
「仕事がきつい」
彼は毎日、息子に訴えて我が社へ戻りたがった。
そして、魔の7月6日がやってくる。
支社は豪雨で土石流に埋まり、A君は転勤早々
地獄絵図の後始末に追われる羽目となった。
連日、泣きごとの電話をかけてくるA君のことを
「イソップ童話のラクダみたい」
息子たちは私に言った。
背中に荷物を積んだラクダが川で転び、積み荷の塩が流れて軽くなった‥
味をしめたラクダは、次も川で転んだが
その時の積み荷は綿だったため、水を含んで何倍も重くなった‥
そのラクダである。
一方、A君を失った我が社は、入れ代わりに60代の男性を雇った。
若い頃、義父の会社へ勤めていた旧知の人物である。
仕事の内容がよくわかっているため、教える必要の無い即戦力で
昔と変わらず、よく働く。
「今日は来るやら、来ないやら」と案じることが無いので、すごく楽。
A君が去り、ベテランが入社したことで社内の雰囲気は良くなり
申し分ない人事となった。
面白くないのは、A君の肩叩きに失敗した永井部長。
こんな時は得意の責任転嫁で、ネチネチと夫の責任を責め続けた。
この非常時だ。
営業の彼は暇でも、こっちは復旧作業に忙殺されている。
年下の若造から、つまらんだの責任を取れだのと言われて
夫が嬉しいはずはない。
無口な夫は、明解な反論も弁明もできない。
無理に何か言えば、相手の思う壺。
言葉尻をとらえられ、攻撃のバリエーションが増えるだけだ。
「腹が立ったら我慢せずに喧嘩しんさい。
クビになっても全然かまわん。
後のことは任せて!」
私は言い、そしていつものセリフでしめる。
「見よってみんさい。
父さんの値打ちを認めんヤツは、必ずバチが当たるんじゃけん!」
歯の浮くようなこの発言は、おべんちゃらの範疇かもしれない。
けれども私は、夫の値打ちというものをはっきり認めているので
まんざら嘘ではない。
夫の値打ち‥それは強運に尽きる。
浮気三昧、悪業三昧の半生を送ったにもかかわらず
たいしたバチが当たるわけでもなく、変わらず人に好かれ
困った時には必ずどこからか救いの手が差し伸べられて
どうにもならないことは女房が何とかしてくれる‥
これを強運と呼ばずして、何と呼ぶのだ。
少なくとも私より、ずっと強運なんだから
恨んで反目するより、認めて乗っかった方が得策である。
ともあれ、これを言うと、夫は落ち着いて冷静になる。
言葉を尽くして慰め励ますより、極めて効率がいい。
ちょっとした誤解や悪意、あるいは不運によって
ペチャンコにされた男の自尊心が早く復活するようだ。
夫が冷静になると、運命の歯車がギーと低い音を立て
ゆっくりと回り始めるのを感じる。
そしてやがては巡り巡って立場が逆転し、窮地を脱する現象は何度も体験した。
偶然や気のせいかもしれないが、言うのはタダなので頻用している。
はたして運命の歯車は、今回もゆっくりと回り始めた。
《続く》