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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

無心、有心・1

2018年07月10日 14時47分05秒 | みりこんぐらし
今は亡き義父アツシの入院中、同じ病室だったFさん。

彼は先天性の心臓病で、何年も入院していた。

広島カープが大好きな彼のために

夫は毎日スポーツ新聞を届けるようになった。

途中でアツシの部屋が変わっても、夫は新聞を持って彼の病室を訪ねた。


新聞の配達は、アツシが他界してからも続いた。

その間、Fさんの妹さんのご主人が

我が社の取引先の所長だったことを知って驚いたり

広島カープが久しぶりに優勝しそうな時は

「死んでもいいから球場に行かせて!」

そう言い出したFさんを皆で止めたりと、さまざまなエピソードがあった。



こうして約2年半が経った今月の始め、Fさんはとうとう亡くなった。

少し前に風邪を引いて以来、日増しに弱ってきていたので

夫は心配していた。

それでも前の日は話ができた。

しかし翌日行ったら、亡くなっていた。


Fさんは、61年の生涯の半分以上を病院のベッドで過ごした。

働いたこともなく、友達と遊びに行くこともなく、ただ病気と闘った。


「悲しい一生」

以前の私なら、そう思って気の毒がっていたはずだ。

けれどもFさんの死で感じたのは、「美しい一生」。

誰かを傷つけたり、嫌な思いをさせることもなく

嘘をついたり、取り繕って装うこともなく

無心に生き、そして終わった。


夫もまた、無心であった。

何も言わないので、夫がFさんの所へ行っていることを

私はともすれば忘れていた。

Fさんと夫は、友情という仰々しいものではなく

ただ淡々とした無心で繋がっていた。

それを目の当たりにした今は、美の基準が変化したように思う。


Fさんが亡くなって通夜葬儀が終わり、夫の新聞配達も終了した。

夫は少し淋しそうだが、ひどく悲しむでもなく

Fさんと関わった年月を振り返るでもなく

相変わらず飄々、淡々と過ごしている。




無心は清らかな湧き水のごとく、涼やかに輝く。

そのきらめきを横目に、こっちは相変わらず濁流担当。

5月下旬、突然の肩叩きに遭遇した私であった。


きっかけは、本社から我が社へ差し向けられた営業課長、藤村。

以前記事にしたが、自営の土建業とペットショップを潰したあげく

本社に流れ着いた‥

夫に焼肉屋での忘年会を頼んでおきながら、前日にドタキャンした‥

53才の大男である。


3月に着任した藤村は、私のやっている事務に興味を示し

「自分がやりたい」と言い出した。

この症状は前任の松木氏と同じ。

仕事のできないヤツの癖みたいなものだ。

本業の営業ができないので、人のやっていることに目が行き

取り上げたくなる。


私の仕事は誰がやっても同じ、簡単な事務処理だ。

それを奪うことは、そのまま彼らの安泰を意味した。

一粒で二度おいしい人材を装えば

営業の方がダメでも逃げ場を確保できるからである。


松木氏が事務に意欲を示した6年前

我が社には経理部長のダイちゃんが張り付いていた。

彼は自身が信仰する宗教に、我々一家を勧誘する予定だったので

松木氏の希望はダイちゃんの所で握り潰され、実現には至らなかった。


けれども今度は状況が違う。

先頃、私はダイちゃんの宗教勧誘を断って、ひどく怒らせた。

もう見込み客ではなくなった私は、彼にとって敵でしかない。

ダイちゃんが私の排除に積極的になるのは、当たり前のことだった。


「藤村の給料はそのままで、営業職のかたわら事務をやらせれば

人件費削減になる」

もっともな理由を述べて、藤村を推すダイちゃんに本社も同意した。

「意欲を示している藤村にやらせてみよう」ということになり

さしあたって月初めに行う請求書の作成から取り組ませ

徐々に藤村の分担を増やしていく方針が決まった。


そう言えば聞こえはいいけど、要は肩叩き、引退勧告、戦力外通告。

ダイちゃんも本社も、私に直接言いにくかったようで

この話はまず夫に打診され、夫から私に伝えられた。


聞いた私はどんな気持ちだったか。

狂喜乱舞。


というのもここ数年、私の仕事は増える一方だった。

ダイちゃんが仕事をどんどこ振るからだ。

「教育のため」「成長のため」などと立派なことをおっしゃるが

ババアを今さら鍛えてどうなるというのだ。

本当は、なかなか入信しない私への懲らしめである。

根をあげるのを待っているのが、ひしひしと伝わってくる。


「できません」と泣きついたら

仕事を減らすのをエサに入信させる魂胆なのは明白。

さんざん勧誘されたこの6年で、教団の傾向や手口はわかっている。

だから意地でやっていた。


近いうちに、これらの面倒くさい仕事から解放されるのだ。

「ブラボー!藤村!」

私はゲンキンにも藤村を見直し、心から感謝した。



2日後、藤村に事務のレクチャーをするため

ダイちゃんとその部下が来た。

私は出社しなかったので、後から夫に聞いたが

藤村は膨大な書類を見て、唖然としていたそうだ。


それでも1日、おとなしく講義を受けた藤村だが

ダイちゃんたちが帰った夕方、夫につぶやいた。

「僕には無理‥やっぱり断ろうっと」

自分から熱心に頼んでおいて、平然とキャンセルできるのが藤村であった。

昨年末の焼肉キャンセル事件と同じである。

翌朝、藤村は本社へ出向き、本当に断った。

《続く》
コメント (6)
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