「気がつけば、春も過ぎ去ろうとしていました…我が家から見える山」
「明日から休んでください」
美香子に言って、候補はその場を立ち去った。
早い話、もう来るなということである。
美香子は泣き出した。
「やると決めたんだから、最後までやりたいんです!ウワ~ン!」
「じゃ来れば?」
「いいんですかね…候補、怒らないですかね…」
今度はしゃくりあげながら、気弱にそう言う。
「知らん顔して座ってればいいわよ」
「それじゃ困るんです。
候補をちゃんと説得してください。
私は一生懸命なんだって、言ってください」
言わねぇよ…一生懸命と子供を天秤にかけたって、候補は迷わず子供を取る。
翌朝、私はこのことをすっかり忘れていた。
候補と美香子は覚えていただろうが
候補はいつもと同じく穏やかな微笑みのポーカーフェイスだし
美香子も平然としていた。
しかしその後、候補が美香子と口をきくことは二度と無かった。
この時点から、奇人美香子はますますおかしくなる。
元々美香子の物欲しげで横柄なうぐいすの型は
この候補に合わなかったが、さらにバージョンアップされた。
寝た子を連れた母、危険な仕事中の人、自転車の老人、対立候補の演説中…
どんな状況でも見境なく、大声で執拗に割り入る。
「○○がやってまいりました!○○がご挨拶です!
こんにちは!こんにちは!こ~ん~に~ち~は~!」
いたたまれず、身をよじる候補…止める私…
「おっしゃることがわかりませんがっ!」反論する美香子…。
反応して欲しければ「こんにちは!」と何十回呼びかけるより
「お騒がせいたします、ごめんなさい」と優しく言って目を合わせれば
たいていの人はにっこりと手を振ってくれるものだ。
繁華街や住宅街、支援者の多い地域にさしかかると
候補の気持ちを察した運転手の事務局長が
「みりこん姐さん、一丁盛り上げて!」と言う。
暗に、美香子と代われと言っているのだ。
対立候補の地盤や事務所前も同じく。
美香子の舞台は、山奥や移動中の国道へと狭められていく。
対立候補の地盤では、自信が無いのか、反応が薄いからか
一切やろうとしないので平和だが
繁華街や支援者の多い地域は、美香子が最もやりたい場所である。
頬をふくらませて不満をあらわにしていたが
そのうち街頭演説で張り切るようになった。
候補の後ろをついて回り、なぜか自分まで握手をして歩く。
候補の妻と間違えられ、キャッキャと狂ったように喜ぶ美香子。
「まぎらわしい行動は慎んで!」
そのたび、すでに完全なお手振りへと回ってしまったラン子に
グサリとやられているが、美香子はめげない。
候補、自身の美人妻と美香子を間違えられるのが嫌なのか
駆け足で距離を取る。
はた目には、やる気が感じられて、いいぞ!
それを執拗に追跡する美香子。
「おお、追っかけとる、追っかけとる」
ながめて楽しむ私。
美香子の家の前を通っても、子供達は顔を出さなくなった。
出るなと言われたようだ。
振り返ると、母親へのサインだろう、小さな手が二つ
カーテンから遠慮がちにのぞいている。
君達も頑張れよ…ひそかに思う私であった。
最終日の前日、候補が所用で選挙カーを降りた。
今回はうぐいすが3人いて、出番の少なかった候補の娘が
助手席で身内のお願いをするためにマイクを握る。
この娘、幼げでかわいらしい声をしており、胸がキュンとする。
巷の人々も同じ気持ちになるようで、あちこちから人が飛び出してくる。
お目にかけるに値する美女であるから
合間合間で紹介するこっちも、やり手婆の気分だ。
いい心持ちで興行…いや巡回していると、美香子がいきなりワッと泣き出した。
気兼ねな候補がいないので、蓄積した感情が噴出したと思われる。
娘とはいえ、今は候補の身代わり…失礼なことである。
「私、もう無理です!降ろしてください!こんなんじゃ、勝てない!」
「何を言うておる」
「私、この選挙、必死なんですよ!」
「あら、みんな必死よ」
「私、選挙が始まるまで、頑張って家を回ったんですよ!」
「私も回ったし、みんなも回ったよ。
あなたが2週間お休みしていた時も、ずっと回ってたよ。
美香子さんだけじゃないの…みんな頑張ったんだよ」
都合が悪くなると、話題を変える。
「私の選挙は、こんなにのんきじゃないっ!
もっと私達うぐいすが、投票を呼びかけたり
お願いをしないといけないんじゃないんですかっ?」
「あなたの選挙じゃないわよ。
うぐいすは、我を忘れたらいけないの。
私らが10人束になっても、本人や身内にはかなわないんだからね」
「私は、勝ちたいんです!
いつも違うとか待てばっかりで、私の戦略を止められて!
私の実力に、みりこんさんはヤキモチ妬いてるんじゃないんですかっ?!
ウワ~ン!」
相手にするのも恥ずかしい。
一部始終を聞いていた娘も、びっくりして泣き出した。
「いい声になってるから、このまま頑張って」
「はい!さやか、負けません!うっうっ…」
「姐さん…鬼じゃ…」
運転手の事務局長が鼻声でつぶやく。
鬼…その言葉は、最上級の敬意と受け取ろうではないか。
「4分のロス、事務局長なら取り戻せるわね」
気を効かせて車を停めた事務局長をうながす。
「よっしゃ!行くでぇ!」
この男、ちゃらんぽらんだが、要所要所で熱いハートを見せるのだ。
マジで泣く娘の声は、ますます人心をつかみ
家から出てくる人々は、涙を浮かべて選挙カーを取り囲む。
娘と事務局長と美香子…それぞれ別の理由で泣く3人と
次の戦略を考える私を乗せて、選挙カーは走り続ける。
続く
「明日から休んでください」
美香子に言って、候補はその場を立ち去った。
早い話、もう来るなということである。
美香子は泣き出した。
「やると決めたんだから、最後までやりたいんです!ウワ~ン!」
「じゃ来れば?」
「いいんですかね…候補、怒らないですかね…」
今度はしゃくりあげながら、気弱にそう言う。
「知らん顔して座ってればいいわよ」
「それじゃ困るんです。
候補をちゃんと説得してください。
私は一生懸命なんだって、言ってください」
言わねぇよ…一生懸命と子供を天秤にかけたって、候補は迷わず子供を取る。
翌朝、私はこのことをすっかり忘れていた。
候補と美香子は覚えていただろうが
候補はいつもと同じく穏やかな微笑みのポーカーフェイスだし
美香子も平然としていた。
しかしその後、候補が美香子と口をきくことは二度と無かった。
この時点から、奇人美香子はますますおかしくなる。
元々美香子の物欲しげで横柄なうぐいすの型は
この候補に合わなかったが、さらにバージョンアップされた。
寝た子を連れた母、危険な仕事中の人、自転車の老人、対立候補の演説中…
どんな状況でも見境なく、大声で執拗に割り入る。
「○○がやってまいりました!○○がご挨拶です!
こんにちは!こんにちは!こ~ん~に~ち~は~!」
いたたまれず、身をよじる候補…止める私…
「おっしゃることがわかりませんがっ!」反論する美香子…。
反応して欲しければ「こんにちは!」と何十回呼びかけるより
「お騒がせいたします、ごめんなさい」と優しく言って目を合わせれば
たいていの人はにっこりと手を振ってくれるものだ。
繁華街や住宅街、支援者の多い地域にさしかかると
候補の気持ちを察した運転手の事務局長が
「みりこん姐さん、一丁盛り上げて!」と言う。
暗に、美香子と代われと言っているのだ。
対立候補の地盤や事務所前も同じく。
美香子の舞台は、山奥や移動中の国道へと狭められていく。
対立候補の地盤では、自信が無いのか、反応が薄いからか
一切やろうとしないので平和だが
繁華街や支援者の多い地域は、美香子が最もやりたい場所である。
頬をふくらませて不満をあらわにしていたが
そのうち街頭演説で張り切るようになった。
候補の後ろをついて回り、なぜか自分まで握手をして歩く。
候補の妻と間違えられ、キャッキャと狂ったように喜ぶ美香子。
「まぎらわしい行動は慎んで!」
そのたび、すでに完全なお手振りへと回ってしまったラン子に
グサリとやられているが、美香子はめげない。
候補、自身の美人妻と美香子を間違えられるのが嫌なのか
駆け足で距離を取る。
はた目には、やる気が感じられて、いいぞ!
それを執拗に追跡する美香子。
「おお、追っかけとる、追っかけとる」
ながめて楽しむ私。
美香子の家の前を通っても、子供達は顔を出さなくなった。
出るなと言われたようだ。
振り返ると、母親へのサインだろう、小さな手が二つ
カーテンから遠慮がちにのぞいている。
君達も頑張れよ…ひそかに思う私であった。
最終日の前日、候補が所用で選挙カーを降りた。
今回はうぐいすが3人いて、出番の少なかった候補の娘が
助手席で身内のお願いをするためにマイクを握る。
この娘、幼げでかわいらしい声をしており、胸がキュンとする。
巷の人々も同じ気持ちになるようで、あちこちから人が飛び出してくる。
お目にかけるに値する美女であるから
合間合間で紹介するこっちも、やり手婆の気分だ。
いい心持ちで興行…いや巡回していると、美香子がいきなりワッと泣き出した。
気兼ねな候補がいないので、蓄積した感情が噴出したと思われる。
娘とはいえ、今は候補の身代わり…失礼なことである。
「私、もう無理です!降ろしてください!こんなんじゃ、勝てない!」
「何を言うておる」
「私、この選挙、必死なんですよ!」
「あら、みんな必死よ」
「私、選挙が始まるまで、頑張って家を回ったんですよ!」
「私も回ったし、みんなも回ったよ。
あなたが2週間お休みしていた時も、ずっと回ってたよ。
美香子さんだけじゃないの…みんな頑張ったんだよ」
都合が悪くなると、話題を変える。
「私の選挙は、こんなにのんきじゃないっ!
もっと私達うぐいすが、投票を呼びかけたり
お願いをしないといけないんじゃないんですかっ?」
「あなたの選挙じゃないわよ。
うぐいすは、我を忘れたらいけないの。
私らが10人束になっても、本人や身内にはかなわないんだからね」
「私は、勝ちたいんです!
いつも違うとか待てばっかりで、私の戦略を止められて!
私の実力に、みりこんさんはヤキモチ妬いてるんじゃないんですかっ?!
ウワ~ン!」
相手にするのも恥ずかしい。
一部始終を聞いていた娘も、びっくりして泣き出した。
「いい声になってるから、このまま頑張って」
「はい!さやか、負けません!うっうっ…」
「姐さん…鬼じゃ…」
運転手の事務局長が鼻声でつぶやく。
鬼…その言葉は、最上級の敬意と受け取ろうではないか。
「4分のロス、事務局長なら取り戻せるわね」
気を効かせて車を停めた事務局長をうながす。
「よっしゃ!行くでぇ!」
この男、ちゃらんぽらんだが、要所要所で熱いハートを見せるのだ。
マジで泣く娘の声は、ますます人心をつかみ
家から出てくる人々は、涙を浮かべて選挙カーを取り囲む。
娘と事務局長と美香子…それぞれ別の理由で泣く3人と
次の戦略を考える私を乗せて、選挙カーは走り続ける。
続く