昨日は、野口三千三を巡る旅、三回目の群馬行きだった。
日没前に帰宅するために、早朝、東京を出発し、8時40分には群馬総社駅に到着。
先生のご実家の前を通りかかると、運良くご存命だった妹さんと出会う。
丁度、ディケアサービスのお迎え車に乗り込むところだった。
他の利用者さんはすでに後ろの座席にいらしたこともあって、お話はできなかった。
介護士さんらしき男性に、お名前を確かめて、ご本人だと確認できた。
それから大泉寺に寄って、上毛大橋から利根川を見て引き返す。
「大久保長宿」と呼ばれた佐渡奉行街道をさらに北へ。
お目当ての「三宮神社」と「駒寄小学校」をたずねようと歩き続けた。
しばらくして庭の鉢植えに水やりをしている女性に道を尋ねた。
教えられた道をさらに北上。
この旧街道は、頻繁に車が行き来しているが、人は誰も歩いていない。
後ろから一台の乗用車が近づいて
「乗りませんか」
先ほどの女性だった。
「主人に話したら、送って上げなさい、と言われまして。丁度、私も行くところがありましたから……」
せっかくなのでのせてもらって、あっという間に三宮神社へに到着。
お陰さまでお知り合いになってしまった。
神社の境内の写真を撮ったり、手を合わせて御祈りしたり、とゆっくり過ごす。
そして群馬総社に戻って、高崎へ向かうことにした。
ところが道を間違えて歩けば歩くほど、様子がおかしい。
道路脇のプレハブに「◯◯電設」とかかれたところへ一人の男性が入って行くを見かけて、声をかけた。
中には若い人から中年まで、男性が十名ほど椅子に腰をかけていた。
「地図をかいてあげよう」
若い人が紙に書きはじめた。
そのうちに40代くらいの男性が車で送ってくれるという。
「歩いたら大変よ」
年あけの初顔あわせも終わって、これから何もすることがない、というところに飛び込んだらしい。
総社よりも北の沼田方向に歩いていたことだった。
車中、吉岡町の様子を聞きながら、私は東京の三が日の話などをお聞かせすること15、6分。
総社駅でおろしてくれた。
この地域は歩いて5分のコンビニへも車で行くと後から知った。
東京からのこのこやってきたおばさんが、とぼとぼ歩くのは忍びないと、どなたも思ったのかしら?
それにして親切な町の方々に出会った。
その後は、野口先生が昭和11年頃から教員として働き、結婚し子供を育てた高崎駅周辺を回った。
江戸期には高崎城だったところが、明治期から陸軍歩兵十五連隊が置かれた。
現在は高崎市庁、文化・スポーツ施設、中央郵便局等々、主だった行政施設が整えられているところから、先生が住まっていたであろう場所をたずねた。
さて、野口絡みでなくても、おすすめスポットを見つけた。
それは高崎市庁舎の21階である。
360度の展望は素晴らしい。
上毛三山、浅間山、八ヶ岳、そこから関東平野が一望に見渡せる。
そこで合点がいったことがひとつ。
それは、一度、浅間山が噴火すると、落ちてくる火山灰で桑畑は全滅し、養蚕農家は困窮すると聞いていた話がよく理解できたことだった。
榛名山より遠い浅間山なのに、なぜその影響が出るのか不思議だった謎が、一気にとけた収穫は大きかった。
こんなに順調にいくのは、同行二人・弘法大師ならぬ、同行二人・野口三千三であった、と感慨しきり。
お蔭さまで、先生の妹さんにもお目にかかり、お宮参りもできました。
日没前に帰宅するために、早朝、東京を出発し、8時40分には群馬総社駅に到着。
先生のご実家の前を通りかかると、運良くご存命だった妹さんと出会う。
丁度、ディケアサービスのお迎え車に乗り込むところだった。
他の利用者さんはすでに後ろの座席にいらしたこともあって、お話はできなかった。
介護士さんらしき男性に、お名前を確かめて、ご本人だと確認できた。
それから大泉寺に寄って、上毛大橋から利根川を見て引き返す。
「大久保長宿」と呼ばれた佐渡奉行街道をさらに北へ。
お目当ての「三宮神社」と「駒寄小学校」をたずねようと歩き続けた。
しばらくして庭の鉢植えに水やりをしている女性に道を尋ねた。
教えられた道をさらに北上。
この旧街道は、頻繁に車が行き来しているが、人は誰も歩いていない。
後ろから一台の乗用車が近づいて
「乗りませんか」
先ほどの女性だった。
「主人に話したら、送って上げなさい、と言われまして。丁度、私も行くところがありましたから……」
せっかくなのでのせてもらって、あっという間に三宮神社へに到着。
お陰さまでお知り合いになってしまった。
神社の境内の写真を撮ったり、手を合わせて御祈りしたり、とゆっくり過ごす。
そして群馬総社に戻って、高崎へ向かうことにした。
ところが道を間違えて歩けば歩くほど、様子がおかしい。
道路脇のプレハブに「◯◯電設」とかかれたところへ一人の男性が入って行くを見かけて、声をかけた。
中には若い人から中年まで、男性が十名ほど椅子に腰をかけていた。
「地図をかいてあげよう」
若い人が紙に書きはじめた。
そのうちに40代くらいの男性が車で送ってくれるという。
「歩いたら大変よ」
年あけの初顔あわせも終わって、これから何もすることがない、というところに飛び込んだらしい。
総社よりも北の沼田方向に歩いていたことだった。
車中、吉岡町の様子を聞きながら、私は東京の三が日の話などをお聞かせすること15、6分。
総社駅でおろしてくれた。
この地域は歩いて5分のコンビニへも車で行くと後から知った。
東京からのこのこやってきたおばさんが、とぼとぼ歩くのは忍びないと、どなたも思ったのかしら?
それにして親切な町の方々に出会った。
その後は、野口先生が昭和11年頃から教員として働き、結婚し子供を育てた高崎駅周辺を回った。
江戸期には高崎城だったところが、明治期から陸軍歩兵十五連隊が置かれた。
現在は高崎市庁、文化・スポーツ施設、中央郵便局等々、主だった行政施設が整えられているところから、先生が住まっていたであろう場所をたずねた。
さて、野口絡みでなくても、おすすめスポットを見つけた。
それは高崎市庁舎の21階である。
360度の展望は素晴らしい。
上毛三山、浅間山、八ヶ岳、そこから関東平野が一望に見渡せる。
そこで合点がいったことがひとつ。
それは、一度、浅間山が噴火すると、落ちてくる火山灰で桑畑は全滅し、養蚕農家は困窮すると聞いていた話がよく理解できたことだった。
榛名山より遠い浅間山なのに、なぜその影響が出るのか不思議だった謎が、一気にとけた収穫は大きかった。
こんなに順調にいくのは、同行二人・弘法大師ならぬ、同行二人・野口三千三であった、と感慨しきり。
お蔭さまで、先生の妹さんにもお目にかかり、お宮参りもできました。