羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

バージョンアップの後遺症

2018年01月16日 18時44分59秒 | Weblog
 Mac OS High Sierra インストールのお知らせが、 デスクトップ上に現れたので、ついなにげなく作業を行ってしまった。
 以前ほどではなかったが、3時間近くかかっていたようだ。
 無事に終わって、印刷をしようと思ったら、またまた使用できなくなっていた。
 同じような現象だったので、手順を思い出しながら、自分で解決しようと試みた。

 しかし、なかなか成功しない。
 仕方なく、キャノンに電話をして相談した。
 やっているうちに、今回はさらにハードディスク・Macintosh HDのなかを修正する必要があるということになった。
 これがまた厄介で、なかなか思うようにいかなかった。
 結局、Appleサポートでも教えてもらうこともあって、キャノンと行ったり来たりして、ようやくプリンター使用可能になるまでに、数時間を要した。

 いやはや、コンピューターのことを何も知らないまま、言われたままに作業をしている。
 より深いところまで手をつけなければならず、以前にもまして大事になった。

 コンピューターに限らず、最近、行ったいくつかの問題解決は、人様の力をかりて、知識を得て、なんとか落としどころに到達しているようだ。
 サポートやコンサルタントしてもらうことは、私にとってなくてはならない。

 とにかく大海を航海してる船に乗ってしまって、途中で降りられない、そんな思いに駆られている。
 この数日間で、「タイムバンク」が事業として成り立つ意味がわかってきたような次第であります。

 
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書き言葉・話し言葉・・・・そして

2018年01月16日 07時21分31秒 | Weblog
 岩波書店の広辞苑が、改訂されて第七版となった。
 社会に定着した新しい言葉を大量に増やしても、辞書の厚みは変わらないという。
 紙の技術革新で、薄くても丈夫な製品ができるようになった。それを採用することで、厚みが抑えられた、という話をニュースで聞いた。

 本日の新聞では、「LGBT」の説明に間違いがあった、とか「スメハラ(スメルハラスメント)」は載っていないなど、連日のこと広辞苑第7版が話題になっている。
 しばらく前には、発売記念として「広辞苑大学」も開設される、といったこともニュースになっている。
 養老孟司先生もお名前を連ねていらっしゃったので参加したいと思ったものの、申込条件は、第七版を持っていることだった。
 以前なら、正確にいうと、野口三千三先生がご存命なら、事前予約で手に入れていたこと間違いない。
 そして、いの一番に参加申込すると思う。
 ところが心が全く動かない状態だ。

 今やPCで文章を書くときに、辞書機能とGoogle検索を、同じデスクトップで利用している。メガネを外したり、老眼鏡に掛け替えたりすることもなく読めるのでとても便利だ。
 というわけで広辞苑を引くことは、よっぽどの言葉の場合に限られてきた。
 例えば、読めない漢字熟語を調べるときなどでも、あたりをつけた音で一文字づつ見付け出し、PCの国語辞典で調べる。
 それがそれほど手間いらずで、できてしまうのだ。
 これが広辞苑だと、漢和辞典で調べてから、戻って言葉の意味にたどり着く。といった面倒な手順を踏むことになる。
 以前なら、少しも面倒ではなかったが、環境が大きく変ってしまった。
 というわけで、しばらく広辞苑第七版を手元におく強い気持ちが起こってこないのが正直なところである。

 さて、言葉に関連して、ごく最近に失敗したことがある。
 というか若い女性の気持ちに添えなかったことがあった。
 先日、母の施設に近所の美容理容専門学校から、年配の男性教師が男女一組の若い学生を連れて、ハンドマッサージとネイルにきてくれた。
 ちょうど私が母を訪ねたタイミングで順番が回ってきた。
 一階の多目的空間に行くと、男性の先生がマッサージを、女性の学生さんがネイルを施していた。
 見ると、おしゃれなおばあさんが長ーく伸ばしている爪に、目にも鮮やかな真紅のネイルが塗られて、完成間近だった。
「食事の時、不便だろうし、介護士さんに介護される場面で爪がひっかかたら痛そうだー」
 などと老婆心が先に立つ私だったが、席を立つ時のおばあさんの嬉しそうな若返った表情を見て、声を聞いて「これでよいのだ!」と、瞬間的に偏狭な考えを改めた。
「でもー」という気持ちいは、拭えなかった。微妙だ!

 そうこうするうちに、母が呼ばれた。
 若い女性が担当してくれる。
「ネイルしますか?」
「いいえ、やりません」
 本人がきっぱり断っていた。
「学校に行くのに、マニキュアはいけません」
 一斉に笑いが起こった。トンチンカンではあったが、みんなにはギャグに聞こえた。
 そこでハンドマッサージだけを受けることになった。
 若い女性は、ハンドマッサージに自信がなく、ネイルをしたかったようだ、と表情から読み取れた。
 それでも、母の手のマッサージをはじめていた。

 そこで、ちょっと手が空いた男性教師の方に話しかけた。
「古い学校ですよね」
「そうです。もう65年以上もたちますから」
 先生と私の二人の会話はそれで通じていた。

「東京では、山野愛子美容学校が、戦前から有名ですが、その次くらいに古い学校ですよね」
 私の中でも、先生の中でも、この言葉が隠れたまま会話が成立していた。
 したがって、東京でも長い歴史を持ち、信用ある専門学校の皆さんがきてくださっている、という意味だった。
 
 ところが若い女性には、その言葉は全く伝わらなかったようだ。
 一言「歴史ある」と言えばよかったのだろう。
 省略してしまったことで、若い女性は尊厳を傷つけられたらしい。

 彼女の不機嫌さを思ったが、時すでにおそし!
「古い」という言葉は、彼女にとって「遅れている学校」と同義語だったに違いない。
「歴史と伝統に裏打ちされた学校では、最新の技術と革新的な美意識で、美容理容界を牽引している。そうした自負のもとで学んでいらっしゃるのね」
 そう思った上での言葉だったのだが、言わなければ通じない、と反省した。 
 しかし、私の顔の表情や声の調子を聞けば、わかってもらえる、と思うのがいけなかった。
 演技力を発揮して、表現すればよかった。それとも年齢差を考慮して、外国人に話をするように、丁寧に話をすればよかった。
 そこまで気をまわす余裕がなかった。
 そこまで考えると、話すことは躊躇われる。

 思い出すのは、亡くなった友人の口癖が「早い話が」であった。その言葉が彼女の口から出ると、身構えたものだった。
 早い話どころか、とても長くくどい言い回しなのである。
 気づいていたのか、いなかったのかはわからないが、友人は恐れず自分のペースを崩さずに話す人だった。
 それに引き換え、会話になるとリズムに乗って言葉を省略する癖が出る、と二度目の反省しきりの私である。

 さて、ここまでの話を、強引にまとめたい。
 広辞苑がこれほどテレビニュースや新聞でとりあげられ、そのことに対して私自身が非常に気にかかる理由は、「書き言葉にしても話し言葉にしても、しっかり気配りしていなければいけないよ!あなたはこの頃、両方とも疎かにしてるでしょ」
 野口先生のお叱りを聞いている、その代わりだ、ということに気づいたのである。
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