足元の暮らしと老後暮らしにとって、至極大切なこととして「通貨」、電子マネーについて、私の中で関心が高まっていた。
今朝、野口三千三の声が聞こえた。
「僕はね、物々交換が基本だと思ってる。数字のやりとりは、御免こうむりたい」
最後まで、謝礼の受け取りとしては銀行振り込みではなく、現金で受け取っていらした。
で、晩年、わずかながら貨幣を集つめていらした。
その興味は、装身具から始まった。
子安貝を使ったものは、つまり中国殷代の貨幣だったことに由来する。海のないところで貝は希少価値があった。
したがって漢字の世界では、「貝」がつく文字は、かなりの数にのぼる。
甲骨文字の「貝」は、割れ目のある子安貝の象形文字。貝を交易の貨幣に用いた。
貞、負、貢、財、貨、貫、責、貪、貧、貶、賽、賀、貴、賜、買、費、貿、資、賊、賃、賄、賂、賄、賑、賛、質、賞、賤、賭、賢、贄、贄、贈、贋、贐、
贔、屓、贖、・・・・・・・・。
なぜ、子安貝だったのか?
貨幣の条件は、この希少価値があることだが、無尽蔵では困るが、ある程度の量が必要である。
形や重さが揃っていること。持ち運びが楽であること。そしてもう一つの条件は、美しいという美的な価値を有していること。
ボリビアの貝の貨幣は、非常に重く大きものがあるがそれは権力を示すものだ。
そして、鉱物を貨幣にするには、技術が必要である。
技術文明の世界に委ねられる。
例えば、均等に切断できる技術、研磨技術、穴を開ける技術、等々。
貨幣の歴史は、文化人類学のテーマである「交換・贈与」に関わっている。
新しい技術が登場するたびに『貨幣は姿を変えて、時代を牽引するものである』
では、今、問題になっている「仮想通貨」「ビットコイン」「電子マネー」は、どのように捉えたらよいのか。
泉下の野口の声が聞こえる。
「そこまでいったら、人類は危ないぞ!でも、文明を見直す大きなキッカケになるだろう。これでよいのか?モノといしての身体感覚を失っていく暮らしでよいのか。どこかでバランスをとる方策はいらないのかね!」
その声を受けて、考える資料を手元において、読み返している。
2018年1月18日(木)朝日新聞「デジタルの行方」、岩井克人(経済学者)の記事。
《ビットコイン的な技術は両刃の剣です。少し設計を変えれば作家ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたように、『中央』が全ての取引を把握できる超管理社会の道具としても使えるようになる。ところが市場経済、そして民主主義的な社会がうまく機能するには、個人の自由が確保されなければならない》
大事なことは、公的な管理と個人の自由とのバランスであると、いう。
自由放任のビットコインがダメだからといって、『中央』によるデジタル通貨だ、そのように極端に触れる必要はないという。
もともとビットコインの論文は、サトシ・ナカモトによる。
《背景にある思想は、昔からコンピューターの世界の底流にある、リバタリアン的な自由主義であろう。技術によって、権力からあらゆる規制を乗り越え、真に自由な世界を実現しようという理想主義的な考えだ方だ。情報技術を先導してきたキーパーソンの多くは、程度の差こそあれ、この種の理念を共有してきたように思う》
そう語るのは、神里達博(科学史・科学技術社会論)である。
本日の、朝日カルチャーには、持てるだけ持って行こう、と思っている。
とにかく、コレクションは重い、のであります。
今朝、野口三千三の声が聞こえた。
「僕はね、物々交換が基本だと思ってる。数字のやりとりは、御免こうむりたい」
最後まで、謝礼の受け取りとしては銀行振り込みではなく、現金で受け取っていらした。
で、晩年、わずかながら貨幣を集つめていらした。
その興味は、装身具から始まった。
子安貝を使ったものは、つまり中国殷代の貨幣だったことに由来する。海のないところで貝は希少価値があった。
したがって漢字の世界では、「貝」がつく文字は、かなりの数にのぼる。
甲骨文字の「貝」は、割れ目のある子安貝の象形文字。貝を交易の貨幣に用いた。
貞、負、貢、財、貨、貫、責、貪、貧、貶、賽、賀、貴、賜、買、費、貿、資、賊、賃、賄、賂、賄、賑、賛、質、賞、賤、賭、賢、贄、贄、贈、贋、贐、
贔、屓、贖、・・・・・・・・。
なぜ、子安貝だったのか?
貨幣の条件は、この希少価値があることだが、無尽蔵では困るが、ある程度の量が必要である。
形や重さが揃っていること。持ち運びが楽であること。そしてもう一つの条件は、美しいという美的な価値を有していること。
ボリビアの貝の貨幣は、非常に重く大きものがあるがそれは権力を示すものだ。
そして、鉱物を貨幣にするには、技術が必要である。
技術文明の世界に委ねられる。
例えば、均等に切断できる技術、研磨技術、穴を開ける技術、等々。
貨幣の歴史は、文化人類学のテーマである「交換・贈与」に関わっている。
新しい技術が登場するたびに『貨幣は姿を変えて、時代を牽引するものである』
では、今、問題になっている「仮想通貨」「ビットコイン」「電子マネー」は、どのように捉えたらよいのか。
泉下の野口の声が聞こえる。
「そこまでいったら、人類は危ないぞ!でも、文明を見直す大きなキッカケになるだろう。これでよいのか?モノといしての身体感覚を失っていく暮らしでよいのか。どこかでバランスをとる方策はいらないのかね!」
その声を受けて、考える資料を手元において、読み返している。
2018年1月18日(木)朝日新聞「デジタルの行方」、岩井克人(経済学者)の記事。
《ビットコイン的な技術は両刃の剣です。少し設計を変えれば作家ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたように、『中央』が全ての取引を把握できる超管理社会の道具としても使えるようになる。ところが市場経済、そして民主主義的な社会がうまく機能するには、個人の自由が確保されなければならない》
大事なことは、公的な管理と個人の自由とのバランスであると、いう。
自由放任のビットコインがダメだからといって、『中央』によるデジタル通貨だ、そのように極端に触れる必要はないという。
もともとビットコインの論文は、サトシ・ナカモトによる。
《背景にある思想は、昔からコンピューターの世界の底流にある、リバタリアン的な自由主義であろう。技術によって、権力からあらゆる規制を乗り越え、真に自由な世界を実現しようという理想主義的な考えだ方だ。情報技術を先導してきたキーパーソンの多くは、程度の差こそあれ、この種の理念を共有してきたように思う》
そう語るのは、神里達博(科学史・科学技術社会論)である。
本日の、朝日カルチャーには、持てるだけ持って行こう、と思っている。
とにかく、コレクションは重い、のであります。