羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

《天下布舞》麿赤兒

2014年02月05日 12時13分24秒 | Weblog
 昨年の秋ごろから、場所をかえて置かれていた一冊の本がある。
 あるときは座敷の机の上、あるときはパソコンの脇、あるときは積み上げられた資料や本のいちばん上、というように放浪状態にあった。
 表紙の顔が怖い。おどろおどろしいのは顔だけではない。下にある左手をかざすような右手、双方ともに死を呼び寄せるような気配に満ちている。
 読みたくない。でも、読まねばならぬ、と義務感に苛まれて、数ヶ月が過ぎた。

 しかたがない。読むか!
 意を決して本を手にとった。

 外は静かだった。
 ぐずる心をあやしながら、それでもすぐにとはいかず、障子をあけてガラス越しに外の様子を確かめた。
「ぼた雪?」
 雨がいつしか雪に変わって、町を白塗りにしてゆく。
「ここも白塗りだ。やっぱ、読まねば」
 そのまま視線を手元に落として、表紙をひらく。
 今度は、ウエディングドレスまがいの衣装で、をどる姿の全身写真が目に飛び込んでくる。
「あぁ~、アァ~、何んてこった」
 写真の横に『怪男児 麿赤兒がゆく 憂き世 戯れて候ふ』 麿赤兒 朝日新聞出版 とある。
 溜息まじりに次のページをめくる。
「はじめに」を読みはじめたのは、昨日の昼すぎのこと。

 それからがいけない。
 虜になった。
 一気に読み終えた。
 とにかく面白い。文章が生き生きとして、笑い転げて、涙がこぼれた。
「何処までがホントの話なの」
 ホントでしょ! 細部には多少の(かなりの)脚色があっても、おおむねホントの話だろう。
 ここまで面白く書かれると虚実皮膜状態で、狐につままれそう。
 まッ、いいか。役者の筆だ。アナキーな町、新宿に育てられ、中央線文化にも関わった舞踏家の書だから。
 何を隠そう、新宿生まれの新宿育ち、明治から三代目の私には、描かれている1970年代が肉感的に迫ってくるエッセイだった。
 
「こんな感じ、どこかで記憶がある。……デジャビュ感覚だわ」
 これまでに読んだ本を、脳の本棚に辿るまでもなく、とっさに出た。
「宮本輝だッ」 
 悲鳴を上げる私。
「輝さん、ごめん。あなた様の本を超えて面白いのでありますョ」
 
 その時、なぜか、帯を読み返した。
 読み終わるまで目に入らなかった文字が、ボーンと広がった。
《はじめての痛快自伝エッセイ》
『痛快』の二文字が、文字列の中から大きく顔を出した。
 なぜ、数ヶ月も表紙の顔が怖かったんだろう。
 今度は、笑っている。
 今度は、泣いている。

《天下布武》ならぬ《天下布舞》の面白さ、痛快さだ。
 舞踏界の信長殿、3月29日に、朝日カルチャーでお会いするのが、楽しみになりました。
 本の内容は、ここにあえて記すまい、と思ふ。
 まだ、お読みでない方は、ぜひに一読をおすすめいたし候ふ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする