羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

耳が指向性マイクになるとき

2014年02月14日 10時01分32秒 | Weblog
 前回のブログは「二重苦」の話を書いた。それからほぼ一週間、二つともすっきりした解決には至っていない。しかし、不思議なことが起こった。それは、ある事実に気づいた時、そして気づいたことを言葉にしてみた後に、二重苦が気にかからなくなった。
 具体的に言うと、知らないうちに受けていたストレスの原因と、騒音や振動を不快に思うことの相関関係に気づいたからに他ならない結果だ。
 身体的には、耳が指向性マイクになって、騒音と振動の低周波を拾ってしまっていた。
 指向性マイクがオンになると、そこが道路上でも、行った先の建物内でも、立ったところで足が耳になっている。いやはや、都会からモーター回転音を消すことは出来ない。それどころか、それらが混じりあってうなり現象を起こしているのだ。
 こうした経験は、2003年に突発性難聴を患った時と同様だ。その時ほどではないにしても、全てのモーター音が、私の耳の指向性マイクによって集音しているようだ。
 それならばオンをオフにするために、静寂そのものの鄙びた山里に行ってみたら、とも考えた。今の状況では出来ない相談だ。そう思うこともストレスになる。そこでこんな風に思うことにした。もし、かりに出かけていったとしても、今のオン状態では、静けさのなかから“シーン”という音を拾って、今度は自分の中の耳鳴りに不快な思いをするに違いない。

 時系列は後先なるが、今週の水曜日に、騒音問題と母の問題を相談することにした。その時には、まだ耳の指向性マイクには気づいていなかった。実は、相談することによって、気づかされたのである。
 つまり、双方の関係は密接だった。
 
 まず、騒音問題から。
 その日の午前中に、この家を建てた工務店の社長さんが、我が家に駆けつけてくれた。
 昼間でも騒音と振動が伝わる場所、といっても二階の部屋の全てなのだけれど、くまなく横になりながら確かめてくれた。
「聞こえませんねー、振動は感じませんねー」
 怪訝な面持ちで、家の外まわりもしらべてくれた。
 ところがである。私のからだは、全ての場所で振動を感じている。
「おかしいですね。それでは、マンションの管理会社に連絡をしてご覧なさい」
 そういって帰っていった。
 さっそく管理会社に電話を入れた。先方は住人についてよく知っているらしく、いくつかの理由を挙げて、手を打ってくれるという。つまりソツなく対応してくれたわけだ。もしかするとこのマンションの騒音だけではないかもしれない、と思わなくもない。
 そんなわけで一件落着とはいかないが、午後からは次の問題にさっそく取りかかった。

 妻が若年性認知症になって介護の再中にある従兄に電話を入れた。運良くディケア・サービスに行っている時に電話がつながった。話しているうちに「認知症患者をもつ家族の会」の世話役を引き受けていることがわかった。それも三つほどの団体に関わっている、という。
 さすがに話はよく通じる。小一時間ほどの会話で、私自身が危惧している問題をはじめ、いくつかの他の問題を冷静に考えられる方向に誘導してくれた、と電話をきってしばらくしてから気づいた。
「もう、いい娘になるのはやめよう!」
 一つの結論である。
 いい娘をほぼ二ヶ月の間、続けてきた。手代わりがないから、誰かに頼むことなど、はなから考えないことにしていた、らしい。

 気づいたことの一、
 朝、起床の時の母との関係が重荷になりはじめていた。
 母は、夢が完全に覚めやらぬうちにトイレにいく。その上、この寒さである。相当に腰が痛いたらしい。
 当然、おかしな言動につきあうことになる。
 しかし、そのままでは一日が始まらない。そこで正常値に戻すべく、トイレから戻ってくる彼女の動きを見ながら、着替えに誘導し、さらに口腔ケアと洗顔、座薬の投入、そしてソファに座らせるまでに30分~40分をかけて落ち着かせる。
 夜は、だいたい8時に赤ちゃん用の沐浴剤(スキナベーブ)でからだを拭き、最後には足をおなじ沐浴剤入りの湯につけて洗いながら暖める。下着を取り替えパジャマに着替え、座薬を入れる。そしてしばらく話をして就寝までの時間を全体として1時間ほどつきあっていた。
 それを一日も欠かさず行っていた。
 いつまで続くのだろう、という嫌気。

 気づいたことの二、
 その我慢が、騒音問題に絡んでいたのにちがいない。
 毎晩ではないが、三日に一度くらいの割合で、夜8時過ぎになると、階段の一部に騒音とともに振動が伝わってくる。それが残っていて就寝時に床に寝ているからだ全体へ、振動として伝わり、睡眠を妨げていること。
 洗濯機を使用すると振動はもっと激しい。
「都会暮らしだから、夜の洗濯をやめて欲しいとは言えないよぁ~。11時くらいはしょうがないのかなぁ~。私の寝る時間が都会の常識からすればはずれていてはやすぎるのかもしれない」
 殊勝な思いに自分を閉じ込めた。
 そこで突発性難聴を患ったときのように、耳栓を両耳にあてがって就寝することにした。
 ところが
「あぁ~、厭だ」
 朝の母と、夜の騒音振動にいささか心身が刺々しくなってきた。
(心身の棘の在処は、そればかりではなさそうだ。たとえば、東京都知事選挙はなんだか面白くなかったし、NHKはひどい状態だし、時の総理には何かが憑いているんじゃないか。とか、今の日本が大政翼賛会の方向に走り出してはしないか。とか、窮屈な日本になってしまったら。とか、田母神氏へ20代と40代が投票している背景はなにか?とか。さらに冬期オリンピックは緯度の高い西欧近代の価値観で出来上がっていて、黒人選手がいない。そして日本人はなかなかメダルに手がとどかない、とかが遠因であろうか……)

 さておき、
「まてよ!この振動不快感は突発性難聴の時とよく似ている。あの時は、耳の状態が良くなるに従って、指向性集音マイクがオフになってくれた。決して街や建物内に響くモーター音がなくなったわけではないのに」
 かつての経験を思い出した。

 いい娘はやめよう。
 母に、思いの丈を話すことにした。
 介護付き老人ホームに入ってもらって、中途半端な自立を求められたら、近所であるばっかりに頻繁に通うことになる。二世帯の住宅を持つことと同じじゃないか。お母さんのわがままは、許してもらえないよ。
 ただしこのままでは自分のからだがもたなくなる。考えれば考えるほどに八方ふさがりだ、と正直に母に伝えた。
 そうしたからといってすぐにどうにかなるわけではない、とは思うが、言うだけ言わせてもらった。
 だからといって、その晩も、母の世話をやめることはしなかった。
 不思議なのだけれど、話を理解してくれただけでなく、回復の方向に向かった。母の動きがよくなっていた。少しずつだが変化が起きたのだ。
 
 その後、私自身も、ゆったり風呂に入り、体操をし、特にこのごろテーマにしていた「舞踏」、人は何故踊るのか!?そしていちばんの懸案事項「野口体操の今後について」等々についても一切合切ひっくるめて忘れることにした。
「なるようにしかならない。先のことをくよくよするのはやめよう!」
 そこで遅くなっていた就寝時間もいつもの通りに戻した。するとどうだろう。翌朝までぐっすり眠ることができたのである。
 かくしてたった二日だが、指向性集音マイクがオフになっている。

 言えることは、気づくことで全てがきれいに解決するわけではない。解決はしないが、今のところの問題は、自分で行動する中で気づくことができれば、少しは楽になれる程度の状況だった、と言えるのかもしれない。
 まッ、全ては時間の問題だし、何がおこるかわからない。その時に考えればよしとしよう、が今日のところであります。
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