羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

雑談力……30秒の閾値

2013年06月06日 07時12分20秒 | Weblog
 昨日、夕方のNHKニュースで「雑談力」についてのリポートがあった。
 齋藤孝明治大学文学部教授のインタビュー、学生たちがひとり30秒を基準につぎつぎと相手をかえて雑談する授業がまず紹介された。やすやすとクリアできる学生もいれば、最初のひとことで詰まってしまう学生もいる。同じサークルや趣味を持つ相手とならばスムースにできる雑談だが、難しいのははじめて会った年齢や職業、そして価値観が異なる人との雑談だ。
 もともとメールやSNS等々でのやり取りが出来ても、雑談は苦手だという若者が多いことに気づいたのが「雑談力」を書くきっかけだったとおっしゃる。
 企業でも雑談力を重視する傾向が顕著になった、と実例を報告していた。

 さて、日常をふりかえってみると、30秒という時間は実に微妙なバランス感覚をたもてる閾値であるとおもえる。
 ご近所付き合いでは、まず挨拶し、一言二言かわず言葉は、30秒もかからない。ちょっと長くなってもとりあえず30秒というところだとうか。
 それ以上話していると、周りの誰かに気づかれる確率が高くなる。
「奥さんたち何を話しているの?もしかして、私の悪口かも……」
 よからぬ話をしているのでないか、と誤解を招くこともある。

 実は、おもうところあって始めた町内の「防犯パトロール」での会話も、30秒もかわすとかなり長い部類に入る。
 夕方4時から、週に二日、私は一日だけ、20数名のメンバーが二班に分かれてて巡回する。大半の人ははやくて15分前、ぎりぎり5分前には集会所に集まる。待っている間に思い思いに言葉を交わす。はじめのうちこそ軽い会話に、もの足らなさを感じていた。次第にその間合いをつかむと、この短さが“悪口・非難・愚痴”に入り込まない、一歩手前の時間帯であることに気づいた。
 なんといってもご近所付き合いで大切なことは「波風を立てないこと」が第一原則。
 説教ばあさんが顔を出す前に、その人との雑談は終了し、他の人との違う雑談に移って行くことが“微妙な呼吸感”なのだ。

 しかし、困った問題がある。
 我が家の場合だ。
 隣家の庭木の枝が葉が伸びて、塀を越えてこちら側に入ってきている。そこで頃合いを見計らっておねがいに行く。お母さんが亡くなった後、60代半ばに達している独身の息子さんの一人暮らしだ。
「ごめんください。隣の羽鳥です。おねがいに来ました」
 億劫そうな気配を漂わせて奥から出て来る。
 見ると、顔には“渋々”と書いてある。
 こちらは口角を柔らかくあげてにっこりとし
「あの~、お宅の木がうちの蔵の二階のトヨの上まで伸びているので、切っていただけないでしょうか」
 おそるおそる切り出す。
(トヨに葉が落ちると詰まって大変なんです)とはその時は言わない。
「はいはい、ちょっと体調が悪くて、すぐには出来ませんが、そのうちやります」
(そのうちって、何時なのよ)という言葉は呑み込む。
「よろしくお願いしまーす」
 ふたたびにこやかに笑いかける。
 見ると顔色はそれほど悪そうではない。しかし、こればかりは外からでは判らない。
 このおねがいは30秒以内である。
 波風は立たない。

 内心思うこと。
(体調が悪いとはどこがどんな風に悪いの?年なんだから、植木屋さんか区の高齢者事業の人にでも頼んでやってくれればいいのに)
 これが言えない。言ってしまえば、おそらく喧嘩に発展しそうだし、他家の財政問題に触れそうだ。
 その日は、そこで退散した。
 
 数日後、ゴミを捨てにいったとき、塀にのぼって枝落としをしているところに遭遇した。
「こんにちは、アッ、気をつけてください」
 本当は、(うちが作った塀には、のぼらないで!)と言いたかった。
「はい、大丈夫ですよ」
「柚の木はとげが痛いですね」
「そうね。最近になって実がなったので、この木が柚だってわかったの」
 視線をずらすまでもない。いちばん迷惑な木は、まだ手つかずのままだ。
「二本切ると凄い量でね。それが片付いたら、こっちの木ね」
「よろしくお願いしまーす」
 内心(だからちゃんと本職の人を頼んで、廃棄物料金をはらって持って行ってもらえば、片付く話なの。自分で管理出来なかったら、根本から切ってしまってほしいわ~。以前、トヨが詰まって水が溢れたことがあって大事だったのよ。ヒサシにつかわれている古いガラスに、お宅の木の枝が強い風でぶつかって割れたことだってあるの。そのときのガラス代金は6万円もかかったんだから。因みに大正15年に建てられたものなので、ヒサシには長さ40センチ幅90センチの厚手のガラスが使われている。今では簡単に手に入らないかもしれない)

 とにかくご近所付き合いの難しさだ。
 少し踏み込むと危ない境界がある。地雷を踏むことになる。相手が防御態勢をとっていて30秒以上の会話を望まず、拒否していることが伝わって来る。
 それはパトロールの集合でも同様だ。この場合の30秒以内は、グループを維持する智慧ではあるけれど。
 それ以上を超えると、周りを見回すと関係が上手くいっていない家同士がなくもない。
 難しいのは、そこからどやって30秒の壁を取っ払って、核心にふれた話に持って行くのか、だ。

 植木の枝に関しては、道であった時に何気なくお願いする!ことくらいしか今のところ打つ手はない。
 いづれにしても30秒で誰とでも話が出来るようになるということは、それなりの根拠がありそうだ。
 そこを「技(わざ)」にしてしまうから、斎藤本が売れる。今日にでもまず本を買ってみよう、とおもっている。お次の問題を考えるために。
 これからさきは、各自の智慧と話し言葉の説得力かな?
 60歳の男性に嫁さんを紹介することもできないしなぁー。
 
 様子をみながら、また、頼みに行くしかない。
 30秒の閾値を超えないおねがいは3回まで。
 つまり、90秒の挑戦か? ふーッ。
コメント
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