羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

門松、そして……

2011年12月28日 13時11分20秒 | Weblog
 つい今しがた正月飾りと門松立てを終えた。
 今日までの数日間、正月のマンネリ感を打破したいと何か違った飾り付けをしたい、と考えてた。
 しかし、なかなか思いつかなくて、母に相談をした。
「いつもと同じでいいんじゃない。だって、門松はかわらないでしょ」
 なるほど。
 門松が金銀に塗られたり、毎年変化したお飾りをつけるわけではない。
 これぞ伝統、というわけだ。

 納得した私は、殆ど例年と変わらないセッティング。
 まず、玄関正面の壁に凧をあげた。
 床には一間ほどの長さがある舟板を細い丸太を三本にまとめて台にしたものの上におく。その上に独楽を並べる。ただし今回は昨日ゲットした福島新作独楽を中心に飾った。
 それから蔵に入って干支の張り子を探した。野口先生から届けられたものは十二支が揃っているわけではない。張り子の虎と龍が複数ある。そうしたいい加減さは、先生の生まれ年「寅年」とお好きだった龍の「辰年」という理由からだ。
 全体のバランスを整えて、一通り飾り終わるのに二時間強というところだった。

 それから早めの昼食をとって、門松を立てた。
 この家に住んで六回目のお正月を迎える。松を麻紐で結び、輪飾りを取り付ける手順も手慣れてきたものだ。
 朝日カルチャーのレッスンが早めに終わっていた事もあって、例年より一日早く買い物ができた。おかげで松ぼっくりがついた立派な門松が手に入った。
 輪飾りを松の枝に通す時には、一枝を新聞紙でくるんで養生する。すると痛い思いをせずに首尾よく終わらせる事も覚えた。つまり、松葉は天に向かって尖っている。輪飾りを付けるには、松葉の向きに対して逆進させる必要があるからだ。それもこれも伝統をつなげるうちに自然と身につく習慣なのかもしれない。そうしたことを何気なく教えるのが年寄りの役目だ。

「今年ほど変わらないことが大事だって思えたことはないわね。いつもと同じにできるって、幸せなのよ」
 八十七歳に近づいた母の言葉に、素直にうなづいてしまった。
 最近はかなり記憶が飛んで、同じ事を何度も繰り返し聞き返して来る。ほかにも老いが齎すあれこれの頻度が高くなってきた。しかし「門松は変わらないから、飾り付けも無理に変えなくてもいい」という発想がでるのだから、まぁ、よいではないか。
 それでも何かが少しずつ変化する。ということで多少は変えた飾りだった。

 さて、今夜は9時から10時まで夜回りに参加する。なんでもお汁粉が振る舞われるとか。町内の皆さんと冬の夜空を見上げるのも一興だ。震災と津波と原発事故と台風被害をテレビで目にして、意識が変わった。地域社会に少しでも馴染んでおきたい。一人でも顔を知っておきたいし知ってもらいたい、と思うようになったのは、私だけではないさそうだ。参加者が増えているそうだ。
 繰り返すが、いつもと同じような設えで、いつもと同じようなおせち料理で、いつもとような同じ正月用食器で、いつも変わらない人と、元日が迎えられる幸せを大切にしよう。そのなかに少しの変化が起こるのが自然なのだ。
 
 まだ夕方までには時間があるから、もう少し部屋の片付けをしょッ!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする