映画やテレビに3D映像を取り入れた。
その後、立体映像の人気はどうなっているのだろう。
さて、野口体操では二十年くらい前から、3Dに関心をもってきた。
生前、野口先生はたくさんのものを集められた。
多数の本、下敷き、郵送できる団扇(〒番号は5ケタの頃)、ポスター等々である。
2004年には5枚組Post Cardsを野口体操の会で作ってきた。アクアマリン+雲母、黄鉄鉱化したアンモナイト、虫入りバルティック琥珀、紫外線照射による蛍光現象の方解石と岩塩といった鉱物化石の3D写真だ。
これらは特別な眼鏡をかけてみるのではなく、二次元の映像を裸眼で三次元に見る。
まだ日本の家の天井が、杉板で作られていた時代を知っている方は思い出してほしい。
まだ日本の寝具の掛け布団が小紋柄であった時代を知っている方は思い出してほしい。
高熱に浮かされているときなど、視覚の焦点が定まらず、ぼーっとしているうちに、杉の木目や布団の柄が浮き出てみえる現象を体験されてはいないだろうか。
あるいは細かい柄の壁紙でも、そうした見え方が起こることがある。
人間の目は、赤子のころから「何かを見よう」という欲求に満ちている。したがって覚醒しているときに、ものをはっきり見ることが当たり前になっている。
そこで裸眼立体視を楽しむには、或る種の訓練が必要となる。おそらく多くの人に練習の甲斐あって見えてくる世界なのだ。時にいとも簡単に見ることができる人もいることはいる。ものの本によると、平面のプリントを自分の力で立体に見るためには、目の前のものとは違う次元を獲得するということは、からだの外と内の位相差に、頭それ自身の冷静さに酔う、という。しかし、陶酔とは似ていても、まるで違う。「陶静」という言葉で表現したい、と続ける。「肩の力を抜け!」。目はピントを合わせる本能が備わっている。ピントを外す、つまり自分の本能を欺すこと。それが難しい。
目をぼんやりさせて、その上で、ピントを合わせることに集中する。力を抜きつつ力をいれることが裸眼立体視のコツなのである。なにやら野口体操の真髄のお話のようだ。だから夢中になって楽しさを追ったのだと思う。
話は飛ぶが、NHKが三年がかりで制作している「坂の上の雲」を、今年も見ている。正岡子規が亡くなってから以降は、戦争の話だけになっていささか気が重く、正直なところ見たくないのに見てしまっている。
それではじめて気づいた写真があった。
1904年から06年にかけて撮影された「日露戦争立体写真」である。
この立体写真の歴史は古くて、カメラの発明とほぼ同時期にまで遡れるそうだ。東京写美術館所蔵の100枚セットの内3枚が本に掲載されているのを発見。
一枚目は、部隊長かとおぼしき兵隊が坂の途中で双眼鏡を覗いて敵の動向を見定めている。その後方にはずっと続く坂の上に向かって棍棒と銃を持った兵隊がびっしり道を埋め尽くした連隊が控えている。人間ではなく命を弾として捧げた同胞たちの姿が撮影されている。
二枚目は、連合艦隊の一隻だろうか。甲板に大勢の水兵が直立し、行方を見守っている写真。
三枚目は、どこかの官邸の庭だろうか。白いテーブルクロスの上にワインかシャンパンかわからないが、酒瓶が十数本並び、その周りにはグラスと皿に何種類ものごちそうが乗っている。テーブルを囲むのは将校に違いない。一人は野木大将がかぶるようなひときわ立派な帽子、勲章を胸につけている人もいて、見える範囲だけでも八名がこちらをむいて立っている。
この写真は、裸眼立体視すると非常に鮮明に見えてくる。こういった写真を元に、NHKの映像が作られている事が改めてわかった。19年前の本だが当時は見過ごしていたことに驚かされた。
気づくことも脳の働きだが、先日来書いてきた人間の脳の騙され易さには、細心の注意が必要かもしれない。などと思いつつ、この本を改めて見ている。
『C.G(コンピューターグラフィック)ステレオグラム』1992年12月10日初版 小学館 編集 根本恒夫他 62㌻に写真はあります。
その後、立体映像の人気はどうなっているのだろう。
さて、野口体操では二十年くらい前から、3Dに関心をもってきた。
生前、野口先生はたくさんのものを集められた。
多数の本、下敷き、郵送できる団扇(〒番号は5ケタの頃)、ポスター等々である。
2004年には5枚組Post Cardsを野口体操の会で作ってきた。アクアマリン+雲母、黄鉄鉱化したアンモナイト、虫入りバルティック琥珀、紫外線照射による蛍光現象の方解石と岩塩といった鉱物化石の3D写真だ。
これらは特別な眼鏡をかけてみるのではなく、二次元の映像を裸眼で三次元に見る。
まだ日本の家の天井が、杉板で作られていた時代を知っている方は思い出してほしい。
まだ日本の寝具の掛け布団が小紋柄であった時代を知っている方は思い出してほしい。
高熱に浮かされているときなど、視覚の焦点が定まらず、ぼーっとしているうちに、杉の木目や布団の柄が浮き出てみえる現象を体験されてはいないだろうか。
あるいは細かい柄の壁紙でも、そうした見え方が起こることがある。
人間の目は、赤子のころから「何かを見よう」という欲求に満ちている。したがって覚醒しているときに、ものをはっきり見ることが当たり前になっている。
そこで裸眼立体視を楽しむには、或る種の訓練が必要となる。おそらく多くの人に練習の甲斐あって見えてくる世界なのだ。時にいとも簡単に見ることができる人もいることはいる。ものの本によると、平面のプリントを自分の力で立体に見るためには、目の前のものとは違う次元を獲得するということは、からだの外と内の位相差に、頭それ自身の冷静さに酔う、という。しかし、陶酔とは似ていても、まるで違う。「陶静」という言葉で表現したい、と続ける。「肩の力を抜け!」。目はピントを合わせる本能が備わっている。ピントを外す、つまり自分の本能を欺すこと。それが難しい。
目をぼんやりさせて、その上で、ピントを合わせることに集中する。力を抜きつつ力をいれることが裸眼立体視のコツなのである。なにやら野口体操の真髄のお話のようだ。だから夢中になって楽しさを追ったのだと思う。
話は飛ぶが、NHKが三年がかりで制作している「坂の上の雲」を、今年も見ている。正岡子規が亡くなってから以降は、戦争の話だけになっていささか気が重く、正直なところ見たくないのに見てしまっている。
それではじめて気づいた写真があった。
1904年から06年にかけて撮影された「日露戦争立体写真」である。
この立体写真の歴史は古くて、カメラの発明とほぼ同時期にまで遡れるそうだ。東京写美術館所蔵の100枚セットの内3枚が本に掲載されているのを発見。
一枚目は、部隊長かとおぼしき兵隊が坂の途中で双眼鏡を覗いて敵の動向を見定めている。その後方にはずっと続く坂の上に向かって棍棒と銃を持った兵隊がびっしり道を埋め尽くした連隊が控えている。人間ではなく命を弾として捧げた同胞たちの姿が撮影されている。
二枚目は、連合艦隊の一隻だろうか。甲板に大勢の水兵が直立し、行方を見守っている写真。
三枚目は、どこかの官邸の庭だろうか。白いテーブルクロスの上にワインかシャンパンかわからないが、酒瓶が十数本並び、その周りにはグラスと皿に何種類ものごちそうが乗っている。テーブルを囲むのは将校に違いない。一人は野木大将がかぶるようなひときわ立派な帽子、勲章を胸につけている人もいて、見える範囲だけでも八名がこちらをむいて立っている。
この写真は、裸眼立体視すると非常に鮮明に見えてくる。こういった写真を元に、NHKの映像が作られている事が改めてわかった。19年前の本だが当時は見過ごしていたことに驚かされた。
気づくことも脳の働きだが、先日来書いてきた人間の脳の騙され易さには、細心の注意が必要かもしれない。などと思いつつ、この本を改めて見ている。
『C.G(コンピューターグラフィック)ステレオグラム』1992年12月10日初版 小学館 編集 根本恒夫他 62㌻に写真はあります。
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