羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『文藝春秋』広告の衝撃

2011年12月10日 08時17分51秒 | Weblog
 今朝ははやく目が覚めた。
 しばらく床の中にじっとしていたが、我慢できずに4時半には起き上がって朝刊を取りに出た。
 冬の空気が体の芯に突き刺さってくるような寒さだった。これが東京か、と思うほどである。被災地の仮設住宅に住まう方々は、どれほどの思いをされているのだろう。
 以前、新聞広告で見た“戦後”そして“災後”、という文字が浮かんだ。

 暖まりはじめたコタツで、朝日新聞の一面から読みはじめた。昨日で国会は終了。野田政権も何時まで持つのだろう、と暗澹たる気持ちに襲われる。
 手が一枚目を捲る。
 目が点になる。
「文藝春秋 新年特別号」の記事だ。確かに皇太子がいなくなる日が来る。女性宮家論議がなされる現実ということだ。宮家が潰されていった敗戦処理に、六十六年目にひとつの危機が露呈した。

 ……「これが無条件降伏の結果なのか!」……

 国の形の根本が揺らいでいる。そのなかで一年ごとに代わる総理に、ほとほと嫌気がさす。
 そして何も決められない国会。議員の職場放棄にも等しい平成23年12月の閉幕。
 言わせてもらえば、小学生から高校生まで、社会人も含めて日本人のコミュニケーション力不足を慮って演出家の平田オリザ氏を内閣府参与に迎えて教育現場に演劇手法を取り入れる政策がとられた。しかし大震災を機に平田さんは蚊帳の外に置かれた。入れ替わりに参与として働いたのが田坂広志氏だった。再生可能自然エネルギーを提案して一気に盛り上がったが、菅政権から野田政権に代わったとたんに、この人もまた蚊帳の外に出された。原発は再開に向けて舵は戻されていくようだ。くるくる代わる政権と政策では、外国からの信用は崩れっぱなしだ。
 
 本当の終戦は、いや本当の敗戦は、今年かもしれない。
 同時に災後の始まり。

 思えば、右肩上がりの日本、バブルの日本は、何だったのか。
 そして……私は、1960年代の中学生のころから本格的に西洋音楽を学びながら過ごし、卒業後の1975年にはそれを振り切るように野口体操にのめり込んでいった。実際、バブルには縁のない暮らしのベクトルの中に身を沈めていた。
 しかし、まさかこのような日本になるとは想像だにしなかった。
 
 3・11、自然災害が引き金とはいえ、限りなく人災に近い原発事故で負った傷は大きすぎる。
 嘆いてみてもはじまらない。すでに起こってしまったのだから、といいつつ虚しさが追いかけて来る。
 本当のところ、原発事故も女性宮家論議も、自然の力の前では人間の力は限界があるということ。
 それならば戦後も災後も発想を変える以外になさそうだ。だからと言って、橋下総理誕生では、ちょっと待ってくれ!とだけはいいたい。
 とにかく見出しだけ読んで買う気にはならない「文藝春秋」だ。

 こうなったら「社会的共通資本」でも読み返してみましょうか。でもなぁ~、それだけでは解決できないほど絡まった負のスパイラルなのである。
 負けたことを潔く認めよう。そこからだ。
コメント
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