タイトルに挙げた‘学生演劇’を、この年になるまで一度として見たことはなかった。
今夏、立て続けにその種の演劇活動を観てきた。
発端は、昨年のこと。
原田大二郎氏率いる明治大学文化プロジェクトに選ばれた学生が上演した「ハムレット」を観たことだった。
「ヌヌッ、お主ら、やるな!!」
学生とはいえ見事な舞台だった。
いやいや、この不景気な時世にあって、大学がらみだから大掛かりな演劇活動が可能だった。そのことを学生たちも十分に理解している。とにかくあれだけの規模の上演をしていたら、大きなスポンサーがつかない限り、プロ劇団では財政がもたない。
そこから大学側が彼らに学ばせたいことは‘演劇’だけではないことが、言外に読み取れる。
一つだけ挙げれば、たとえばあるプロジェクトを遂行するにあたって、集団を如何にしてまとめ企画や戦略を練り、適材適所人材を配置し、結果を出していくには何が大事かを体験を通して身につけさせること。
それにしても舞台の出来栄えに驚かされた私は、その後、授業の前後で学生から手渡されるリーフレットを見て、時間が許す限り出かけていくようになった。
学生会館や大学のスタジオ、町中の小さな小さなスタジオ等々で、彼らが見せる顔は、たぶん親御さんたちも知らない顔だろう。同じ大学の構内の表情まで違って見えてくる面白さがある。
そしてこういった活動は、20名から30名くらいの集団だ。
上演時間は、一時間半から二時間半。出し物は、作・演出も含めて学生あるいはOBの手になるもの。
最初は、現代を生きる若者たちの演技力だけではなく、構成や演出表現の上手さに戸惑うほどの驚きを感じていた。
「実に器用なんだな、彼らは」
ある日、ふと、思った。
「それは、きっと、本人たちの意識とは裏腹な印象かもしれない」
「僕らだって、それなりに苦労してるんですよ。迷ったり、悩んだり」
それはそうかもしれない。
しかし、東京にいれば、無意識・非意識のうちに、さまざまな情報が向こうからやってくる。昭和30年代や40年代を昨日のことのように持ち出す私は歳をとったものだが、それを差し引いても、ありとあらゆる情報の海原で生きているのが二千年初頭に生きる若者たちだ。
演劇に話を戻そう。
これとて条件は同じだ。彼らはいつの間にか、演劇の常套手段、演技のABCを身につけている。先輩後輩の関係を越えた情報網がすぐ手の届くところにあるのだから、と思ってしまう。
なにより大学と言う組織は、学生に対するサービス産業になってしまったのかもしれない。手取り足取り、教えすぎるのだ! 耳年増、目年増、感覚年増の若者を排出しているのではなかろうか。
確かに演技者の力には、はっきりしたばらつきはある。台本に多少の無理はある。しかし、全体を通して、観るに耐えないようなステージではない。それなりに楽しませてもらっている。
加えて、内容だけでなく、上演にあたっての全体の気遣いもゆきとどいている。
しかし、冒険がない、のだ。突き刺さってくる若さゆえの破綻がない、のだ。
実は、わが町の商店街では、唐さんをお見かけする。八百屋で買い物をされる姿など、日常の風景に溶け込みながらも溶け込みきれず、演劇的破綻の風情が漂ってくる。そのくらいの臭みというか、灰汁というか、なんとも表現しにくい‘醸しだされる何か’がある。
それが演劇者とはいわないが。
さて、卒業すれば社会人となって、学生時代の‘青春演劇活動’は‘後からしみじみ思うもの’かもしれない。それならそれでいい。
問題はその青春を引きずってしまうこと。(意識なしに)器用にこなしているその延長線上に‘プロフェッショナルの演劇’はありえないことを‘いつ’‘どこで’‘だれ(複数)’によって知らされるのだろうか(そんな心配は、これも教えすぎのうちかもしれない)。早い話が、挑戦し、経験し、身をもって体験しなければわからない、のだ。
さてさて暑い夏、演劇に夢中になる若者に‘覚悟のほど’を問うても無駄というもの。
「やるだけやるさ」
きっと、そう答えが返ってくるに違いない。
時間がたてば分かれ道は自ずとそれぞれの眼前に開けてくる。歩いてみないことには、二股道にも三叉路にも五叉路にも出くわさないのだから。
彼らの器用さを羨みながら、不自由であること不器用であることは、才能がないことではない。むしろ不自由さのなかで、不器用さのなかで本物の才能は育つのかもしれない、と意地を張っている自分を感じている。
今夏、立て続けにその種の演劇活動を観てきた。
発端は、昨年のこと。
原田大二郎氏率いる明治大学文化プロジェクトに選ばれた学生が上演した「ハムレット」を観たことだった。
「ヌヌッ、お主ら、やるな!!」
学生とはいえ見事な舞台だった。
いやいや、この不景気な時世にあって、大学がらみだから大掛かりな演劇活動が可能だった。そのことを学生たちも十分に理解している。とにかくあれだけの規模の上演をしていたら、大きなスポンサーがつかない限り、プロ劇団では財政がもたない。
そこから大学側が彼らに学ばせたいことは‘演劇’だけではないことが、言外に読み取れる。
一つだけ挙げれば、たとえばあるプロジェクトを遂行するにあたって、集団を如何にしてまとめ企画や戦略を練り、適材適所人材を配置し、結果を出していくには何が大事かを体験を通して身につけさせること。
それにしても舞台の出来栄えに驚かされた私は、その後、授業の前後で学生から手渡されるリーフレットを見て、時間が許す限り出かけていくようになった。
学生会館や大学のスタジオ、町中の小さな小さなスタジオ等々で、彼らが見せる顔は、たぶん親御さんたちも知らない顔だろう。同じ大学の構内の表情まで違って見えてくる面白さがある。
そしてこういった活動は、20名から30名くらいの集団だ。
上演時間は、一時間半から二時間半。出し物は、作・演出も含めて学生あるいはOBの手になるもの。
最初は、現代を生きる若者たちの演技力だけではなく、構成や演出表現の上手さに戸惑うほどの驚きを感じていた。
「実に器用なんだな、彼らは」
ある日、ふと、思った。
「それは、きっと、本人たちの意識とは裏腹な印象かもしれない」
「僕らだって、それなりに苦労してるんですよ。迷ったり、悩んだり」
それはそうかもしれない。
しかし、東京にいれば、無意識・非意識のうちに、さまざまな情報が向こうからやってくる。昭和30年代や40年代を昨日のことのように持ち出す私は歳をとったものだが、それを差し引いても、ありとあらゆる情報の海原で生きているのが二千年初頭に生きる若者たちだ。
演劇に話を戻そう。
これとて条件は同じだ。彼らはいつの間にか、演劇の常套手段、演技のABCを身につけている。先輩後輩の関係を越えた情報網がすぐ手の届くところにあるのだから、と思ってしまう。
なにより大学と言う組織は、学生に対するサービス産業になってしまったのかもしれない。手取り足取り、教えすぎるのだ! 耳年増、目年増、感覚年増の若者を排出しているのではなかろうか。
確かに演技者の力には、はっきりしたばらつきはある。台本に多少の無理はある。しかし、全体を通して、観るに耐えないようなステージではない。それなりに楽しませてもらっている。
加えて、内容だけでなく、上演にあたっての全体の気遣いもゆきとどいている。
しかし、冒険がない、のだ。突き刺さってくる若さゆえの破綻がない、のだ。
実は、わが町の商店街では、唐さんをお見かけする。八百屋で買い物をされる姿など、日常の風景に溶け込みながらも溶け込みきれず、演劇的破綻の風情が漂ってくる。そのくらいの臭みというか、灰汁というか、なんとも表現しにくい‘醸しだされる何か’がある。
それが演劇者とはいわないが。
さて、卒業すれば社会人となって、学生時代の‘青春演劇活動’は‘後からしみじみ思うもの’かもしれない。それならそれでいい。
問題はその青春を引きずってしまうこと。(意識なしに)器用にこなしているその延長線上に‘プロフェッショナルの演劇’はありえないことを‘いつ’‘どこで’‘だれ(複数)’によって知らされるのだろうか(そんな心配は、これも教えすぎのうちかもしれない)。早い話が、挑戦し、経験し、身をもって体験しなければわからない、のだ。
さてさて暑い夏、演劇に夢中になる若者に‘覚悟のほど’を問うても無駄というもの。
「やるだけやるさ」
きっと、そう答えが返ってくるに違いない。
時間がたてば分かれ道は自ずとそれぞれの眼前に開けてくる。歩いてみないことには、二股道にも三叉路にも五叉路にも出くわさないのだから。
彼らの器用さを羨みながら、不自由であること不器用であることは、才能がないことではない。むしろ不自由さのなかで、不器用さのなかで本物の才能は育つのかもしれない、と意地を張っている自分を感じている。